2021年6月、改正育児・介護休業法が成立した。一方で、これにより男性の育休取得が促進されるようになるかといえば疑問の声もある。「育休」の仕組みを定着させ成果につなげるためには、日本の社会に根深く存在する構造的な問題や、育児や休暇に対するバイアス(偏見・誤解)を取り払う必要がある。特に無意識のバイアス(アンコンシャスバイアス)こそ取り除くことが非常に難しい取り組みとなるが、成し遂げた先には、「組織」としても、「個」としても大きな成長があるはずだ。そこで、育休前後の女性向けオンラインスクールを運営する小田木朝子氏と、組織改革に数多く携わってきた沢渡あまね氏に、育休と正しく向き合うために大切なことを聞いた。
改正育児・介護休業法が6月に成立した。いわゆる「男性版産休・育休」は2022年度中に施行される。だが、法改正だけで、本当に多くの企業で取得できるようになるのか疑問の声もある。「『男性版産休・育休』以前に、女性の産休・育休のマネジメントがしっかりできている企業がまだ少ないのが現状です」と指摘するのは、静岡県浜松市にあるNOKIOO(ノキオ)取締役の小田木朝子氏だ。
同社は、育児休業(育休)を取得中のビジネスパーソン向けオンラインスクール「育休スクラ」を運営、出産などのライフイベントを人材育成の好機と捉え、育休から復帰したビジネスパーソンのサポートなど、企業における「育休マネジメント」の支援も行っている。小田木氏自身も2人の子どもを持つ母親で、自身の育休中に中小企業診断士の資格を取得した経験を持つ。
「育休制度は多くの企業で導入されています。しかし、復職後の人材から最高のパフォーマンスを引き出せている企業はまだ少ないようです。背景には、日本の組織特有の育休中、育休後のいわゆる両立期におけるバイアス(偏見・誤解)があります」(小田木氏)
小田木氏は以下のようなバイアスの事例を紹介する。いずれも心当たりのあるビジネスパーソンや経営者が多いのではないだろうか。
組織側のバイアスと育休者の本音を比較すると、このように大きなギャップがあることが分かる。また、制度運営者や上司などにバイアスの意識はなく、むしろ善意であったり、無意識で行った言動のケースもあるだろう。この無意識のギャップこそ、なかなか解決できない奥の深い問題と言えるのかもしれない。
これらに対して、あまねキャリア株式会社代表の沢渡あまね氏は、「育休者本人の中にもバイアスがあります。出産・育児は、それまでと比較してさまざまな制約を受けます。時間の制約もあるし体力の制約もあります。多くの人はそれを『仕方ない、もう制約の中で働くしかない』と考えてしまいがちです」と話す。
人が働きがいを求めたり幸せを求めたりすることは本能的なものだ。しかし、育休から復帰したばかりだからといって、それを我慢することを強いられるのは決して好ましい状況とはいえない。
小田木氏は「実は私自身もバイアスを持っていました。出産前は法人営業をしていたのですが、残業もいとわず深夜まで仕事をしていました。ところが、出産後は働ける時間が短くなり、やりたいこともできません。成果も出せず、『自分だけがハンディキャップを負っている』と感じていました。仕事もつまらなくなり、周囲へ不満をぶつけていました」と、自身を振り返る。
その小田木氏が今では、「育休スクラ」を運営し、多くの育休中の女性の悩みに応えている。転機はどこにあったのか。
「制約の中で我慢して働くのではなく、本当にやりたい仕事や夢を実現するためには、環境の変化に合わせて自分を変化させるしかないと考えたことです。そのためには、思い切ってやり方を変えるしかないと気付きました。私の場合、個人で成果を追うスタイルから、チームでの成果を最大化するという発想でした。自分がバリューを出せることに力を注ぎ、それ以外はチームの仲間に任せるようにしました。結果として、自分自身のやりたい仕事もできるようになり、チームの関係性もよくなり、成果も出させるようになりました」(小田木氏)
沢渡氏は、「育休者はとにかく育児のみに専念しなさいというような風潮もあり、それが社会にとっても本人にとってもアンハッピーな状況を生んできました」と指摘する。法改正により、男性にまで育休制度が広がろうとしている今、個人個人のキャリア観や志向と向き合いながら、育休そのもののあり方や過ごし方を見直すべきタイミングに来ているといえる。
「最近では、『イントラパーソナルダイバーシティー(個人内多様性)という言葉を聞く機会も増えています。同じ一人の私の中にも「仕事をしている私」「母親の私」「妻の私」「地域の中での私」がいます。個人の中の多様性を認め、広げていくことが、結果として社会や組織のバリューにもつながっていく、そういう時代になっていくのではないでしょうか」(小田木氏)
小田木氏が経験したように、育休をきっかけに個人が成長し、それにより組織も成長へとシフトするきかっけになることが望ましい。そのためのポイントはどのようなところなのか。「今までの仕事のやり方、あるいはコミュニケーションの取り方を前向きに変えることです」と沢渡氏はアドバイスする。
新型コロナウイルスの感染拡大への対応を転機に、イノベーションに取り組んでいる企業も多い。「ただし」と沢渡氏は加える。
「一方で、テレワークをやってみたらコミュニケーションがうまくいかなくなった、仕事が進まなかった、だから対面に戻そうという企業もあります。問題はテレワークにあるのではなく、テレワークをした結果、今までの仕事のやり方やコミュニケーションの取り方がよくなかったことが明確になっただけなのです」(沢渡氏)
組織の情報には、「フロー情報」と「ストック情報」があり、この識別、およびツール(手段)の使い分けの必要性があると沢渡氏は言う。
「得てして、何でもかんでも、その場限りの情報共有で済ませ、後々まで残しておきたい知識や観点とそうではない情報の識別ができていないケースが見受けられ、いつのまにか誰の記憶にも残っておらず、忘れ去られてしまう…… そんな状態になっていないでしょうか?空間や時間を超えて、必要な情報が共有されるようにする。引き継がれるようにする。場にいない第三者や、働き方が異なる人たちとも正しく議論が出来るようにする。このようなコミュニケーションデザイン、コミュニケーションマネジメントは、これからの時代に求められるマネジメントの一つといえます」
そこにふたをして元に戻すのでは、組織とそこで働く人たちも成長しない。育休制度についても、それと同じことが今起こるリスクがある。育休者がいることで大事な社員が長期間出社しない状態が続くことに変わりはない。今回の法改正を経て、やっぱり育休はよくないという考えに逆戻りするリスクだ。
それに対して沢渡氏は、「育休により業務が止まるリスクは、仕事の標準化やITの利活用、チーム単位での共有化などによって軽減できます」と話す。沢渡氏は具体的な事例として、ある中堅ねじメーカーの取り組みを紹介してくれた。同社では、かつて工場の職人は男性ばかりだったが、ある年に入社した新入社員の女性が「工場で働きたい」と言ったことをきっかけに、会社としても女性が働きやすい環境整備に取り組んだという。重いものを持たなくてもいいように機械を導入したり、油で汚れがちなメンテナンス作業などについても手順を見直したりした。
「その結果、男性社員にとっても働きやすい職場になったのです」(沢渡氏)
重労働を軽減したことで作業効率があがり、怪我のリスクも低くなった。女性社員も現場作業ができるようになり、男性社員が休んでも現場作業ができる女性の事務員が代行するなどワークシェアリングが進み、男性も女性も休むことが出来る職場に変わったという。
「マミートラック(仕事と子育ての両立はできるが、昇進・昇格の機会が少ないキャリアコース)という言葉もあります。育休でサバティカル(長期休暇)になり、復帰後も時短勤務になった人に対して、単純作業しか任せない。管理職になったり、難易度の高い仕事の機会を与えたりすることがないというのでは大きな損失です」(沢渡氏)
小田木氏は育休中に中小企業診断士の資格を取得している。企業も、今後は育休の期間に学習する機会を提供することを検討すべきだ。
「育休スクラでは、相互に学びあったり、あるいは会社では受講対象外だったマネジメント論、コミュニケーション論、組織論などを学んだりしたことで自社の問題が見えた。だからこのスキルを発揮して、復帰後にこういう組織の問題を解決したいとコミットし、実際に復帰後にいきいきと活躍しはじめる人を何人も見ています」(小田木氏)
企業はきちんと機会を与えて制約条件を外すことで、今までになかった価値を生み出すことに貢献する人材を増やすことができるのだ。
これから男性の育休の取得促進や、それにともない成果を出すために、企業はどのようなマネジメントに取り組むべきなのか。沢渡氏は「キーワードとしてはオープン型です。これまでは統制型(ピラミッド型)で、同質性の高い人たちが、長時間(長期間)にわたって顔を付き合あわせ、決められたことをこなすモデルでした。これからは異質な人たちが、それぞれに最適な時間と場所で、過去に答えのないテーマに向かって成果を出すモデルになります」と語る。
育休者のように、異なるライフステージにある人が増えていくと、それぞれに最適な時間と場所で働く環境を整備していく必要がある。これは、育休者対策にとどまらず、パンデミックのような不測の事態において事業継続をするためにも重要である。具体的に、オープン型の組織づくりやマネジメントを推進するためにはどのようなことから始めればいいのだろうか。
「私は、企業の規模にかかわらず、デジタル上で滑らかに仕事をする環境を整えてください、デジタルで仕事をする経験を積んでくださいとお話ししています。アナログな業務プロセスや慣習は、悪気なく人々が活躍する制約条件になりますから」(沢渡氏)
育休復帰後の時短勤務者でも、紙やハンコまみれの手続きがなければ、間接業務から解放される。また、会議もオンラインで行われるようになれば、限られた時間で本来業務に集中することができる。裏を返せば、いままでのアナログな仕事のやり方や環境が、育休者や育休復帰者が正しく活躍するための足かせとなり、マミートラックを作っていたということだ。
「育休制度を推進し定着させなければと考えると、社長をトップにした全社的なプロジェクトにしなければと考えがちですが、そうなるとどうしても数値的な目標を追うような、形だけのものになりがちです。それでは、組織も育休者も手応えを感じられません。そうではなく、まずは半径5メートル以内のリスクや困りごとを解消するような発想から始めればいいのです」(沢渡氏)
例えば、電話対応の時間を減らしたり、伝言メモをなくしたり、帰社しなくても受発注が完結する仕組みをつくったりすることだと言う。一つ一つは小さいが、これらを積みかねることで、限られた時間を本来価値のある、あるいは将来の成長のために使えるようにしていくイメージだ。
「それによって、本当の意味での女性活躍を実現したり、組織のアジリティー(俊敏さ)やレジリエンス(強じんさ)向上、人材の定着などが実現すると考えられます。デジタルで「つながる垣根を下げる」ことで、その組織にない新たな能力を持った副業人材を取り入れてイノベーションを起こしたり、新しいビジネスモデルを生み出していくこともできるでしょう」(沢渡氏)
「育休」は、組織と社員がともにアップデートする大きなチャンスと成り得るのだ。
ウェブマーケティングの法人営業などを経て、NOKIOO創業メンバーとして参画。教育研修事業担当役員。育休を活かし、31歳で中小企業診断士の資格取得。2020年、オンライン・スクール事業『育休スクラ』を立ち上げ、経験学習による人材育成、オンラインを活用したキャリア開発をサービス化。企業のダイバーシティ、女性活躍を推進するための人材育成プログラムの開発・提供を手掛ける。グロービス経営大学院修了。著書に「人生の武器を手に入れよう 働く私たちの育休戦略」(ブックトリップ刊)。
日産自動車、NTTデータ、大手製薬会社などを経て、2014年秋より現業。経験部門は、広報・情報システム(ITサービスマネジメント)・ITアウトソーシングマネジメントなど。企業の業務プロセスやインターナルコミュニケーション改善の講演・顧問・執筆活動などを行っている。350以上の企業・自治体などでワークスタイル変革、組織変革、マネジメント変革に取り組む。著書は「ここはウォーターフォール市、アジャイル町 ストーリーで学ぶアジャイルな組織のつくり方」(翔泳社刊)「IT人材が輝く職場 ダメになる職場 問題構造を解き明かす」(日経BP刊)「バリューサイクル・マネジメント ~新しい時代へアップデートし続ける仕組みの作り方」(技術評論社刊)など多数。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣/下原 編集:野島光太郎)
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