市民開発が注目されている背景には、生産年齢人口の減少がある。2025年から2040年というわずか15年間で、現役人口(20歳~64歳)が約1000万人減少すると考えられている。この減少に伴い、ビジネスでは今と同じ業務量でも1人当たりの業務量が増加し、一方で高齢となり働けなくなる人も増えることで人材確保がより難しくなっていく。そこで、業務効率や生産性を上げることが急務となっている。
「多くの国の業務効率が向上している一方で、日本は向上していません。自動化やデータの利活用、さまざまなシステムとAIを組み合わせることで業務効率を高めていく必要があります」と話すのは、BizOptimarsの中村氏だ。同氏は、クリエーターからエンジニアへ転職し、15年間金融業界のシステム改善に従事。その後、市民開発や社内コミュニティの重要性を認識し、BizOptimarsを設立した。
先述の背景を踏まえ、多くの企業がDXに取り組んでいる。しかし、1つの日本企業に複数のベンダーのシステムが共存しているのが現状であり、それが推進を困難にしているという。
「異なるベンダーのシステムのデータ統合には困難が伴い、実現できても巨額のコストが避けられません。各システムがベンダー依存している今のような状態では、いつまで経ってもデータ活用ができません。ただ、この状況から脱し、ベンダーに依存しない内製体制を構築しようにも、デジタル人材が少ないという課題に阻まれてしまいます。人材そのものが減少しているのに加え、日本では非IT企業に勤めるITエンジニアは3割に過ぎない。海外では逆で、ITエンジニアの7割が非IT企業に勤めています。この構造が、業務の分からないITエンジニアが日本に多い要因の一つでしょう」(中村氏)
この構造を即座に改革するのは非常に困難だ。そこで「業務を熟知した市民開発者」という存在に期待が集まる。
「ローコード、またはノーコードで開発する人を市民開発者というのではありません。基本的には、ビジネスに最適なシステムを提案したり開発したりする人のことを指します。プログラミングなどの専門技能はないけれど、ビジネスの目標を完全に理解して、それにもとづいて必要な仕組みやUXを提案・開発していけるのが市民開発者です」(中村氏)
市民開発では業務課題をもとにして、画面設計やデータ設計、運用設計をしていくことになる。市民開発者が開発のレベルを上げていくためには、さまざまな「学び」を重ねていくことが重要だ。しかし、その「学びの場」が社内には十分ではなく、そのことが市民開発普及を妨げている。この課題も踏まえて、中村氏は市民開発を進める上でのポイントを、次のようにまとめた。
最初から完璧を目指さない
最初から最強の業務改善アプリをつくろうとすると必ず失敗する。最初から難しいことに取り組むのではなく、ステップを踏んで学習や経験を積んでいくことで、徐々にレベルを上げていくことが重要。
「見て満足する」ことで終わらない。インプットしたことはアウトプットしてみる
講演などを聞いて理解したことで満足してしまい、そこで終わってしまうこともよくある。それでは次の学びにつながらない。インプットしたことは、実際に手を動かして実践してみたり、要点をブログやスライドにまとめたり、アウトプットすることが大事。自分の実体験や言葉に置き換えることで新しい気づきや疑問が生まれ、さらなる学習につながる。
コミュニケーション・フィードバック・ループを意識する
学習→開発→発表/公開→アンケート/議論といった流れを、自分だけでなく他者も含めてつくることが大事。この繰り返しが「コミュニケーション・フィードバック・ループ」であり、ループを回すことで学びを深めていくことができる。また、社内や身近な人だけでなく、外部のコミュニティなども、ループに含めるとさらに効果がある。異なった環境の人々からのフィードバックから、さらに新しい気づきや知見が得られる。
成功体験は絶対必要。その場として、コミュニティは最適
学びには成功体験が必要。人に褒められることでモチベーションが維持・向上できる。そのためには、称賛してもらえる場も必要となる。コミュニティは困った人を助ける相互扶助・相互尊重の精神にもとづいて運営されるものであり、称賛を得る場としてコミュニティは極めて重要な存在といえる。
「コミュニティでの活動を通じて、さまざまな有識者や他の実践者とつながることができます。新しい知識を得たり、現在持っている知識を深掘りしたりするきっかけとなり、そこからアイデアが生まれ、実際の業務改善につながっていきます。社内外のコミュニティ活動でいろいろな実績を挙げることが、最終的には企業の価値向上にもつながります」(中村氏)
セッションの後半では、トヨタ自動車の永田氏が加わり、「DXを広げるためのコミュニティ活用相談会」と題して、聴講者の質問に答えていった。永田氏は、ローコード/ノーコードツールと市民開発により、社内のデジタル変革を推進。2020年に立ち上げた社内コミュニティを参加者9000人まで拡大し、さらに身につけた運用ノウハウを活用して、グループ企業向けのコミュニティも立ち上げたコミュニティ運用の実践者だ。
質問:会社の管理側の視点では、会社が求めることを学ぶ社内勉強会とは異なり、社内コミュニティはガバナンスが行き届かなくなる懸念がある。それをどう突破できるか。
中村氏:社内勉強会は、参加者が受け身であり、アウトプットする余地が基本的にありません。そのため業務改善の意思を発信する機会がなければ、やがて衰退してしまいます。自発的にコミュニティを運営していく文化が社内に必要だと考えます。
永田氏:管理された教育を受けたい人もいるため、勉強会の意義はあります。しかし、その場では自発的な議論が生まれにくいことも現実です。勤務時間内でのコミュニティ活動が難しければ、時間外に行う手もあるでしょう。
質問:ユーザー要望を受けて開発から教育まで、全部を担う旧来の体制やマインドが根強い。ユーザー部門に市民開発を実践してもらうにはどうすればよいか。
永田氏:情報シス部門が「やってあげる」という形では難しいでしょう。情シスは開発したものに責任をとらなくてはいけない立場ですが、ユーザーはある意味、無責任に楽しいことを考えることができます。業務部門にいる楽しいことを考えらえる人が、集まって自発的に動き出すのを情シスがサポートしてあげる形が好ましい。市民開発では、自発的に楽しく活動できる場をつくることも重要です。
中村氏:「開発を内製化する」という話では、ユーザー部門に自分ごととして捉えてもらえません。それよりも「このままだと、労働時間が数時間増えてしまいますよ、その分は残業代がつかないかもしれません」という言い方が響くと思います。「そうならないように自分たちで業務改善していく必要がある」と私はよく言っています。
質問:経営には、コミュニティが会社にどのように貢献するのかが理解しづらい。どのように経営を巻き込んでいくべきか。
中村氏:企業のコミュニティ活動を支援する立場からは、経営側に「現状を変えないと太刀打ちできなくなる。その施策の1つとしてコミュニティが有用」「人材雇用が難しくなっているからこそ、福利厚生とは別の形で業務を楽しくできるようにする文化が必要」という話をすることもあります。また、経営者の理解を促すには、価値を生み出していることをKPIとして数字で示すことが非常に重要です。例えば、業務改善による時間削減効果をお金に換算して、それが将来どのような金額になるのかという説明は、経営層によく響きます。
永田氏:コミュニティはその場で成果が出るわけではありません。参加者が自分の業務を改善して初めて成果になるため、コミュニティをつくること自体はKPIで示しにくい。とはいえ会社にとって、あるいは世の中にとって、意義のある活動になっているはずです。社内での評価がそれほど高くなくても、それを心のよりどころにして活動しています。
中村氏:これからの時代は、自分の価値は自分で上げなければいけなくなります。いつか会社から離れてもやっていけるような実力を、コミュニティを通じて自発的に見につけていくという考え方もあります。会社側も、従業員の副業を許可するような感覚で、コミュニティ活動を捉えていくとよいでしょう。
質問:個人からの社外コミュニティへの発信は、情報漏えいとみなされることがある。これにはどのように対応していけばよいか。
永田氏:当社では1年前くらいまでは、社外コミュニティで発言する際、担当部署によるチェックを受ける必要がありましたが、今は緩和されつつあり、活動しやすくなりました。
中村氏:コミュニティが拡大していくと、徐々に力を持つようになります。コミュニティの価値が社会的に認知されると、管理する会社側もその価値を認めるようになります。そうなると、情報の外部発信の価値も認められて、許されるようになっていく。社内コミュニティが成功していると、発信の制限は緩和される傾向があります。
質問:社外コミュニティに参加して他社と交流していると、それをきっかけに転社する人が出るという懸念がある。
中村氏:会社を辞めることをネガティブに捉えない感覚が、すでに一般化しています。会社としても人材がいったんは外部に出たとしても、新しい技術や文化を携えて戻ってきてもらえればプラスになります。人材の流動性が高まるのは当然の流れだと考えて経営していく会社が、今後伸びていくのではないでしょうか。
セッションを通して、市民開発者が必要な知識やスキルを学ぶ場としてコミュニティの重要性が強調された。特に、中村氏、永田氏が回答者を務めた相談会では、市民開発の普及を妨げる課題とその解決策が共有され、実際の学びの場としてのコミュニティの価値を実感できる機会となった。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣 編集:野島光太郎)
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