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特集「CIOの履歴書」 CIOのミッションは「変革」にあり(前編) パナソニックホールディングス 玉置肇氏

当協議会では「CIOの履歴書」と題し、CIOとして活躍されている方々の「CIOに至るまでのキャリア」、「CIOの後のキャリア」について迫りCIOのキャリアについて考察するとともに、読者の皆様に「CIOの魅力」をお伝えできればと考えています。 第8弾となる今回は、P&Gファー・イースト・インク(現P&Gジャパン合同会社)、株式会社ファーストリテイリング、アクサ生命保険株式会社でCIOを務めた後、2021年5月にパナソニック株式会社CIOに就任された玉置さんのお話を前編、後編に分けてご紹介します。 日本の経済を再活性化するためにパナソニックのCIOを引き受けたと語る玉置さんのこれまでのキャリアやCIOに至った経緯、また、CIOというポジションの魅力についてお話しいただいています。

         

CIOに至るまでのキャリアについて

── 学生時代は猿の研究に没頭し、研究者の道を目指していたとお伺いしましたが、研究者以外の道を選択しようと考えられたきっかけを教えてください。

玉置氏: 大学時代は猿の研究者になると思っていました。毎日朝5時から山に登って猿に会いに行くという生活をしていて、周りの先輩たちもみんな研究者への道に進んでいる中、当たり前のように僕も研究者の道を目指していました。

ですが、研究資金もなく、研究者になる夢を自分で諦めました。

修士で研究をやめて、P&Gの経営システム本部に入社しました。猿の行動解析でシステムを使っていたので、自分からシステム系を選択しました。この選択が、この後の自分の人生を決めているわけです。

── 研究者の道を諦めた後、P&Gではどのように働かれていたのですか?

玉置氏: 最初の1年目は、学生時代に通っていた山を見ながら、「やっぱり山に帰りたい」と思い、毎日やめようと思っていましたね。

ですが、2年目の頃に、ある日突然、もう山には帰ることはできなくてこのままちゃんとサラリーマンとして生きていかなきゃいけないんだと思いました。

それまでは、ふっと見たら周りの同期はガンガン英語で話している中、僕は英語もわからず会議では座っているだけのダメダメ社員で、これはまずいと思って勉強し始めました。そこからがP&Gの本当のスタートだと思っています。

僕は、しゃべることが大好きなのですが、地位と言語と内容がないと誰も自分の話を聞いてくれないと気づきました。僕が一番嫌なことは自分の話を聞いてもらえないことなので、自分の話を聞いてもらうためにはどないしたらいいんかなと考えたら、「そうだ、偉くなったらいいんや」という結論になりました。

偉くなったら話を聞いてもらえる。偉くなるってパワーが違います。

それに気づいてからは、もう僕はしつこいので、一度こうなると思ったらずっとやるんです。

── CIOになろうと意識したタイミングはありますか?

玉置氏: CIOをやろうと思ったのは、P&Gで僕が一から十まで初めて自分で色んな方やベンダーを巻き込んで取り組んだ中規模ぐらいのSAPの導入プロジェクトが終わったタイミングでした。

僕がP&Gに入ったのは1993年ですが、1990年代2000年代の初頭ぐらいまで情報システム部門の地位は限りなく低い位置にありました。やはりマーケティング部門が強かったですね。当時は経営システム本部、マネジメントシステムディビジョン、MSDと呼ばれていたかっこいい名前の本部に所属しているものの、MSDの所属というだけで軽く見られるような状況でした。システムのトラブルが多く、何か大規模なプロジェクトを終えても経営層へのコミュニケーションはなく、システムが止まった時だけ表に出てくる、一番よくないパターンでした。入社して4年目くらいの頃、これは本当によくないなと思っていました。

転機になったのは僕が担当した購買か何かのSAPの導入プロジェクトで、それほど大きなプロジェクトではありませんでしたが、カットオーバーしたタイミングで、何を思ったか当時の日本法人のCEOボブ・マクドナルドさんにメールを送りました。無事カットオーバーしましたという趣旨の数行のメールを、自分の上司や同僚は全く含めず送ったんです。そうしたらボブは経営陣をCCに入れて、well-done!、congratulation!など、すごくいいことを書いた返信をすぐにくれました。

この返信をもらってもしかして経営者はもっとITに関する情報を入れてほしいのではないか、経営陣にもう少し歩み寄って行かないとだめなんじゃないかと思いました。CIOをやろうと思ったのは、その頃からですね。

CIOという職は当時の日本ではほとんど知られていませんでしたが、僕は知っていたので、経営の言葉でITを回すこともできるCIOという職、これになろうと思いました。

── CIOになろうと意識されてから、どんなことをされましたか?

玉置氏: その少し後にP&Gでも初めてCIOというタイトルが付いたグローバルの役員が経営ボードに入りました。それが本当に初代CIOだったと思うのですが、それからP&GでもCIOのポジションが定着してきました。だけど遠いですよね、我々末端の日本法人の社員とシンシナティの本社で。だけどいつかCIOの仕事をしたいと常に考えていて、僕なりにすごく努力しました。当然ですが、英語の習得については非常に努力しました。

英語のほかに、常に努力していることが3つあります。コミュニケーション、組織づくり、変革することの3つです。

1つ目のコミュニケーションは、当時からITの報告は経営者に向けて経営の言葉で全部書くようにしました。ほとんどの人はできないんですよね。訓練しないとできません。当時僕はまだ30代でしたけど、30代でITの報告を経営の言葉で経営陣に向けて発信できる人ってあんまりいないんじゃないかな。すごく努力していました。

2つ目は組織作りですが、基本的にはCIOは経営者として会社にいるわけなので一番大事な仕事は組織を作ることだと思っています。やっぱりITの責任者というとIT、情報システムのことだけ、インフラのことだけ、と言う人もいますが、組織作りに対してパッションがないとダメです。組織をちゃんと作って、かつ、そこに所属する人が所属を聞かれたときに自信をもって答えられるように組織づくりをちゃんとしてあげること。当時はMSDからITに変わって、IT(イット)と言われたりしていました。その後名称が変わってIDS(Information and Decision Solutions)になりましたが、何の目的で部門名を変えたかというと、IT部門の地位をどんどん高めるためでした。僕はMSDという名称も好きでしたが、当時は地位が低かったためITに変更しました。ITにしても今一つ地位が高くならないので今度はIDSにしたと。だんだんだんだん上流の方に来たということです。

3つ目が変革、変えることですね。CIOとは何かを変えるためにいますので、前任者のことを否定するわけではありませんが過去は尊敬をしながらも何を変えなきゃいけないか課題をしっかり認識して、しつこくそこにこだわって推進をしていくことが大事だと思っています。

コミュニケーション、組織作り、変えることの3つが仕事だと自分に言い聞かせて仕事をやっていたら、いつの間にか営業本部のCIOみたいな仕事につくことになり、韓国も日本も見ることになり、韓国と日本に行ったり来たりして、やがて日本のCIOになって今度日本と韓国両方のCIOになって、そして北東アジア、次に東側のアジアCIOになって、という風にだんだんCIOのエリアを広げてきました。

今でもこの3つをすごく大事にしています。

CIOに就任してからの取り組みについて

── ファーストリテイリングへ移られた理由や当時考えられていたこと、CIOとして取り組まれていたことについてお伺いさせてください。

玉置氏: 実は自分の息子がファーストリテイリングへ移ったきっかけです。

P&Gにいて、まだ0歳の息子を連れて2010年に日本を出ましたが、グローバルのP&Gに再就職という形で日本法人を離れたため再び日本に帰れる可能性は0で、このままではこの息子は日本人の名前を持ったどこの国籍の人か分かんなくなるなと思っていました。今思えばそれでもよかったのかもしれませんが、僕たちは彼を日本で育てると決めて日本で就職先を探しました。

ひょんなことからCIOを探していたファーストリテイリングの柳井さんと会うことがありました。他の会社からもお声がけ頂いていて紆余曲折がありましたが、六本木の東京ミッドタウンで柳井さんと色々とお話をしていて、ユニクロの人たちいい人だな、面白そうだなと思い、最終的にファーストリテイリングに行くことを決めました。結果的に、ファーストリテイリングに行って3年弱取り組んできたことが自分にとっては非常に大きかったなと思います。

柳井さんはITが大好きで、当時はほぼ毎日会話する機会を頂いていました。

ファーストリテイリングの始業は7時からで役員の皆さんは大体6時半頃出社しますが、柳井さんは6時に来て朝話したいと。僕は5時50分にオフィスに入って、電話をもらって社長室に入り、6時過ぎくらいからああでもない、こうでもないと話していました。

ファーストリテイリングで僕がやったことは仕組み作りです。

ファーストリテイリングという組織には全く仕組みがないので僕にグローバルの組織を作って欲しいということで、僕がほぼ毎月どこかの現地に赴いてちゃんと採用して、そしてちゃんと各地域の軸を立てて、CIOをちゃんと任命して、ということをやりました。僕がいる間に300人ほど採用し、グローバル組織を作り上げました。

── アクサ生命保険に移られた際のこともお伺いさせてください。

玉置氏: アクサ生命保険に移った理由は、保険会社の中でITが重要な機構であることと、アクサ生命は90年近い歴史を持つ日本団体生命を買収したことでレガシーシステムを抱える会社であったことです。

日本団体生命は古い保険会社なので、営業職員が全部日本人で労働組合もある。文化の融合から何から取り組む必要がありました。日本人で融合のお話が出来る人ってそんなにいないんですよ。グローバルの常識があって英語ができて、かつ経営の話ができる人はなかなかいないんです。そこで僕が行ったのですが、これは強烈な経験でした。

アクサ生命では変革の醍醐味を味わいましたね。

ものすごく古い日本の組織にフランスのカルチャーが入ってきている状態で、交じり合わない、カルチャーが古い、システムも古い、そこをアジャイルみたいに変えるんだと。ほかの国ではアジャイルでやっている、ネットフリックスみたいにやるんだと言っているフランス人を、大体の日本人は冷ややかに無理に決まっているだろうと言っているわけです。

僕が着任したときに初日にITのフロアに入ったときのことを今でも覚えています。全員戦々恐々で下を向いていて僕の顔なんか見てくれませんでした。

だけどやっぱりここで変革してこの人たちを幸せにするんだということで、かなり矢継ぎ早に変革をして、一年後にはオフィス自体も綺麗にして、IT組織をものすごく明るくして、スループットを高くしてね。ちゃんと経営の一環としてのITとして機能する組織に変革しました。アクサ生命の変革は自分の中ではすごく大きかったと思います。

お話を伺ったCIO:玉置肇氏のプロフィール

玉置 肇(たまおき・はじめ)氏
パナソニックホールディングス株式会社 執行役員 グループ・チーフ・インフォメーション・オフィサー (グループCIO)/パナソニックインフォメーションシステムズ株式会社 代表取締役社長

1993年、P&Gファー・イースト・インク(現P&Gジャパン合同会社)に入社後、20年以上システム畑を歩み、その間、日本、米国、シンガポールにおいて地域CIOやグローバル・ディレクターなどの要職を務め、会社のグローバル化を推進した。2014年、株式会社ファーストリテイリングに入社、グループCIOに就任。2017年、アクサ生命保険株式会社の執行役員 インフォメーションテクノロジー本部長に就任。2021年5月、パナソニック株式会社執行役員グループCIOに就任。


聞き手:坂本俊輔
CIOシェアリング協議会 副代表理事、GPTech 代表取締役社長、元政府CIO補佐官

大手SIerでの業務従事ののち、ITコンサルティングファームの役員を経て、2010年にCIOアウトソーシングを提供する株式会社グローバル・パートナーズ・テクノロジーを設立。以降、一貫してユーザ企業のIT体制強化の活動に従事している。2017年からは政府CIO補佐官を兼業で務めた他、IT政策担当大臣補佐官や株式会社カーチスホールディングスのCIOなども務めた。

 
 

本記事は「一般社団法人CIOシェアリング協議会」に掲載された「CIOの履歴書」のコンテンツを許可を得て掲載しています。(インタビュー実施日 2021年5月7日)

 
 

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