日本における食料自給率が30%ほどと言われる中、全国的に第一次産業の後継者不足によるますますの衰退が問題となっている。それは流通の問題や貿易自由化の波によるものはもちろんだが、いまだに長年の経験と勘に頼る旧態依然とした農業経営が、新規就農の壁になっていることも原因のひとつと考えられる。ここにデータ活用の手法によりそれを打開しつつある例がある。
戦後すぐに、初の公選で岩手県知事となった国府謙吉「農民知事」が「フランスのボルドーに風景が似ている」と、この地域の産業振興のためにぶどう作りを奨励してから70年余り。花巻市大迫町は、今では生食ぶどうの産地としても、世界的なコンクールでも毎年賞を受けるなど品質の良いワインの産地としても知られる町となった。しかしぶどう農家第一世代が引退し始めたころから後継者不足が課題となり始めた。そんなところに新規就農者としてやってきた、全く農業未経験の佐藤さん。どうやって高いハードルを乗り越えたのか。
佐藤さんの70アールのぶどう畑は、大迫のまちを見下ろす小高い丘の上にある
佐藤さんは元々花巻に生まれ育ったが、高校を卒業して千葉の大学に進学したことがきっかけで花巻を離れた。大学卒業後、医療機器メーカーに就職し、かねての目標だったエンジニアになったという。世界的に展開する会社の命で若い頃から世界あちらこちらに赴任してきた。そんな中、ヨーロッパ赴任時にワインに出会う。
「ベルギーに赴任し、ヨーロッパあちこちに出張していたのですが、フランスやスペインなどではランチの際に普通にワインが出てくる。ランチミーティングであってもデキャンタで出てくるのです。そこでワインに魅せられてしまいました」
ベルギーの後の赴任先であるアメリカでも、ワインの産地とされるカリフォルニアに休みのたびに通い、あちこちのワイナリーを回って歩くほどだったとのこと。そのうちに、自分でもワインを作りたくなってきた。
50歳を過ぎて日本に帰ってきた頃は「60歳の定年前には退職してぶどう栽培から始めたい」と思うようになったらしいが、56歳を前にまた海外赴任の話が出てきた。
「行ってしまったら、もうぶどう作りを始めるには遅くなるなと思いました。その話が出る前から、どこでぶどう作りしようかと、山梨や長野を見て回っていたのですが、どこも畑はあってもすべて植樹から。初期費用もかかるし、実をつけるまで4〜5年かかる。そんな時に花巻市のグリーンツーリズムで大迫に出会ったのです。ここではもう実をつけている木がそのまま畑にあるので、すぐに取り掛かれる。花巻にはもう親も実家もなく、自分としてはUターンというよりIターンという気持ちで大迫にきました」
2016年は会社を休職して1年間ぶどう作りの基本を教えてもらい、その年末には退職して完全移住。予定より少し早い57歳の時だった。そして2017年から本格的にぶどう農家デビューとなった。
1年間基本的なぶどう作りを教わったとはいえ、農家は年ごとの天候や気候、土壌状態、病気などに左右される。昔からの農家は経験や勘により枝や実の剪定、追肥、水の管理やビニールの屋根掛けなどを行うが、佐藤さんは全くの未経験だからそれがわからない。周囲の農家に相談したり、アドバイスを受けたりしながらも、エンジニア時代のノウハウを活かすべく、自分なりの工夫を始めた。
「元々技術者だったので、当時から新製品開発のために実験を重ねてはデータを取ることが仕事でしたから、同じ『ものづくり』であるぶどう作りも同じだと考えました。データを取り、分析して対策を考える。それを試してまたデータを取る。ぶどう作りは1年スパンの仕事なので、1年ごとにPDCAを回す形です」
管理しているデータを見せてもらった。それぞれ基準となる定義やパラメータが定められている。
まずは畑や樹の管理。畑に並ぶ1本1本の樹を列と行でマトリックス管理し、それぞれの樹勢や病気の有無などをチェック表にしていく。そして別の表では樹から伸びる梢の本数や間隔を、その樹勢に合わせて調整し、表に落とし込んだ上で剪定していくのだ。
梢の間隔は1cm単位で細かく調整していく。そしてそれぞれの樹になる実の房数を数え着房率を計算。収量予測を立てていく。その予測と実績の差異を埋めるのが翌年の取り組みとなる。そのほかにも、これまた1本1本の樹の病気や欠損なども同じように表にまとめていく。その表作成は品種ごとに行なっていくという。剪定や着房確認、追肥、ビニール屋根掛けなどの畑仕事のたびに樹を観察し、手作業でデータをとっていく。
「それぞれの樹の状況やポテンシャルに応じて収穫量を増やしていきます。樹勢が強い樹は梢を増やし、適度なストレスを与えたり。果樹栽培は選択と集中が基本なので。畑も地形と地下水の関係で、場所により水持ちが違ったりするので、そこには水に強い品種に変えたり。そういう取り組みを5年間やってきて、収穫量が安定してきています。データに乏しかった最初の1~2年はそういうことがわかりませんでしたね」
一方で気象データも欠かせない。過去40年、30年、20年、10年平均をそれぞれベースとし、平均気温、最低気温、最高気温、日照時間、降水量、風速など、過去の気象データと栽培暦を収集加工し栽培日程表を作成。ワイン用ぶどう栽培支援情報システムやアメダスのリアルタイムのデータも併せて記録していくのだ。大きくは積算温度、積算降水量というデータで判断する。平均気温や平均降水量との差を積算していく数値だ。ぶどうは最低気温と最高気温の差が大きければ大きいほど品質がよくなる。また夏場からは降水量が少なければ少ないほど糖度が増すから、データを見ながら樹が枯れるギリギリまで徹底して水を与えない。水管理やビニール屋根掛けのタイミングなどもデータで細かく対応していく。
「ワイン用ブドウ栽培支援情報システム」日本ワインの競争力強化コンソーシアムが運用
前年のデータを元に翌年の計画を立て(P)、計画通り作業を進める中(D)で、前年までのデータと比較しつつ(C)取り組みに修正を加えていく(A)。その結果がまた翌年に生かされる。年を経るごとにデータは蓄積され、歩留まりが上がって予想収量に実収量が近づいていって収量UPにつながる。同時に木々の性格がわかってくると、それに対応する方策が立てられる。畑の中でも差がある土壌の違いも見えてきて、土壌改良にも対応できるようになり、病気や品質UPになり、化学肥料も使わなくて済む。毎年データを取り続けることにより、年々より良い品質のぶどうをより多く収穫でき、品質の良いワインを作れるようになってきた。
同町内のワイナリーにワイン作りを委託していた佐藤さんだったが、61歳になった2021年春からいよいよ自分のワイナリーの建築を始めた。ぶどうを作りながら半年かけて建屋とタンクなどの設備を約5千万円かけて揃え、2021年に作ったぶどうでワインを仕込んだ。そのワインは2022年春には出荷予定という。
今は離れて暮らす奥様もワインエキスパートの資格を取得し、首都圏での販売チャンネル開拓に取り組む予定とのこと。
この歳での大きな投資だが、佐藤さんに迷いはなかったのだろうか。
「ここでのぶどう作りはこれから20年できるかどうかだと思ってます。ただ、自分が工夫してきたぶどう作り、ワインづくりのメソッドやハードは、経験がない後継者にもそのまま引き継ぐことができる。私の取り組みを自分で『スマートワイナリー』と呼んでいますが、そのマニュアルさえあれば、新規就農者にもハードルが低くなるのではないかと考えています」
データを生かし、PDCAを回す新しい農業の取り組みは、ぶどう農家、ワイン作りだけではなく、後継者不足に悩む第一次産業すべてに生かせるのではないだろうかという感想を持った。通常は定年退職して第2の人生を歩み始める年齢での大きな挑戦。佐藤さんの顔が眩しく見えた。新しいワイナリーから出荷されるワインを早く味わってみたい。
岩手県花巻市大迫町 佐藤葡萄園 佐藤 直人(さとう・なおと)氏
1961年花巻市生まれ。大学入学と同時に花巻を離れ、大学卒業後は医療機器メーカーのエンジニアとしてヨーロッパやアメリカ、アジアなど世界各地に赴任。2016年、会社を退職して大迫町に移住し、ブドウ農家に。自家ワイナリーを建設し、2022年4月に初出荷する。
スマートワイナリー大迫佐藤葡萄園ECサイト(ポケットマルシェ内)
聞き手:北山公路(きたやま・こうじ)
1960年岩手県花巻市生まれ、在住。盛岡の老舗印刷会社役員を経て2015年Office風屋設立。出版社などの書籍や雑誌のプロデュース&編集のほか、花巻市のプロモーションツールなど制作。2017年「マルカン大食堂の奇跡」(双葉社)執筆。2017年4月より、隔月で花巻まち散歩マガジンMachicoco発行。日本ペンクラブ会員。
(取材・TEXT:北山公路 PHOTO:北山公路/RealCreation 企画・編集:野島光太郎)
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