田口紀成氏は、ITエンジニアを経てIT企業経営を経験した後、製造業のコスト最適な自動化を支援する株式会社FAプロダクツの経営に携わっている。オウンドメディア「Koto Online」の編集長も務めるITとFAの専門家であり、約60社の企業インタビューを経て「DXに成功する企業は、流行のイメージや曖昧な定義に惑わされず、DXは企業存続・成長の手段として割り切る視点を持っている」と実感を述べた。その視点があってこそ、幹部層やマネジメント層がチャレンジに意欲的になり、マネジメント層・現場社員・市場(顧客)との距離を縮めることが可能になる。
株式会社FAプロダクツ 取締役会長 兼 オーナー 田口紀成氏
さらに数百人規模の会社の場合、最新のデジタルツールの活用方法は重要だが、それ以上に定量的な事業・業務評価を全従業員が認識し、自らの行動に結びつけられる仕組みを整えることが優先されると提言する。例えば表計算ソフトなど、従来のツールを活用して事業や業務の定量的評価(数字)を全従業員で共有し、どのようなアクションが事業にどんな影響を及ぼすかを議論する方が重要だという。
「経営の数字を身近なものとして感じ取ってもらい、個々の行動を目標達成に向け変えていくことが重要です。1000人以上の規模になればダッシュボードなどを活用した方がよいが、それ以下の規模では現状で使用できるツールで経営指標を従業員が理解しやすい形で提示することが求められます」
岡野バルブ製造株式会社は、発電所に欠かせない高温高圧バルブを初めて国産化し、国内最大シェアを持つ老舗企業だ。代表取締役社長の岡野武治氏は、「2011年の東日本大震災で売り上げが120億円から74億円へと急落、営業利益率は13%から2%に低下したが、その後のDXを含む事業再構築により、創業100年を迎える2026年度では売り上げ100億円にまで回復、営業利益率は震災前を上回る20%を見込めるまでに復調している」と語る。
岡野バルブ製造株式会社 代表取締役社長 岡野武治氏
市況の持ち直しによって業績は回復基調にあるが、事業基盤の強化に向けて推し進めているのがDXだ。しかし岡野氏は「デジタル技術はあくまで手段。DXの軸になったのは従業員の業務成果を見える化し、それをもとに従業員が経営の意識を持てるようにしたことです」と語る。デジタル化を進めるだけでは抵抗感が生じて意欲的に進める部門があったとしても部分最適にとどまることが多い。事業全体の定量的・客観的な指標を従業員が理解し、事業全体の再構築・底上げが可能なアプローチをつくることが重要だと語った。田口氏と同様に、デジタルツール活用よりも経営指標の見える化とその理解の重要性を強調した。
旭鉄工株式会社はトヨタ自動車グループを主要取引先とする部品会社である。IoTを駆使したカイゼンによる省力化・高速化により生産性30%向上、年間の収益10億円増を達成し、さらに電力消費量を、誤差1%以内でリアルタイム計算するデジタルツイン構築により電力消費量を42%低減するという成果も出しているなど、DX先進企業だ。
最近では生成AIによる「カイゼンの知能化」にも取り組んでいる。そうしたノウハウを外部に提供するi Smart Technologies株式会社を設立し、旭鉄工代表取締役社長の木村哲也氏が同社の代表取締役社長も兼務している。
i Smart Technologies株式会社・旭鉄工株式会社 代表取締役社長 木村哲也氏
カイゼンの知能化において、同社では生成AIを活用した『AI製造部長』の開発を進めている。『AI製造部長』は、生成AIが前日の工場の量産全ライン(200ライン)の稼働データを巡回して解釈し、稼働状況を◯△×や文章で評価して関係者に問題点やアドバイスなどを送信している。これにより、各ラインの責任者や関係者がその情報をもとにアクションを取ることが可能となる。さらに、現場責任者が見逃しがちなデータをAIが拾い上げることで、細かな改善を日々実行できる仕組みとなっている。
「毎月のライン稼動状況の数字や売り上げ、利益などの数字については、表計算ソフトで十分対応可能なケースも多く見られます。しかし、工場の全ラインのリアルタイムなIoTデータを人間が確認して分析することは難しい。日々の細かな改善を積み重ねていくためには、新しいデジタルツールを目的や規模に応じて適切に選定し、必要に応じて活用すべきです」
成功へ導くためのポイントとは何かという問いに対し、田口氏は「業務部門がマーケットとの接点を持ち、さらに経営との会話の機会を確保しているか。これが、DX成功の鍵になります」と語った。
田口氏によれば、業務部門がマーケットを観察し、適切なビジネスモデルを構築。その後、経営陣との会話を通じて必要な投資を獲得し、新しいビジネスモデルを成立させる。この一連の流れこそが、DXの成功を左右する重要な要素であるという。現場・経営・マーケットが密接に連動することの意義を強調し、DXが単なる技術導入にとどまらず、組織全体の連携を求めるものであることを示した。
では、既存事業に目を向けた場合、その成功の条件はどのように異なるのだろうか。田口氏は次のように指摘する。「既存事業においては、DXの導入によって利益が爆発的に向上することは期待しにくい。しかし、それでもどこまで改善できるかを慎重に検討し、成長が見込める部分に投資を集中させる。一方で、伸びが期待できない部分については割り切った判断が必要です」。
つまり、新規事業であれ既存事業であれ、事業成長の可能性を見極め、デジタル技術の導入を含む投資を適切に配分する判断力が求められる。DXが単なる技術革新にとどまらず、事業の選択と集中を促す経営戦略の一環であることを示唆した。
岡野氏は、「従業員が経営的な観点を持つことが基本となるべき」と、経営指標を従業員が理解することの重要性を重ねて強調。続けて、「会社側が従業員に数字の理解を促す努力をすることも必要ですが、それ以上に、従業員が指標を見て『何をすべきか』を自然に考えられるような情報提供を行うことが肝心です」と述べた。
例えば岡野バルブ製造では、DXが進んでいるメンテナンス事業部において、経営指標を「売り上げ」「利益」「稼働率」の3つに絞り込んでいる。このように指標を厳選することで、従業員が具体的な目標を持ちやすくなり、行動が促進されるという。指標を多く設定しすぎると情報が複雑になり、従業員の理解を妨げる可能性がある。そのため、指標をシンプルに絞り込むことが重要だとする。正確に理解されてこそ従業員の行動が変容し、指標の達成に向けたアクションにつながるという。さらに、岡野氏は次のような課題にも言及した。
「DXを強調しすぎると、従業員に不安を与える場合もあります。この不安感に対して、どのような言葉でDXの必要性を伝えるか、また不安要素を取り除くかが重要です」(岡野氏)
「DXはやってみないと分からない」。この言葉で木村氏は、DXの本質を端的に表現した。旭鉄工では、DXがどのような効果をもたらすのか事前に確信が持てない状態でも、さまざまな取り組みを始めた。その結果、収益が年間10億円向上するという成果を得た。こうした成功は、当初から予測していたものではなく、行動を起こした後に初めて得られた。さらに最近では、生成AIを活用したQ&A機能や講演要旨作成機能(通称「AIキムテツ・本人専用」)の開発により、個人業務の効率化を実感している。これもまた、生成AI活用を始める前には予想できなかった効果だという。その上で次のように指摘する。
「DXに関する投資の前に、投資が回収可能かどうかを考えすぎて行動をためらうケースが多い。しかし、行動せずに投資効果を明確にすることは不可能ではないだろうか」(木村氏)
この言葉は、DXにおいて事前のリターン予測に固執しすぎることが、行動を阻害する要因になり「後れをとる」結果になり得ることを示唆している。木村氏はさらに続ける。
「DX成功企業は、リスクとリターンを定量的に把握しています。これは、チャレンジしなかった場合の自社の行く末を把握していると言い換えてもよいでしょう。既存事業の未来に不安を覚える業界や企業では、現状維持によるリスクを強く感じています。そして、何かを始める際のコストは理解できているものの、リターンの程度を完全に把握しているわけではありません。失敗はあって当然という前提のもと投資を行い、結果として成功したものが残っているというのが実情でしょう」(木村氏)
DXが単なる流行語にとどまらず、業界全体の真の変革を促すためには何が必要なのか。この問いについても、登壇者の議論が展開された。
まず、大きな変革を恐れる従業員の意識変容が必要だと指摘したのは岡野氏である。同氏によれば、岡野バルブ製造のような老舗企業では、既存事業の維持・発展に重点を置くあまり、新しいビジネスモデルの創出に対する機運が盛り上がりにくい傾向があるという。岡野氏は、「この意識をどのように変えていくかが大きな課題。DXはやってみなければ分からない部分が大きい。まずは行動してみて、その過程で考えを深めていくアジャイル的な思考法への転換が必要」と語った。
次に田口氏は、現在の情報過多な環境において、自動化とともに生成AIやITを活用し、人間の作業を補助・拡張する取り組みが業界や産業の変革に寄与するのではないかと述べた。「経営層だけでなく従業員も含めた全員が、経営指標やマーケットの要望を理解してこそ、新しいサービス開発をブーストしていくことができます。それには生成AIが非常に強力なツールとなります」と述べた。ものづくりの現場に、ITや生成AIを活用してデータをもとに未来を考える力を持つ人材が増えることで、結果的に業界変革が促進されるという可能性を語った。
木村氏は、何もしないことのリスクに目を向ける重要性を説く。「自動車産業の未来が必ずしも明るいとはいえないことを自覚し、当社ではリスクを避けるために新しいことに積極的に取り組んできた」と語り、DXが「何もしないリスク」を回避するための手段として捉えるべきだと指摘した。
株式会社INDUSTRIAL-X 代表取締役CEO 八子知礼氏
最後にモデレーターの八子知礼氏が、オーディエンスに向けた一言を求めた。
田口氏は、「DXという言葉に踊らされるのではなく、コミュニケーションを通じて情報を集め、仮説を立てて検証を重ねることが重要です。生成AIはそのプロセスを助けるツールとして活用できるでしょう。そうしたアクションを起こし続けることで、一定の確率で成功がつかめるはずです」と述べた。
木村氏は、「まずはやってみることが大事。生成AIは遊び感覚で試してみるところから始めてもいい。そこからビジネスで使えそうな可能性を見いだす感覚を育てることが有効です」と提案した。
岡野氏は、「DXに取り組む中で失敗は避けられない。当社も10年以上失敗を積み上げてきたが、その経験が変革に役立っています。変革に本気で挑戦する企業と協力し、経験を共有し合うことで、より面白い未来を築けることでしょう」と述べた。
八子氏は議論をまとめ、「パネリストの皆さんはオーナーシップを持ち、腹をくくって変革に挑戦してきた人たちです。その共通点は、失敗を恐れず行動し続ける姿勢にある。デジタルであれアナログであれ、まずは総力を挙げて行動してみることが重要であると分かりました」と締めくくった。
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