この本は著者である飯田美樹氏の個人的な気づきからスタートしている。いや、「気づき」というには軽すぎる、「のっぴきならない必要」と言ったほうがよいだろうか。
子どもを生んだばかりの著者は、新米の母親として京都郊外のニュータウンに引っ越してきた。ショッピングセンターは徒歩圏内、公園も豊富で歩道はベビーカーを押していても歩きやすく、子供連れの母親にとっての「幸福」を実現するのにすべてが備わっているような環境。しかし、彼女は幸福感どころか、「なぜか分からないけど、この街にはいたくない」という強烈な感覚に襲われるようになる。
これは私の肌感だが、彼女と同じような感覚に苛まれている人は決して少なくないだろう。ニュータウンに限らず、タワマンなど大規模集合住宅を含む地域コミュニティにも当てはまるかもしれない。購入して、引っ越す前の広告では、すべてが調和しており、住人のあらゆるニーズに配慮されているように思える輝けるイメージが、実際に住んでみるとそれがまさにイメージに過ぎなかったことに気づかされる。
その理由は、街の設計の前提が画一化された人間を住人として設定しているからだ。しかし、人間はただ買い物をして、子育てをして、仕事に行ければ良いわけではない。実際は、学びたい、背伸びしたい、変わりたい、キラキラしたい、挑戦したいという願いを持つ「個」の集合体である。
ニュータウンやタワマンはそれを許さない設計になっているため、そこに住んでいる人は閉塞感を感じ、「なぜか分からないけれど、この街にはいたくない」と思うようになるのだ。
本書でたびたび言及されるコロンビアの首都ボゴタは1990年代は世界屈指の犯罪都市とみなされていた。しかし、2000年代以降犯罪率は急減しているという。その改革に関わった元市長であるエリック・ペノロサが述べたコメントがまさに至言だ。
「街なかの全てのディテールが、人間は神聖なものであることを反映すべきなのだ。すべてのディテールが!」(本書第2章より)
人を大切にした結果、大切にされたボゴタ市民は幸福感を感じ、それが犯罪率を低下させたことは示唆に富んでいる。結局のところ、「街があって人がいる」のではなく、「人がいて街がある」という基本的なルールがそこに住む人の幸福感につながっているのだ。
この本で写真を含めて絶えず想起させられるインフォーマル・パブリック・ライフとは、フランスやイタリアの街角のオープンカフェや広場、公園のことだ。
自身もパリに留学経験があり、ヨーロッパ各国のカフェに精通している著者はインフォーマル・パブリック・ライフには、立場や価値観の違う人たちが集い、ソーシャル・ミックスを促したり、会社や家庭での役割から解き放たれて「本来の自分」になれるという効果があるという。
また、何かしら問題を抱えたままカフェに行き、コーヒーを飲みながら読書をしたり、ぼけーっとしたり、誰かと何気ない会話をすることで、店を出るころにはその問題が大したことがないように思えている「魔法のようなこと」が起きるが、それも「カフェセラピー」というインフォーマル・パブリック・ライフが私たちに与えてくれる効能の一つだ。
このように考えると、自分が住む街にインフォーマル・パブリック・ライフがあるのか、あるとしたらどの程度あるのかが、街の幸福度とも大きく繋がってくるということが見えてくる。
この本の特徴的なところは、単に「街づくり」や「地域活性」としてインフォーマル・パブリック・ライフを提唱したり、そのための実践法を説いたりしているのではなく、今の日本のニュータウンにも通じる、アメリカ型郊外の歴史について深く論じている点だ。
その背景を知るためにキリスト教「福音主義」や、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』、さらには中世カトリックまで遡る。
著者によると、21世紀に住む私たちもプロテスタントの影響を受けているという。端的に言えば、「必死に努力し、社会的に成功し裕福になることは神に選ばれている証しである」ということであり、それはアメリカで発達する福音主義の特徴にもなっている。もちろん、日本では「神から選ばれる」という観点は抜け落ちているが、努力して裕福になろうとすることで自分の存在意義を賢明にアピールしようとする姿勢は同じように見られるのではないか。
では、このプロテスタンティズムや福音主義がアメリカ型の郊外とどのようにつながるのだろうか?産業革命の時代、社会的に成功した敬虔な福音主義者たちは誘惑に満ちた都市から離れ、郊外で自然と調和した一軒家を所有し、そこに自分たちにとっての理想郷を作ろうとした。そして、それは徐々に「神に選ばれた成功した人々」の象徴のようになったという。
20世紀に入り生まれた自動車産業とも結びつき、郊外の不動産開発は活発化し、中心部は空洞化していく。どこまでも広がりをもつ広大な郊外型都市であるロサンゼルスもこのようにして生まれた。こうした経緯で生まれたアメリカ型郊外においては社交は家庭内のサロン的空間に内在化し、インフォーマル・パブリック・ライフは必要とされなかったというわけだ。
この本の後半は「どうすればインフォーマル・パブリック・ライフが実現できるのか」というテーマに紙面を割いている。端的に言えば、「車社会を脱却」し、「インフォーマル・パブリック・ライフを生み出す」ことだ。
考えてみれば当たり前だが、「車社会」が進めば進むほど、人は郊外に流れる。つまり、安い商品が幅広く揃っているショッピングモールに行くのが合理的な選択になってしまう。この点は、地方経済の活性化という点からみてもマイナスだ。
過去の記事でも言及したが、地域のレジリエンスを高めるためにはフローとストックのバランスが大切だ。いくら郊外に誘致された大型ショッピングモールでたくさんの人が消費しても、各地から車でやってきた人が地域外で製造・生産された商品を買っているだけなら、お金は地方には落ちず、その地域は豊かになりようがない。
本書では、パリやロンドン、ニューヨークなどの事例を取り上げ、車から人に「道を取り戻す」試みや、著者がインフォーマル・パブリック・カフェの理想形と考えるイタリアのサン・マルコ広場のような、人々を惹き付ける場所にするための7つのルールについて取り上げている。
ちなみに7つのルールとは以下の通り。項目からだけではイメージしづらいかもしれないが、著者は、日本も含め世界各地の豊富な事例を挙げて「これでもか」というくらい懇切丁寧に説明してくれる。
①エリアの歩行者空洞化
②座れる場所を豊富に用意する
③ハイライトの周りにアクティビティを凝縮させる
④エリアのエッジ(境界部分)から人々を眺めていられる場所をつくる
⑤歓迎感を感じられるエッジをつくる
⑥朝から夜まで多様な用途を混合させる
⑦街路に飲食店があること
500ページ近くある大著だが、理論と事例、具体と抽象を行き来し、英米近代史やヨーロッパ各国を旅するような感覚を味わいながら、あっという間に読んでしまった。本書の出発点が著者の個人的な体験からスタートしているだけに、筆には力があり、愛すら感じる。
この本を読んだあと、いつものカフェに足を運ぶとき、毎朝歩く駅までの道のりを歩くとき、商店街やショッピングモールで買い物をするとき、何気ない普段の日常風景を見る目はがらっと変わるはずだ。
インフォーマル・パブリック・ライフ――人が惹かれる街のルール
(TEXT:河合良成 編集:藤冨啓之)
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