About us データのじかんとは?
JR東日本 MaaS・Suica推進本部データマーケティング部門担当部長の渋谷直正氏、そして三井住友海上経営企画部 部長 兼 CXマーケティングチーム長の木田浩理氏。前回の対談では、JR東日本が今まさにデータドブリンカンパニーへと変貌を遂げようとしている姿が垣間見られた。
対談はさらに「組織づくり」へと移っていく。トップデータマーケターの2人が口をそろえるのは、組織における人材の重要さだ。データドブリンカンパニーを実現するために、どのような人材が必要であり、育成すべきなのか。
木田 前回、渋谷さんは、Suicaのデータを利用してマーケティング施策に使える予測モデルをつくることに取りかかっていると話されていました。もう少し詳しく伺えますか。
渋谷 予測モデルを作るために必要なYとXをまず考えてもらうことから始めています。例えば、アイスクリームの売り上げを(Y)とし、この(Y)を予測するために、説明変数を4つ用いるとします。「その日の最高気温(X1)」「前日の売り上げ(X2)」「子供の来店数(X3)」「イベントの有無(X4)」などです。そういうことを当社のマーケティング施策でもやっていこうとしています。試しに過去のキャンペーンのデータを使って実際にやってみると、かなり精度の高い結果が出ました。
木田 実際にSuicaデータを用いた予測モデルがビジネスに使える精度が得られると分かれば、次は渋谷さん以外の他の分析メンバーも予測モデルを作り、様々なインサイトを生み出せるようになることが理想ですね。
渋谷 おっしゃる通りです。ただ、もちろんいきなりはできません。そこで、現場を含めたメンバーに「基本的に自分で手を動かして予測モデルをつくらなくていい。でも、考えてくれ」と言っています。良い予測モデルをつくるためには、良い仮説が必要です。「だから、XとYを考えてほしい」と。Yを決めたら、そのYを予測するために必要なXをたくさん考えるように求めています。その結果、良い仮説が集まり、良い予測モデルができるようになります。
Yを設定してXを考えるだけなら、分析や集計などの手を動かさなくてもできます。実際に手を動かすのは、常駐している協力会社の社員にお願いしています。彼らから結果を納品してもらった後、社内で読み解くということをやっています。つまり実際に手を動かす分析スキルは不要で、考え方とアイデアが勝負ということです。
さらに、私はメンバーに「数学やプログラミングは要らない」とはっきり言っています。その結果、メンバーは安心してデータと向き合えています。今、いろいろな部署やテーマで予測モデルづくりに取り組んでいます。「予測モデルを使うとマーケティングが楽しくなる」ということを、みんなに実感してもらっている状況です。
木田 今のお話に出てきたような「X」とか「Y」を、数学と捉えてしまうと、一般の社員は気後れしてしまうこともありますね。特に「文系」の人にとってみると「苦手な数学」と感じてしまうと、多くの人がデータ活用から脱落してしまいます。「自分とは関係のない世界の話だ」と思われないように、挑戦するハードルを低くしてあげることも必要だと思います。
渋谷 いま、私は、当社のマーケティング人材に必要な分析レベルとスキルセットを定めようとしています。ここでは、シチズンデータサイエンティスト、すなわち普通のビジネスパーソンが目指すべきゴールや範囲を決めるべきだと考えています。ビジネスパーソン中には、「Python(データを活用するためのプログラミング言語)を勉強しています」といった人や、「SQLが書けるようになりたいです」と語る人もいます。ただ、それができれば便利ですが、習得するのはかなり大変です。
私は一般の事業会社で求められるレベルは、まずは「予測分析などを提示でき、結果を活用して施策を立案できる」程度でいいと思っています。AI(人工知能)や予測分析で何ができるかを概念的に理解し、ユースケースを知っている程度、つまりシチズンデータサイエンティストでいいのです。もちろんそこから先の最先端手法や高度な分析を自分でできる人はやればいいと思っています。
「予測分析などを概念的に理解していて、専門家に指示でき、結果を活用して施策を立案できる」というのは、木田さんが表現されている「ビジネストランスレーター」に当たると思います。
木田 シチズンデータサイエンティストならここまでできればいいという目安を明示していることが素晴らしいと思います。それを知っていれば、「自分ならここまでなら分析スキルを習得できそうだ」というモチベーションにもなりますし、こういうスキルの目安があれば実際に外部分析業者の常駐しているスタッフなどにも、「ここまでできますか」といったように気軽に聞くことができます。スキルセットが分からないと、課題解決のためにデータ分析が必要となる際、組織の誰にお願いすればいいかも迷ってしまいます。
渋谷 料理も同じです。自分で料理できなくても、こんなものが食べたいからつくってほしいと依頼することはできます。JR東日本では、最終的には「BAツールを使って自分で予測分析できる」レベルを目標にしています。つまり、便利な調理器具を使って、自分でも簡単な料理は作れるレベルですね。まだ取り組みを始めたところなので、現状は、その2段階下の「BIツールを使って集計・可視化」ができるレベルですが、具体的な目標をもって実際に取り組みながら実現していこうと思っています。
木田 当社(三井住友海上)では、外部企業から分析スタッフに常駐してもらっている一方で、Pythonなど使ったプログラミング言語の習得を大学と連携して実施しています。ただ、難しいのは、学んだプログラミング言語を現場で使えるかという点です。現状は、各部門から社員を選抜し教育しているのですが、学んで帰った後に使えるツールやデータがない。さらに大きな問題は、ビジネスでデータを使う文化自体がその部署にないということです。結局、学んだことを生かすことができず、いつか忘れてしまいます。
渋谷 それはもったいないですね。
木田 結局、研修の仕組みだけつくっていても駄目です。プログラム参加者のスキルを向上させると同時に上司の理解を促進することも大切です。データ分析を理解していることが管理職層の条件になっている企業もありますし、人事制度の設計自体も変えていくべきであると思います。これまでの業務の評価軸で測るのではなく、新しい価値を生むかどうかで評価されるべきです。そのためには会社全体を変えていく必要があります。
渋谷 データサイエンティストの守備範囲を考えると、ビジネスの世界の課題を数理問題に翻訳し、それを解くことです。ただし、そこで大事なのは解くだけではなく、それを実装して、ビジネスの施策に落とし込むことです。その点では、ビジネスを知っている人こそ、データサイエンティストになるべきなのです。数理問題が解けるだけではなかなかビジネスに貢献できません。
木田 その通りですね。営業担当者でも経理担当者でもいい、そういう人たちが自分の業務に関連する課題感を持ったまま、それを解決するために必要な数理問題の知識などを身に付けたら良いと思います。どういう課題を解く必要があるか、それをどう施策に落とし込んだらよいかは、データサイエンティストより現場の担当者の方が詳しいわけですから。
渋谷 データサイエンティストと言うと、「Pythonができます、SQLが書けます、論文が読めます」といった人を採用しがちです。しかし、数理しか分からないと、企業の現場で的外れなアウトプットをしてしまうことになります。だからこそ私はシチズンデータサイエンティストが必要だと明言しています。専門家でない人が、Excelを使うようにデータを分析できるのが望ましいと考えています。これがまさに「データ分析の民主化」だと思います。みんながPythonを使うのが民主化ではありません。
木田 私は、そもそも自分はデータサイエンティストではなくて「データマーケター」だと思っています。ビジネスを変革するにはマーケティングは切り離せませんし、マーケティングにはデータが欠かせません。「ビジネストランスレーター」とも表現していますが、社員には「ビジネストランスレーターになら自分もなれる」と感じてもらい、その上で、さらに統計を学んだり、BIツールなどに触れたりするようになるだけでも、だいぶ会社が変わると思います。
渋谷 先ほど述べたように、「数学は要らない」と言い切ることによってビジネスパーソンのハードルを下げることができますし、裾野が広がるのです。
さらに、Pythonを使った分析などの手法は必ずコモディティー化します。むしろその人しか持っていない業務経験、アイデア、課題意識から、それを解くためのデータを選んできて、分析する方が競争の源泉になるはずです。そして、これができるのはやはりシチズンデータサイエンティスト側の人材なのです。
木田 私はデータ分析を成功させるための「5Dフレームワーク(Demand・Design・Data・Develop・Deploy)」を提唱していますが、その中でも、1、2番目のDemand(要求)とDesign(デザイン)が特に重要だと考えています。相手の要件を聞いてニーズを引き出し、その解決策を提示できる力です。どんなデータを使ってどのようなものをアウトプットし課題を解決するのか。さらにそのために相手をどう巻き込むのか。そこまでをきちんと考えないと、データを分析するだけでは成果につながりません。
渋谷 そこを考えないと本当に数字遊びで終わってしまいます。コストも無駄になります。
木田 だから、高いコストをかけて外からデータサイエンティストを雇うのだったら、自前の社員を育成する方がいいのではないかと思っています。
渋谷 社内には自社の事業が好きで、詳しい人がいますからね。確かに、そういう人を生かす方が、価値が出ますね。ただし、内部登用には限界もあります。時には外部から採用せざるを得ないこともあるでしょう。そこで、日本独自の課題もあります。今、日常的にデータを扱うような先進的な会社で働いている専門人材の中には、事業会社に行きたいという人は一定数います。ただし、それらの先進的な企業と日本企業を比べると、給与やキャリアステップがあまりに違いすぎる。これを突き詰めると、総合職型の人事体系とジョブ型の人事体系の違いに行き着きます。
欧米では昨日まで最先端のIT企業で働いていた人が今日から伝統的な小売り業で働いているといったことが珍しくありません。ベンダーやコンサルなどの支援企業と、リアルの商売を行っている事業会社の人材の流動が活発なんです。でも日本では、それはなかなか起こらない。給料が減るし、キャリアパスも描けないからです。さらに、これは多くの会社で体験していることだと思いますが、せっかく苦労して自社の社員をシチズンデータサイエンティストに育てても辞めてしまうことがあります。
木田 確かにそうですね。本来、シチズンデータサイエンティストを育成したら、その人が活躍できるように、社内での価値を高めてあげないといけない。もしかすると本当は可能性のある人材は社内にすでにいるかもしれません。日本企業特有の仕組みや制度によって流動性が低く、そのような人材を生かせていないことは、日本全体にとってもとても残念なことです。
渋谷 この問題は待ったなしだと思います。専門職としてキャリアを磨いていける道が用意されている人事制度が必要です。大手企業の一部はようやく取り組みを始めましたが、まだ緒に就いたばかりです。
木田 当社はジョブ型の人事制度を、2021年から取り入れています。データサイエンティストについては、「スペシャリスト」として扱っています。
渋谷 それはすばらしいですね。
木田 まだ始まったばかりですが、経営トップが率先して取り組んでくれるので新しい変化が起きています。このような取り組みを社内外で発信することも大切です。それによって、役員をはじめ管理職の理解が進み、意識も高まります。また、若手社員や社外の優秀な人材が「三井住友海上でデータを扱う仕事をしてみたい」と思ってくれるようになるでしょう。
2002年に日本航空に入社し、09年からWeb販売部に。月間2億ページビューに上るJALホームページのログ解析や顧客情報分析を担当。顧客の閲覧傾向に応じてお薦めするコンテンツを使い分け、購入率をアップするなどの成果を上げた。14年、日経情報ストラテジー誌による「データサイエンティスト・オブ・ザ・イヤー」受賞。19年からデジタルガレージに移り、グループ全体でのデータ活用を推進するためCDOに就任。その後、21年6月より東日本旅客鉄道 MaaS・Suica推進本部 データマーケティング部門担当部長。統計解析や実務に役立つ分析手法に詳しく、総務省統計局などの講師・講演多数
慶應義塾大学総合政策学部/同大学院政策・メディア研究科出身。NTT東日本・SPSS/日本IBM・アマゾンジャパン・百貨店・通販企業等を経て2018年に三井住友海上にデータサイエンティストとして入社。2021年10月より現職。一般社団法人データサイエンティスト協会 理事も務める。様々な業界で営業・マーケティング・データ分析を経験。顧客視点に基づいたCRMやマーケティング分析、データを用いた新規ビジネス開発が専門。著書に「データ分析人材になる。めざすはビジネストランスレーター」(日経BP社、2020)
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣/下原 PHOTO:Inoue Syuhei 編集:野島光太郎)
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