フロント、食事提供、清掃、そしてITも「おもてなし」
星野リゾートが描く「全社員IT人材化計画」の本質

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各界のITリーダーが一堂に会する「CIO Japan Summit 2022」が、さる5月10日(火)・11日(水)の両日、ホテル椿山荘東京で開催された。今回で13回目を迎えた同サミットでは、さまざまな業界のCIOによる講演が実施された。特集「CIO Japan Summit 2022:注目企業のITリーダーに聞く!」では、CIO Japan Summitの登壇者であるITリーダーの話からDXの勘所を探っていく。第2弾は「全社員IT化:創業以来最大の危機に間に合った変化前提のIT戦略」と題して登壇した、星野リゾート 情報システムグループ グループディレクターの久本英司氏に、デジタル戦略を牽引するIT部門のつくり方について話を伺った。

星野リゾートのITリーダーの入社動機は「住宅ローンを組むため」だった!?

2020年からのコロナ禍は、経済や産業にも大きなインパクトをもたらした。中でも旅行業・観光業は、大打撃を受けた業種の一つだ。その中で、ホテル・旅館の運営会社として知られる星野リゾートでは、「ITでできることやすべきことについては、ほぼ全て対応できた」という。

そうした同社のコロナ対応策を象徴する取り組みとも言えるのが、2020年6月1日に開始した「大浴場の混雑度の見える化」サービスである。「最高水準のコロナ対策宣言」をスローガンに、同社が運営する15施設の大浴場の混雑度を利用客がスマートフォンから確認できるようにした。2020年4月7日の緊急事態宣言からわずか2カ月余りでこうしたサービスを立ち上げられたのは、同社ならではの快挙だろう。

温泉のリアルタイムな混雑状況をスマートフォンで確認できるようにすることで、顧客も安心して過ごすことができる。

しかし、同社の経営とITは「数年前まで分離していた」。そう明かすのは、現在の経営陣とIT部門が足並みをそろえる企業経営の在り方をテーマに取り組んできた、同社情報システムグループグループディレクターの久本英司氏である。

情報システム部門は会社の危機を救う、いくつものITによる対策を実行していった。

久本氏は2002年、星野リゾートに入社した。その動機は、「地域の優良企業である星野リゾートに入社したら住宅ローンが組めたから。この恩を返したい」と笑う。当時、久本氏は30歳を過ぎたばかりだった。大学卒業後はソフトウエア開発などに従事したが、「夫婦共働きからのリタイア生活」を思い描き、結婚式を挙げた軽井沢への移住を決意。土地も確保して、後は家を建てるだけの状況となったものの、ベンチャー企業を転々としていた経歴から、銀行に住宅ローンを断られるアクシデントに見舞われた。

困惑する久本氏を見た不動産屋が、「就職すれば住宅ローンが下りるかもしれない」と紹介してくれたのが、星野リゾートだった。当時はまだ全国展開していなかったが、地元ではよく知られた老舗の優良企業であり、融資の相談に行った地方銀行でも「星野リゾートに入社すれば、すぐに住宅ローンを組む」と約束してくれた。さっそく久本氏は、これまでの経歴と住宅ローンが組めないと困るという「正直な入社動機」を書いて送ったところ、その日のうちに人事部から「代表の星野が会ってみたいと言っている」と連絡があった。その後の面接もスムーズに進み、晴れて採用となったという。

会社の「足かせ」を脱して「デジタルビジネスの担い手」を目指す

入社後にまず任されたのは、社内の情報システム担当だった。といっても、当時は久本氏だけの「一人部署」で、その後も数年前まで同社のIT部門は、最大で4人という体制だった。それが現在は、内製化を担当するエンジニアを含め、総勢50人超の規模にまで拡大。システムの開発・改善・インフラ構築・運用・開業支援などの幅広いタスクをこなす、星野リゾートの「ITエンジン」とも呼べる存在に成長した。

情報システムグループの変遷。時代ごとにIT化を進めていったことが、よく分かる。時代ごとに一人情シス時代から総勢50人を超える規模にまでになるには、「足かせ」とのやゆされた不遇の時代もあった。

多くの企業がIT人材の獲得に悩む中、どのようにして短期間でこれだけの組織に成長させることができたのか。久本氏は、自分が入社してから現在までの取り組みを語る。

「2002年入社当時は、『一人情シス黄金期』。当時はほとんどの社内業務を紙の書類で管理している状態でしたから、業務のIT化を進めるだけで会社のヒーローになれました。少しずつ会社の規模が大きくなり運営する施設が増えてきたので、社内から人材を集めながら情報システム部門を拡大していきました。ところが入社から10年ほど経った2010~2013年、事業の更なる拡大に対応するために取り組んだインドでのオフショア開発(海外法人への開発委託)に失敗。ちょうど会社の成長期と重なっていたこともあって批判が集まり、ついには『情シスが事業成長の足かせになっている』とまで言われてしまう状況に陥りました」

自分の失敗を挽回し、情報システム部員の名誉を回復するためにも、このままではいけない。そう再度発奮した久本氏は、2014年の1年間を新たな学びの期間と決めた。積極的にセミナーなどに通い、ITコンサルタントからさまざまな知見を得る努力を続けた。

「当時ガートナーなどでは『デジタルビジネス化』を提唱していましたが、『これからのITに求められるのは、業務の機械化ではなく新たな価値創出。そのためには、企業文化・組織体制・ビジネスモデルの全てを変えなければいけない』など、今日のDXに通じる教えを受けて目が覚める思いでした」

そこで得た確信を胸に、久本氏はさっそく「星野リゾートのデジタルビジネス化」を会社に進言。しかし代表の星野佳路氏には、「そんなことよりも、積年の課題になっている予約システムを、予算通りに改善してくれと言われてしまいました」と振り返る。

2015年、久本氏は星野代表からデジタルビジネス化の理解を得ることはいったん諦め、将来星野リゾートがデジタルビジネス化の必要性が出てきた時に対応できる能力を虎視眈々と備えていく作戦を立て、その基本となる変化前提のデジタルビジネスの担い手の資格の定義を行った。

「デジタルビジネスの担い手になるためには、大きく2つの『資格』が必要だと整理しました。それは『変化の時代への対応を実現可能にするITケイパビリティ(組織・人材)』と『変化に俊敏に対応しながらも、堅固な基盤(システム基盤)』です。」

デジタルビジネス化に寄与する「変化前提のITケイパビリティと内製化」へ

デジタルビジネス化に向けて踏み出した久本氏は、より具体的な技術基盤や組織の改革・構築と人材の確保に向けて動き出す。

「システム基盤の方は、観光業界での差別化を念頭に置いた星野リゾートの戦略・最先端テクノロジーコンセプトをもとに着想するべきだと思いました。問題は、組織・人材をどう備えていくのか。その基本の考えとなるのが、デジタル・ディスラプター(破壊者)と呼ばれる業界外からテクノロジを用いて産業の競争環境を一変させる企業を脅威と考えた場合、あらゆる事業会社が競合になりえるという前提においては、世の中のベストプラクティスをひたすら追求することで得られる、『変化前提のITケイパビリティ』しかないと考えました。当時システム開発は、まだパートナーに依存していましたが、今でいうDevOpsの開発手法を取り入れるなど、実現可能な人材と迅速な経営判断を組み合わせた組織能力を『教科書通り』に構築していきました」

かくして2016年からは、より具体的なIT戦略を推進。ところが翌2017年に、今度は社内である「炎上案件」が起きる。

「マーケティングチームから、私たち情報システムグループに予約サイトの機能拡張の依頼があったのです。そこで『(開発工数は)3カ月』と回答したところ、相手には『納期まで3カ月』だと受け取られてしまいました。単なる言葉の行き違いが起因でしたが、結果として納期遅延ということになってしまい、星野代表からは『やると言っておきながら、なかなかやらない。これでは『やるやる詐欺』だ』と厳しく指摘を受けました」

今となっては笑い話だが、当時の状況は深刻だった。「やるやる詐欺」の烙印(らくいん)まで押されたら、再び情報システムグループが足かせ扱いされてしまいかねない。期待にすぐ応える情報システム部門になる。久本氏は、「経営との一体化」と「組織拡大」と「エンジニア内製化」(中途キャリアの積極採用)に大きくかじを切ることを決意した。そしてこれが星野グループにとっても、本格的な組織変革の初年度となった。

共通の目標に向けた「経営陣×IT部門」の円卓会議で組織変革を推進

運用を後回しにしないために人材を確保し、経営判断の仕組みを整える。2017年に着手した組織変革のテーマを、久本氏はそう表現する。

この時の具体的な施策は、「運用リソースの確保」「開発プロセスと改善プロセスの整備」「代表・経営陣出席の投資判断会議」「予算計画の策定とモニタリング」の4点だった。中でも、星野代表を含む経営陣と久本氏が膝を突き合わせて情報システムについて話す機会となった「システム投資判断会議」は、同社のターニングポイントになった。いわば、この円卓会議によって、星野代表は「経営が情報システムを理解することの重要性」を身をもって認識した。星野代表はすぐに、同会議を現場の責任者全員参加による「経営陣と情報システムグループの定例会議」へと拡大させた。

「年間の開発予算はあらかじめ年度の初めに情報システムグループを運営するための人件費を含めた全ての費用の計画として決められていて、システム投資判断会議では『予算範囲内で何をするか』と、その優先順位のみを決定します。判断の基準となるのは、開発に実装する各機能をエンジニアの仕事によって生み出せる価値で換算したポイントです。会議では『この機能なら○ポイントくらい』『そんなにポイントがかかるなら、この機能は実装すべきじゃないね』といった会話が交わされます」

毎月開催されるこの会議は、情報システムグループから経営陣に意見を言える場でもある。

「例えば『このシステムをリファクタリングしたい』といった話がエンジニアから出てくれば、リファクタリングとは何かを改めて詳細に説明します。取組の当初には『外部の協力会社に出した方が……』と言われたりもしましたが、内部で実施した方がよいなら、『外部エンジニアと内部エンジニアでは、理解度に3倍の差が出る』『同能力のエンジニアなら、その3倍の差がコストに反映する』などと具体的な根拠を挙げて説得してきました」

他にも「アジャイル開発とは何か」を説明したり、システム開発においてスケジュールの遅れを招きかねない不確実性は不可避なものであるとのコンセンサスを得たりもする。この定例会議は、社員から経営者に「申し上げる」のではなく、ITの側から経営陣に「選択する覚悟」「学び続ける覚悟」「失敗を恐れない覚悟」を迫る場だと久本氏は言う。デジタルビジネス化という全社共通の目標に向かって、経営トップとITがここだけは対等の立場で忌憚(きたん)のない意見を交わし合う機会と、お互いに認め合っていることによって実現されている。

2019年の投資判断会議で、星野代表は「ITがなければ作れない『ありたい世界』を提案、実装してほしい」と明言している。これはまさに、星野代表のITへの大きな期待の表れであり、2015年に願ったデジタルビジネスの担い手の資格を得た瞬間だったともいえる。

情報システムの組織拡大に関しても、久本氏は手を打っていった。2015年ごろから社内異動を中心とした増員をスタート。組織基盤を固め終わった2019年以降は、キャリア採用による内製化へ本格的にシフトした。以前は「餅は餅屋」と外部のパートナーに依頼するのを方針として、「エンジニア採用に消極的」だった星野代表も、変革5年目にはエンジニア採用を積極的に進めるように方針を大きく変更した。最近は、「もうエンジニアは社員だけでいい」とまで言うようになってきたという。こうした自社内での開発推進を進めた結果、経営陣とIT部門が一丸となって「課題を見極め、やるべきことは全員で決め、成果が出るまでやり続ける」機運が、かつてないほど高まっている。

久本氏が立てた「運用リソースの確保」「開発プロセスと改善プロセスの整備」「代表・経営陣出席の投資判断会議」「予算計画の策定とモニタリング」の4施策。この実現が、情報システムグループが星野リゾートの「ITエンジン」へと生まれ変わる転機となった。

構想部隊と実行部隊が足並みをそろえた経営で変化の時代を乗り越える

星野リゾートのように「経営陣とIT部門が足並みをそろえる」企業経営の在り方は、経営とITの分離に悩む多くの日本企業にとって、重要な示唆を与えてくれることは間違いない。「軽井沢に新築する家の住宅ローンのため」という、一見笑い話のような動機から星野リゾートに入社した久本氏は、入社から20年間の歳月をかけ、同社が本当の意味の「IT経営」を実現する上で経営陣や業務の現場を支えた立役者といえるだろう。

いち早く開発し、めまぐるしく変わる事業環境にフレキシブルに対応するための原動力は「内製化」という。

その久本氏の次なる展望は、「全社員IT人材化によるDX実現」だという。過去20年間の振り返りと今後の抱負込めて、同氏は最後にこう語る。

「もともと私は情報システムグループを、新たなビジネスをつくる『デジタルビジネス化、今でいうDX化の担い手』に育てようと考えていました。しかし今振り返ると、星野リゾートは創業以来、独自の運営力を持ち、かつフラットな組織文化を構築してきた会社です。例えば、 星野リゾートの各施設では、社員がフロント、調理、食事提供、客室清掃から、施設の魅力開発造成に至るまですべてこなす「マルチタスク」で働いています。DXを実現するために必要なイノベーティブな素養を、すでに持ち合わせていた。だからこそ、その土壌の上にITを置いただけで、おのずと全社一丸の取り組みに育っていったのだと思っています」

 

星野リゾートが独自開発した「料理進行管理システム」。料理の進行状況のほか、「サプライズケーキあり」「左利き」などの顧客の情報も一括管理し、お客様一人ひとりに合った接客の後ろ支えとなっている

そうした中で今回取り上げた一連の変革は、情報システムグループを会社の足かせにさせないための能力を付けることとイコールだったと久本氏は語る。そうやって積み重ねていった成果が、コロナ禍という大きな外部環境変化にも十分対応できる組織だった。では、これからDX化に取り組もうとする企業が、同じ成果を実現するにはどんな点に留意すればよいのだろう。

長年掛けて進めていた経営・現場・ITの一体化が、コロナ禍という環境の変化にも素早く対応できた

「やはり重要なポイントは、構想部隊と実行部隊が分断せず足並みをそろえることです。全てが急速に変わってゆく今の世の中で、構想と実行の分業は『改善力の低下』『スキルの分断』『生産性の低下』などを招く致命的な問題です。従来の日本企業にありがちな、現場からIT部門・パートナー会社への丸投げ、あるいはIT部門から現場への戦略押しつけなどは、いずれも組織変革のアンチパターンと言えるでしょう」

星野リゾートが目指す「全社員がIT人材」の姿

経営者・現場(業務)・IT部門が三位一体となることが、これから取り組もうとする企業にとって最も大事な心構えとなる。経営も組織もオペレーションもビジネスモデルも、全てが同時に変革を求められるときに、足並みがそろわなければ、文字通りプロジェクトが転んでしまうのは必然の結果だと久本氏は言う。

旅行・観光業界はコロナ禍の直撃を受け、星野リゾートも前年比売上9割減という辛酸をなめたが、それまでに築いた全社一丸のアジャイルでフレキシブルな組織が、そのインパクトの広がりを食い止めたのは言うまでもない。コロナという逆境をバネに、さらなるDX実現へ邁進する同社の取り組みと、新たな成果にさらに期待したい。

 

久本英司氏
星野リゾート 情報システムグループ グループディレクター

2002年9月、星野リゾート入社。ホテルシステムや会計システムなどの基幹システムの導入から、ネットワーク・インフラ設計、HP予約システムや勤怠管理システムなどのアプリケーションの企画・設計・開発までを行う。情報システムグループのディレクターとして、星野リゾートグループのITを統括。

 

(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣 企画・編集:野島光太郎)

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