ホフステードの6次元モデルは、人々の価値観が国民文化によってどのように異なるかを6つの次元(ものさし)でスコア化したものです。グローバルなスケールでデータを扱う際、特に人々の意識や動向に関わるものの場合は必須のデータベースといえます。さらに異文化間のコミュニケーションや組織マネジメントといった観点からも大きな示唆を与えてくれます。(第3回)
前回は、ホフステードの6次元モデルの「権力格差」についてみてきました。今回は「集団主義/個人主義」です。
① 権力格差(小さい/大きい) ② 集団主義/個人主義 ③ 女性性/男性性 ④ 不確実性の回避(低い/高い) ⑤ 短期志向/長期志向 ⑥ 人生の楽しみ方(抑制的/充足的) |
Power Distance(Low/High) Collectivism/Individualism Femininity/Masculinity Uncertainty Avoidance(Low/High) Short term/Long term Indulgence(Restraint/Indulgence) |
それでは、さっそくスコアを見てみましょう。日本のスコアは46で、前回の権力格差と同様に世界のなかで中間に位置しています。これには意外と思われた方も多いのではないでしょうか。長い間、わたしたちは日本は集団主義の国だといわれてきたからです。
私見ですが、この認識のずれの要因のひとつに戦後の日本社会が米国をベンチマークしてきたことがあるのではないでしょうか。世界で最も個人主義が強い米国と比較すれば、相対的にはどうしても集団主義の社会に映ります。日本についてはのちほど詳しく考えてみたいと思います。
ホフステード・インサイツ・ジャパンのファウンダーである宮森千嘉子氏は、著書『経営戦略としての異文化適応力』のなかで、「内」集団が集団主義を理解するキーワードであると述べています。
ひと言でいえば、集団主義の国は、内集団への依存度が高い社会なのです。そして、どの範囲を内集団と捉えるかは、国民文化によって決まります。
人は内集団のなかに生まれて、その集団に忠誠を誓うかぎり保護されると考えられています。「私たちは」という視点で物事を考えるためアイデンティは ”We” になります。内集団と外集団では価値観の基準が異なると考え、内集団の「外」に対しては排外的な態度を取ります(「われわれ」と「やつら」)。
集団主義社会の理解のキーワードは「内」集団 |
集団主義の国は、内集団への依存度が高い社会 |
人は内集団に忠誠を誓うかぎり保護されると考えられている |
内集団と外集団では価値観の基準が異なると考え、外に対して排外的になる(「われわれ」と「やつら」) |
集団主義の社会では、内集団のなかでの対立は避けるものとされています。相手の顔、面子をつぶさないように顔色をうかがい、意図を推し量ることが求められます。結果として間接的なコミュニケーションが主流となり、コンテクスト(状況)に依存します。
集団主義の国は、中国、東南アジア諸国、中東諸国、中南米諸国などです。
集団主義では、間接的なコミュニケーションが主流となり、コンテクストに依存する |
個人主義の国は、内集団からの独立性が高い社会です。個人のアイデンティは “Self, I” すなわち私であり、個人として社会とつながっています。内と外とを分けずに、すべての人に対して同じ価値観が適用されるという普遍主義的な考え方がベースになっています。
個人主義の社会では、意見の衝突はさらに高い次元の実りある結果につながると考えられるため、対立を避けるという力学は働きません。結果として、明白でストレートなコミュニケーションが行われ、コンテクストには左右されにくくなります。
個人主義の国は、米国・英国・ニュージーランド・カナダといったアングロサクソン諸国、EU諸国などです。
個人主義の国は、内集団からの独立性が高い社会 |
個人主義では、直接的なコミュニケーションが主流となり、コンテクストに依存しない |
ここからは、具体的な事例として中国をみてみましょう。冒頭のスコアをみて、中国が集団主義の国というのをみて、意外の感に打たれたビジネスパーソンも多いのではないでしょうか。事実、筆者もその一人です。
中国でビジネスをしていると、仕事ぶりはかなり個人ベースですし、ジョブホッピングも普通です。会社を内集団と捉える日本の会社員の目から見ると、とても集団主義の人たちとは思えません。しかし、これは互いの内集団がすれ違っているだけなのかもしれないのです。
中国の人が日本の駐在員のように会社を内集団の単位と捉えることはまれです。彼らにとっての重要な内集団は家族や血縁、コネといった個人的な人間関係です。そして、その内集団内の依存度はきわめて高いことをスコアは示しています。チャイナタウンが世界各都市にあることも、この文脈で説明することが可能でしょう。
日本の駐在員には会社が内集団 |
中国人にとっての内集団は家族や血縁、コネといった個人的な人間関係 |
冒頭に述べたように、日本は集団主義の社会だと考えている人が特に年齢の高い層に多いと思います。しかし、これはある種の「神話」ではないでしょうか。以下は、筆者の仮説です。
戦後、良い大学を出て、良い会社に入ることが人生の望ましいコースになりました。会社は、忠誠を誓うかぎり「終身雇用」「年功序列」などの仕組みによって社員を保護しました。この構造は、集団主義の内集団のあり方そのものです。
そこに、高度成長期から80年代のバブル期に至るまでの強烈な成功体験が重なりました。それを支えたのが集団主義的な働き方であったため、わたしたちは日本人は集団主義であると確信するようになりました。当時、家庭を顧みない働き方が正当化されたのも、会社という内集団の強さを物語っているでしょう。
しかし、今世紀に入り労働環境の規制緩和が進むと(指定管理者制度(2003年)等)非正規で働く人が増え雇用が流動化しました。その結果、こうした内集団としての会社というのが「幻想」に過ぎなかったことが次第に明らかになってきたのが現在といえます。
こうしたことから、いわゆるZ世代の間では、ひとつの会社に勤め続けようと考える者はほぼいないといわれています。集団、特に会社という組織に対する世代間の意識が大きく乖離してきているのです。
ホフステード博士によれば、個人主義の強い国ほどインターネットやeメールの使用が多い傾向があるといいます。昨年、ツイッター社のCEOにイーロン・マスク氏が就任した折に、「ツイッターはアメリカ中心に見えるかもしれないが、むしろ日本中心だ」と述べ、日本のSNSの利用が活発なことに言及していました。
同調圧力の息苦しさがいわれるように、行動様式や認識のうえでは日本社会は相変わらず集団主義のように思われます。そのいっぽうで、上記のSNSの利用状況にみられるように、あるいは引きこもりなどの社会的孤立が問題となっているように、個々人のレベルではきわめて個人主義に傾いている可能性があります。
そうした視点からもういちど冒頭のスコアをみてみると、日本の中間的なポジションは、集団主義と個人主義のどちらでもない、わたしたちのアンビバレントなあり方を反映しているように思えてきます.
ホフステード博士、およびホフステード・インサイツ・グループについて オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステード博士(1928 – 2020)は、1960年代の後半から「国民文化」という曖昧な対象をモデル化する研究に着手しました。その成果は半世紀以上にわたって引き継がれ、現在ではホフステード・インサイツ・グループが100か国以上の国と地域の文化スコアを開発し、それを活用して企業などの組織のグローバル対応支援を行っています。 |
書き手:下平博文
事業会社において企業理念(Corporate Philosophy)を活用した組織開発、インターナルコミュニケーション等に携わる。2018年よりフリーランスのライターとして活動。
(著者:下平博文 編集:藤冨啓之)
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