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今年に入り、ロシアによるウクライナ侵攻はますます苛烈さを増している。一方では中国とアメリカのせめぎ合いや北朝鮮の問題、そしてアフリカで続く内戦など、いま世界のあちこちで、新たな国家間の課題が持ち上がり進行中だ。そうした状況下で、国の領土保全と政治的独立、国民の生命・財産を外部の脅威から守る安全保障への取り組みは、かつてないほど重要性を増していると言えよう。
加えて近年は、グローバリズムの広がりに伴い、政治や経済における利益保護の動きが一段と活発になってきている。国家の利益を、かつてのように軍事的手段に頼るだけでなく、外交や経済力を用いて守る「総合的安全保障」へと時代の要請は変化しつつあるのだ。
では、そもそも安全保障という概念が盛んになってきたのは、いつのころからなのか。長く公安調査庁で中国、北朝鮮、ロシアなど諸外国の情報収集・分析(インテリジェンス)業務を手がけ、退官後は経済安全保障をメインテーマに、幅広い研究・啓蒙活動を行っている藤谷昌敏氏は次のように解説する。
「第一次世界大戦以前は、自国の安全を軍備増強と軍事同盟によって守る、『個別的安全保障』という考え方が主流でした。しかし、第一次世界大戦で航空機が発達したことにより、それまで陸と海の戦いであった戦争に空も加わるようになってきた。つまり、戦争が三次元の戦いになった結果、被害は爆発的に増え、多数の民間人をも巻き込む熾烈な戦争になりました。また第一次世界大戦は、民間人の殺傷によって戦略物資の生産能力を下げるということを、初めて戦略的に行った戦争とも考えることができます。その反省から、大戦後につくられた国際連盟で採択されたのが『集団安全保障』の制度です」
しかし、国際連盟は立ち上げの旗振り役となったアメリカが不参加。さらに、集団安全保障の制度そのものに多くの問題点があり、各国の離脱を招く結果となってしまった。形骸化した国際連盟はその役割を果たせず、世界は第二次世界大戦へと突入していった。
「このため、第二次世界大戦後に設立された国際連合では、安全保障理事会をつくり、そこに権限を集中することで、加盟国全体で軍事的強制措置を行使できるよう強化されました。それは現在も生きていますが、肝心の常任安全保障理事国として世界平和を維持するべきロシアがウクライナに侵攻し、一方では、中国による台湾有事の脅威も高まってきています。現代の安全保障は危機的状況にあるというのが、私の認識です」
中国の台頭、イスラム原理主義によるテロリズム、さらにはCOVID-19のパンデミックなどによって、世界はかつてのアメリカによる一国支配という状況から、徐々に変化しつつある。流動する世界情勢のもと、新しい安全保障のありようが注目される中で、日本が決して避けて通れないのが「経済安全保障」の考え方だ。経済安全保障については、すでに同志社大学の教授である村山裕三氏が以下のように定義している。
「『経済安全保障』は、国家の経済的側面の安定や発展を阻害する脅威に対して『対処』すること。あるいは、そうした脅威を『抑止』すること。あるいは、脅威をもたらす対象に対して強制的な手段を含めた働きかけを行うことを含む包括的な概念である」
これを踏まえて藤谷氏は、「現代の日本において、経済安全保障は非常に重要な取り組みだ」と強調する。その理由は、日本が「永久に持たざる国」だからだ。
「日本は、エネルギーや戦略物資の産出がほぼゼロの資源小国です。GDP世界3位となった今でも、その脆弱性に変わりはありません。いざというときに危機的状況に陥らないためにも、経済安全保障を進めていくことは必然にして必須の課題なのです」
では具体的に、どのように取り組みを進めていけばよいのだろうか。東京大学公共政策大学院教授の鈴木一人氏は、経済安全保障には以下の3つのポイントがあると語っている。
とりわけ1つ目の「サプライチェーンの安全保障」が日本の経済安全保障の要となると藤谷氏は示唆する。グローバル企業は世界各国から原料を仕入れ、付加価値をつけた商品を生産し、最も利益の上がる地域で販売している。このサプライチェーンが寸断されれば、販売する商品がなくなるだけでなく、国際競争力のある商品でも、すぐに他国が開発したものに取って代わられてしまうだろう。
「例えば、COVID-19のパンデミック発生当時、中国の工場が閉鎖したことでマスクなどの衛生用品が枯渇し、国民生活に影響が出たことは記憶に新しいでしょう。また2010年に起こった中国の漁船体当たり事件のときは、中国側のレアアースの輸出停止を受けて、モーターなどの生産が停滞する不安がありました。これらを教訓に、今後は代替する輸入国を分散することや、代替物の開発などを行うことが、サプライチェーンの安全保障につながります」
2つ目の「技術不拡散」に関しては、「とくに技術流出についての懸念が大きい」と、藤谷氏は指摘する。
「日本経済が落ち込んだ理由の1つに、私は技術流出があると考えています。技術流出が続くと国益や国家的威信、経済力が失墜し、ひいては国民の生活にも大きな障害が出るようになります。さらに、大量破壊兵器や高度な通常兵器につながる技術が漏えいすると、単に日本だけの問題ではなく、世界の平和にも重大な影響を及ぼします。アメリカに頼ることができない今、とくに東アジアの安全保障という観点からも、技術の不拡散は今後さらに重要なファクターとなっていくはずです」
そして3つ目は「他国からの規制」だ。外国から経済制裁を受けると物資の輸出入が止まり、自国に資源のない国家の経済は破綻へと向かっていく。日本も第二次世界大戦直前に、ABCD包囲陣*によって石油の輸入を止められ、その「窮状打開策」として太平洋戦争に突き進んでいった。また近年では中国のウイグル人への人権侵害に対して、アメリカが新疆ウイグル自治区でつくられた綿製品などを輸入しない大統領令を発し、日本の株式会社ファーストリテイリング(ユニクロ)の貨物が差し止められた例もある。
「いまの日本は、アメリカと中国のはざまに立っています。こちらの主張にかかわらず、米中の規制によっていつでもこうした制裁を受ける可能性があることを、日本政府も、企業も、私たち国民も常に胸に刻み、不測の事態に備えておく必要があるでしょう」
※ABCD包囲陣:第二次世界大戦の開戦前、アメリカの対日石油輸出の全面禁止を始め、大陸進出など日本の膨張政策に対抗した米英中蘭印が連携して経済制裁を行ったこと。
「2022年は、日本にとって経済安全保障元年といえる年になった」と、藤谷氏はいう。その大きな理由が、「経済安全保障推進法」の制定だ。この法律には、主に4つの柱がある。
「実際に稼働するのはもう少し先のことになると思いますが、私は、この法律の主体となる民間の力に大きく期待しています。経済を武器とした安全保障ですから、民間の協力なしには成り立ちません。企業が利益優先の経営を行うのは当然ですが、少し視点を変えて、これからの10年、いや100年を乗り切るためには何が大切かということを考えてもらいたいと思います」
続く2023年、政府は国家安全保障戦略における“新しい”経済安全保障の位置づけとして、「経済安全保障の推進に向けた体制整備」「わが国の基幹産業が直面するリスクの総点検・評価の継続的な実施」「サイバーセキュリティに関するリスクの対応」などを挙げている。その中でも藤谷氏がとくに重要視しているのが、サイバーセキュリティの問題だ。
「サイバーテロに対するセキュリティについては、今後さらに掘り下げて考えていく必要があるでしょう。私たち日本人にとって、サイバーテロという言葉はあまりなじみのない印象ですが、実際には日常的に起こっています。とくに、セキュリティに資金をかけることのできない中小企業が狙われている。一般に大企業はセキュリティ対策にも力を入れていますが、その子会社や孫会社は手薄なことが多い。そこにつけ込んで情報を盗まれるという事態が現実に起きているのです。今後はそういった中小企業の方々に、いかにセキュリティの重要性を理解してもらうかが、日本の経済安全保障を考える上で、とても大事になってくると感じています」
後編では、経済安全保障推進法において、重要な情報インフラと位置づけられたクラウドサービスの話を中心に、”新しい”経済安全保障について、さらに深く藤谷氏にお聞きしていきます。(後編はこちら)
藤谷 昌敏 氏
TOYA未来情報研究所代表
経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員
金沢工業大学客員教授
学習院大学法学部卒。法務省公安調査庁に入庁し、中国やロシア、北朝鮮などの外事関係、先端技術流出対策担当などを歴任する。金沢公安調査事務所長を最後に同庁退官。その後、合同会社OFFICE TOYA、TOYA未来情報研究所の代表に就任。2018年、北陸先端科学技術大学院大学を卒業し、2021年より経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、2023年より金沢工業大学客員教授。専門は経済安全保障全般、インテリジェンス、安全保障論、危機管理論など。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣/下原 企画・編集:野島光太郎)
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