ハイブリッドワークを巡る議論は、しばしば「出社率を何%にするか」といった二項対立に陥りがちだ。しかし、稲水氏の研究が示す本質はそこではない。重要なのは「どこで働くか」ではなく、「自ら選べているかどうか」だ。
「ABW(Activity Based Working)の場合、働く人が業務内容に応じて自ら場所を選択します。そうした環境では自律性が高まり、結果として人の動きも活発になる。オフィス内で自然と異なる部署の人と接点が生まれるのも特徴です」(稲水氏)

東京大学大学院経済学研究科准教授 稲水伸行氏
ABWとは、集中作業には個室、議論にはオープンスペースといったように、活動内容に応じて働く場所を選べるワークスタイルである。稲水氏の研究では、こうしたABW型の環境において、創造性が高まる傾向が見られた。一方で、単なるフリーアドレス制では創造性がむしろ低下する傾向も確認されているという。「フリーアドレスの場合、コスト削減など組織側の都合が前面に出やすく、働く側は『居場所を奪われた』と感じてしまうことがあります」(稲水氏)
この差を分けるのは、「選択できているかどうか」である。働く場所を自ら選べるという感覚は、仕事に対する裁量感や主体性を高め、結果として創造性を引き出す。つまり重要なのは、物理的な配置そのものではなく、働き方を選べる余地をどれだけ設計できているかという点にある。
ハイブリッドワークが浸透する中で、新たな課題も浮かび上がっている。それは、「いつでも、どこでも働ける」という自由が、逆に人を縛る構造を生み出しているという点だ。
「オフィスに出社する機会が増える一方で、リモート会議にも次々と呼ばれるようになりました。結果として、常に誰かに呼び出され、動かされ続けているような状態になっている人が少なくない。その様は、まるで『操り人形』です」(稲水氏)
稲水氏はこうした問題意識のもと、株式会社オカムラのあるオフィスで働く547名を対象に、会議の在り方と創造性の関係を分析した。その結果、会議の頻度が多すぎると、たとえネットワークが開かれていても、創造的・革新的な行動は低下する傾向が明らかになった。
逆に、会議の頻度が少ない場合は、「オープン」で「流動的」なネットワークが創造的・革新的な行動を高めることも確認された。
「ある程度の余白(余裕)がある状態で、さまざまな人とつながっているときにこそ、創造性は高まるという結果が得られました。忙しさに追われ、常に誰かに呼ばれている状態では、新しい発想は生まれにくくなるのです」(稲水氏)
この結果が示すのは、多様なつながりを創造性に結びつけるには、「余白」が不可欠だという点だ。多様な人と関わること自体は創造性を高めるが、そのための時間的・心理的余裕がなければ、かえって創造性を損なってしまう。
効率性を追い求めるあまり、予定で埋め尽くされた働き方は、結果として人を操り人形のような状態に追い込む。創造性を引き出すには、意図的に余白を設計することが不可欠なのである。
では、どの程度の余白を設計すればよいのか。稲水氏は「これまでの研究や現場調査からある程度見えてきたのですが」と前置きし、指針として「空間の20%ルールと時間の20%ルール」を挙げる。
「空間が狭すぎると身動きが取れないし、広すぎても落ち着かない。ちょうどいい余白が必要です。ABWを設計する際には、全員が常に出社する前提ではなく、想定人数の1.2倍程度の空間を確保すると、うまく機能しやすいでしょう。時間的な面でも、10〜20%くらいの余裕が必要です。研究でも、会議頻度が低い(=時間的裁量がある)人ほど、社内ネットワークを創造性に変えられているデータが出ています。ずっと予定が詰まっていると人は創造的に動けなくなります。特にいろいろな人と関わりながら創造性を発揮するには、ある程度の時間的な余白が欠かせません」(稲水氏)
この「余白」こそが、ハイブリッドワーク時代の「場」を機能させる鍵である。物理的な空間とデジタル空間を行き来する働き方においては、場所そのもの以上に、余裕を持って動ける設計が重要になる。
近年、もう1つの大きな変化として挙げられるのが、生成AIの急速な普及である。佐藤氏は、いち早く所属企業で全社的にChatGPTが導入された経験から、生成AIが創造性に与える影響について次のように語る。
株式会社ベネッセコーポレーション ベネッセ教育総合研究所研究員 佐藤徳紀氏
「生成AIが広がったことで、一番変わったのは『拡張性』だと言われています。アイデア出しが速くなり、議事録・企画書作成や情報収集も圧倒的に効率化されました」(佐藤氏)
生成AIは、人間の思考や作業を大きく拡張する一方で、別の変化ももたらしている。佐藤氏は、専門家に会わなくても一定水準のアウトプットが得られるようになり、人と会う必然性が薄れた側面があると指摘する。
「人に会って指導を仰ぐよりも、その場で生成AIに聞いた方が『ラク』なわけです。そのため、人と直接会って得ていた偶然の気づきや試行錯誤のプロセスが、生成AIとの対話に置き換わっています。その変化は、便利になった半面、セレンディピティ(思いがけない出来事や偶然からの価値の発見)を失わせる可能性があると危惧しています」(佐藤氏)
こうした変化を踏まえ、今後は「人間がやるべきこと」がより明確になるのではないかと見る。生成AIが平均点を容易に超える成果を出せる時代において、人間に求められるのはそこから一歩踏み出し、アイデアを現実の形にしていく力だ。
「生成AIは平均的に良い答えを出してくれます。でも、そのままでは面白みに欠けるかもしれません。得られた答えどのように解釈し、魅力的な形で社会や組織に実装するのかは人間にかかっています。そこにこそ、人間が創造性を発揮する余地があります」(佐藤氏)
そして、その創造性は個人の頭の中だけで完結するものではない。人と人が出会い、対話を重ねて磨かれていくものである。だからこそ重要になるのが、偶然の出会いや対話が生まれる「場」の存在だ。意図せず生まれる気づきや刺激は、効率だけを追い求めていては決して生まれない。生成AI時代においては、あえて余白を残し、人と人が交わる余地を設計することこそが、創造性を高める鍵になるのである。
稲水氏は、佐藤氏の発言を受けて、マイケル・ポーターの競争戦略論を引きながら、現代における「競争優位」の在り方について語る。
ポーターは1998年の論文で、興味深い逆説を指摘している。グローバル化とICTの進展によって「いつでも、どこでも、何でも調達できる」時代が来れば、理論上、立地は競争優位の源泉ではなくなると考えられる。しかし同時に、そうした時代だからこそ、「ローカルなもの」——知識(knowledge)、関係性(relationships)、動機づけ(motivation)——が決定的な差別化要因になると論じたのである。
「『どこでも働ける』こと自体は、もはや競争優位にはなりません。誰もが同じ条件を手に入れた今、問われているのは『その先で何を生み出せるか』です」(稲水氏)
ICTの発展により、場所に縛られない働き方は当たり前になった。リモートワークが可能であることは、もはや差別化の要因ではない。むしろその環境を前提として、どのような付加価値を出せるかが勝負の分かれ目となる。
生成AIの進化は、この構図をより鮮明にする。誰もが高度なアウトプットを出せる時代、AIを使うこと自体に優位性はない。重要なのは、AIの出力の先にある構想と実装力だ。
「AIによるアイデア出しは、いずれ誰にでもできるようになります。そうなれば価値の源泉は、人と人がどう関わり、どうつながるかという『人間関係の質』に移っていくでしょう」(稲水氏)
だからこそ、フェイス・トゥ・フェイスの関係性が改めて重みを持つ。偶然の出会い、その場の対話、空気の共有——こうしたアナログな相互作用は、少なくとも2026年の技術水準において、デジタルで完全に代替できないからだ。
「いつでもどこでも働ける時代だからこそ、意図的に『共にいる場』を設計することが、新たな競争優位になります。GAFAをはじめとするテック企業がオフィス回帰を進めるのも、単なる管理強化ではなく、この偶発性や関係性の価値を再評価しているからに他なりません」(稲水氏)
意図的に「場」を設計し、創造性を育て続けてきた企業の好例がソニーである。
近年、多くの企業が社内コワーキングスペースの設置などに取り組んでいるが、形だけ整えてもうまく機能しない。稲水氏は、ソニーの事例が際立っている理由について、そうした「場」が一過性の施策ではなく、長い時間をかけて文化として根づいてきた点にあると指摘する。
「ソニーでは、業績が低迷していた時期でさえ、エンジニアたちは『机の下活動』と呼ばれる、業務の空き時間を使って自主的に試作・開発を行う活動を続けていました。そうしてきた人たちが、やがて事業部長クラスとなり、今度は次の世代を支える立場に回っています。自分自身がかつて挑戦する側だったからこそ、誰かが新しいことを始めようとすると自然と目が向き、応援したくなる。時には『一緒にやってみよう』と手を差し伸べる。そうした循環が、創造的な文化を組織の中に根づかせているのでしょう」(稲水氏)
稲水氏は、創造性とは個人の才能だけで生まれるものではなく、それを受け止め、育てる「場」と「関係性」の積み重ねによって初めて持続すると強調する。ソニーの事例は、そのことを端的に示している。
こうした創造的な文化が持続する背景には「場」を用意するだけでなく、そこで生まれた学びをどう組織の力へと転換していくかという視点が欠かせない。偶然の出会いや挑戦を支える土壌があっても、それが個人の経験にとどまってしまえば、組織全体の力にはなりにくい。では、個人の学びをどのように組織の成長へと結びつけていけばよいのか。
その問いに対し、佐藤氏は「学びを生かす機会の設計」という観点から話す。
「学びというのは、必須業務とは違って、基本的には個人の内発的な動機に委ねられるものです。ある意味で創造性に近い性質を持っている。だからこそ、せっかく学んでも、それを生かす場が与えられなければ、やがて『学習性無力感(どうせやっても無駄だ、という感覚)』につながってしまいます」(佐藤氏)
実際、村田製作所との共同調査では、「組織学習」が「組織成果」を促進すること、そして「心理的安全性」が「組織学習」を促進することが明らかになった。個人が得た学びを組織の力へと転換するには、学んだ内容を共有し、試すことのできる環境が必要であり、その基盤として、たとえ失敗したとしても許容して挑戦を後押しすることが欠かせない。
「組織成果」を促進する「組織学習」の分析結果(出典:佐藤氏作成)
「組織学習」を促進する要素(学習推進と心理的安全性)(出典:佐藤氏作成)
佐藤氏は、その点について次のように語る。
「どれくらい結果が出るまで待てるのか、そして学んだことを生かす機会を、評価やノルマとは切り離してどれだけ用意できるか。そこがとても大事になります」(佐藤氏)
こうした視点から、佐藤氏は研修転移(研修で学んだこと職場で実践すること)のプロセスを可視化することの重要性を指摘する。学びがどのように実践へとつながっていくのかを組織側が理解することで、マネジメントは学習を「個人任せ」にせず、意図的に活用の機会を設計できるようになる。その結果、学ぶ側とマネジメントの間にあった溝は徐々に埋まり、試行錯誤を許容する余白が組織の中に生まれていくのだ。
ハイブリッドワーク時代における「場」とは、もはや物理的なオフィス空間だけを指すものではない。そこには、時間的・心理的な余白、そして人と人との関係性の質が含まれる。効率性とつながりを同時に追求する時代において、その両立を可能にする鍵は、意図的に「余白」を設計し、「偶発性」を呼び込むことにある。
生成AIの普及によって、一定水準のアウトプットは誰もが容易に生み出せるようになった。だからこそ、これからの競争力を左右するのは、偶然の出会いや対話、場の空気の中から生まれるひらめきといった、人間ならではの創造性である。
稲水氏と佐藤氏の研究は、そのための具体的な道筋を示している。空間と時間に余白をもたせる「20%ルール」、人と人の接点を意図的につくる場の設計、そして失敗を許容する心理的安全性。これらは、創造性を個人の才能に委ねるのではなく、組織として育てていくための実践的な指針といえる。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣/下原 PHOTO:落合直哉 企画・編集:野島光太郎)
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