下山紗代子氏 氏(以下、下山):対策サイトは今年5月にクローズしましたが、このプロジェクトは社会的にも大きなインパクトを与えてきたと考えています。今回の官民共創の取り組みを生かして、今後、どのような形をつくっていけるのかについて、意見を交わしていきたいと思います。
モデレーターを務める私は、一般社団法人リンクデータ代表理事の下山と申します。データ利活用やオープンデータを専門とし、国や市町村、民間企業など複数の組織に所属して活動しています。活動の1つとして、今回の対策サイトでは、「データのフォーマットをいかに標準化し、他の都道府県でも使えるようにしていくか」「データの見せ方、COVID-19の情報をいかに冷静に受け取ってもらえるよう発信するか」などについて関わりました。
では、宮坂さんから自己紹介をお願いします。
宮坂 学 氏(以下、宮坂):東京都副知事 兼 GovTech東京の理事長をしております。
庄司昌彦 氏(以下、庄司):武蔵大学の教授をしています。官民共創とデジタルをテーマにした研究を20年ぐらいして参りました。
寺田一世 氏(以下、寺田):富山県版の対策サイトを学生時代につくっていました。今は社会人になりました。
天神正伸 氏(以下、天神):元、東京都職員です。主にデータ整備とデータ提供の部分を担当していました。対策サイトは、本当に苦労された職員がたくさんいますので、そこにも触れていきたいと思っています。
下山:ありがとうございます。まず天神さんに、日々のサイト更新ついてお聞きします。東京都の職員が手入力で毎日更新する中、いかに間違いを減らす仕組みをつくるか、そしてエラーが起きたときにどう迅速に対応するかについて、いかがでしょうか。
天神:対策サイトは、短期間で開設までこぎ着けたことが話題になりましたが、実はその2年以上前から、庁内のデータのオープン化を進めており、データの洗い出しなどを続けていました。そのため、庁内のデータの性格はよく分かっていたため、サイトの話が持ち上がったときに、「こうすればできそうだ」という見当はついていました。しかし、出てきたデータはPDFでした。そこで、生データがある発生源をたどり、どうにかして生データをサイトに展開していこうと、職員と一緒に取り組みました。
そこで思うのは、「機械可読性が高い形式のデータは、必ずしも人に優しくない」ということです。セッション1でも話題になりましたが、300万行を機械可読性の高いデータで管理できるわけがないわけです。また、もともとのコロナ関連のデータはすごく機微なデータです。絶対に間違いがないように、二重三重のチェック体制を敷いていました。例えば私なりに工夫した点は、最終データをアップロードする際に、例えば「よくある住所やよくある名字とかが含まれている場合は、アップロードを取り消す」という自動の仕組みを入れて、個人情報の漏洩をブロックするなど、できるだけ職員が安心してデータを更新できるよう、ミス防止の仕組みを日々積み重ねていました。そういった工夫の積み重ねがあり、最終的にオープンデータという形になり、皆さんに使われていったというわけです。
下山:対策サイトは、天神さんのように技術的な知見のある人が、都庁の職員とコミュニケーションをとりながら調整されていたことが、本当に大きかったと思います。天神さんは、いつから入庁されていたのでしょうか。
天神:2017年11月に入庁しました。ちょうどオリンピックと時期が重なっていたので、何かできないかと思っていましたが、コロナ禍となり、オリンピックは1年延期、無観客になりました。その後は、ほぼ3年間、新田さんらと一緒にコロナ禍の対応をしてきました。対策サイト以外にも、ワクチン接種予約などにも関わってきました。
下山:ありがとうございます。次に寺田さんは、富山でコロナ対策サイトを立ち上げられて、それをきっかけに都庁に入庁されたということですね。経緯はどのようなものだったのでしょうか。
寺田:私もオリンピックのボランティアに応募していました。それが延期になり時間的な余裕ができたときに、コロナ対策サイトの派生版がいろいろな自治体で、有志によってつくられているという話をSNSで知ったのがきっかけです。その後、1人では心細くて困っていたところ、SNSで富山にあるシビックテックコミュニティ「Code for Toyama City」とつながり一緒にやっていくことになり、県庁の方とも連携がとれて、公認サイトとして立ち上げることができました。
その後、データ更新の自動化も実現できたため、ほぼ数人で運営することができました。私にとって、東京都がこのような(オープンソースソフトウェア(OSS)としてサイトを公開し、フォークして他地域版への横展開をできるようにした)活動をしたのが衝撃的であり、人生を変えるような出来事でした。
*フォーク:公開されたソフトウエアのソースコードをもとに、別のソフトウエアを開発すること
下山:富山版の対策サイトは、エンジニアとして関わったのでしょうか。
寺田:はい、今もICT職として入都しています。学生時代にコンピュータサイエンスを学び、その中で社会に貢献できることを探していて、今回のプロジェクトに携わりました。
下山:寺田さんのように、コンピュータサイエンスを専攻された人が東京都に集まってきているのですね。宮坂さん、こういった優秀なエンジニアを引きつけ活躍の場をつくっていくために工夫していることはありますか。
宮坂:そうですね。やはり、プロダクトをつくって情報発信することが大事だと思います。給与や待遇も重要ですが、いいもの、インパクトのあるものを見ることで、初めて人はそこでチャレンジしようと思うのでしょう。社会に役立つ、インパクトのある品質の高いサービスをたくさん生み出していくことが、人を引きつける最大の力になると考えています。
下山:宮坂さんの着任は、2019年からだったと思います。2020年からコロナ禍に見舞われました。着任後1年というタイミングで、迅速な判断を求められたと思います。当時の思いなどを教えていただけますか。
宮坂:もともと知事が、「情報発信をきちんとしなければいけない」ということを早くから発言していて、それで相談があり、私が担当することになりました。組織や社会が変わるときには、特異なタイミングがあると思います。そこにうまくプロダクトがはまれば広がるけれど、ずれると広がらない。例えばテレワーク1つとっても、5年前は都庁では絶対に実現不可能だったと思います。それが、今ではできるようになった。
タイミングの合うときにインパクトのある仕事をすると、一気に流れが変わる可能性があります。行政が「デジタル行政」へと進む中で、デジタルの力を証明できるタイミングが来ました。自分はこの仕事をしっかり取り組まなければならないと思いました。実施には、天神さんとチームを結成して進めていきました。
下山:なるほど。コロナ対策だけではなくて、行政を変えていく契機にもなると考えたわけですね。
宮坂:とはいえ、2020年の3月の段階ではそこまでは思っていませんでした。でも、行政や社会が変わる大きな転換点になるという雰囲気は、多くの人が感じたことでしょう。だから、これだけたくさんの人がコントリビュートしてくれたのだと思います。この機は逃してはいけない、デジタル化を進めるという意味における大きな転換点で、私自身はここで打席に入らないと損をすると感じました。
下山:ありがとうございます。それでは次に、庄司先生にお聞きします。今回、コロナ禍に対してこのような新しい共創の形が生まれてきたことが、個人や社会、行政に大きなインパクトを与えました。シビックテックを長く研究されてきた立場から、どのようにご覧になっていますか。
庄司:私は2002年に大学院修士を出て、シンクタンク的な組織で働き始めたのですが、その頃から地域社会のデジタル化を研究テーマにして、官民の協働・共創を見てきました。
日本には、災害がきっかけになってデジタル化が進んできた側面があります。阪神・淡路大震災でインターネットの可能性が話題に上がったり、新潟県中越地震でSNSやカーナビのデータ活用が始まったり、それらがあって2011年の東日本大震災では、さまざまなデジタルの取り組みが生まれました。
しかし、いろいろなアプリやプロジェクトが立ち上がっていい話もあったけれども、データが使えないという壁にぶつかったりして、たくさん課題が出たのが東日本大震災でした。その後も熊本地震などがあり、その都度、少しずつデジタルデータの取り組みが成熟してきたと思います。今回のコロナ禍では、官民共創の事例がすごいスピードで横展開していくことが特徴的でした。
ただ、いまだに続いている課題もあります。前のセッションでも少し触れられていましたが、持続性の課題です。災害などの非常時は、多くの人が仕事ではなくボランティアで手を動かしてくれます。そのおかげで瞬間的には非常に大きなパワーは出る。けれども、それはあくまでもボランティアで本業ではないため、長く続けるのは構造的に無理なわけです。
では、それをどうしたらよいのか。今回の場合は、Code for Japanが主体となって仕事を受けたというたことが非常によかったと思います。また、このイベントのように振り返ってナレッジを残していこうとしている点もよいと思います。
*Code for Japanは一般社団法人コード・フォー・ジャパンを指す(以下同)。同法人はIT技術を活用し、地域課題の解決を目指す非営利団体
私は小池百合子東京都知事が就任した直後の2016年ごろから東京都のオープンデータ施策などに関わってきましたが、当初はデータ活用に対して都庁内にはまだまだ冷めた空気がありました。そのような中で私は「姉妹都市のニューヨークも、市長が関与してオープンデータをプロモーションしています」「ハッカソンは、会議室の開催では駄目です」など発言したり、「オープンデータアイデアソンキャラバン」を都内各地で開催したりすることで、少しずつ官民の間が温まってきたと感じます。
下山:庄司先生も2016年くらいからずっと東京都内で活動されていて、その積み上げが今につながってきているということですね。今回、官民共創というテーマですが、私自身も行政側に入るようになり、民間のロジックは通じないことを理解してきました。
天神さんは民間から都庁に入って行政の方と協働し、さらに対策サイトではシビックテック団体と一緒にやりとりしていたということで、両者を見られる面白い立場だったかと思います。そこでの苦労や、それを乗り越えるための心がけなど教えていただけますでしょうか。
天神:私のキャリアから言うと、大学卒業後に国内のSIベンダーの医療機器事業部に配属となり外資系企業に転職、その後、東京都庁に入庁しました。東京都に入った直後は、カルチャーショックの毎日でした。例えば役職名で「課長」と呼ばれるのは、外資では悪いことをしたときくらいですが(笑)、都庁では毎日呼ばれます。
宮坂:私は、ネットワーク環境に驚きました。官民共創が進まない理由の1つだと思っています。ネットワークの世界観が違いすぎてやりとりできない。
天神:その点はまだ解消されていません。一方、官民との共通点もあります。大きなプロジェクトになると部署の垣根を越えていろいろな人が関わるようになりますが、その中でうまく物事を回すには、まずは信頼関係を築かなければならないということです。
今回の対策サイトの場合、ポイントは2つありました。1つは、最初に宮坂さんが「これは東京都だけの問題ではない」と分かりやすく方向性を示してくれました。これでメンバーが、同じ方を向きました。もう1つは、「ファクト(事実)を伝える」という目標です。そこで目指すべきポーラスター(北極星)が、メンバーに見えました。この2つのポイントにより、さまざまな立場の人たちが厚い信頼関係を築き、同じ目標に向かって進めたのです。
官民で違うところは、やはり文化です。お互いにそこを理解した上で、プロジェクトを回していく必要があります。そのことを理解できるかどうかが重要です。今回はまず、トップのメッセージが非常にクリアで、それをメンバーが理解して、最終的に対策サイトの行動指針に結びつきました。メッセージから行動規範、行動原則までつながっていたのが、すごく大きかったと思っています。
庄司:組織・文化が違う人たちが一緒に仕事しようとしたら、われわれの社会では一般的には、飲み会をするわけです。しかし、コロナ禍ではそれができなかった。それなのに、ここまで到達できたことは、画期的なことだと思いました。おそらくSNSで常時接続して、お互いに日々コミュニケーションをとって、何となくどういう人か分かるという信頼関係の築き方をしてきたのだと思います。
また、天神さんが指摘したように、行動指針が本当に素晴らしかったと思います。人と人が共同して物事を進めるときに、何のためにやるのか、方針を見える化した。「オープンなコミュニケーションと常時接続が、飲み会を超えた」ということだったのではないかと思います。
天神:超えたどころではないかもしれませんね。私でも、物理的にお会いするのがこの場が初めての人が多いのです。
下山:たしかに、私も立ち上げのとき天神さんとお会いしましたが、今日はそれ以来かもしれないです。ただ、ネットワーク越しで日々やりとりしていましたので、全然久しぶりという感じがしません。
天神:それでも最初に(実際に)会っておくと、やはり違います。
下山:都庁の中でも信頼関係をつくり上げてきたということですが、寺田さんは今、都庁の中で働かれていますが、どのような業務を担当しているのですか。
寺田:今は民間企業に派遣されて、クラウドサービスや生成AIなどの業務に携わっています。
下山:そうすると、都庁の職員とコミュニケーションをとりながら、民間企業で働かれているという状況ですね。富山での対策サイトの経験が役に立っている点はありますか。
寺田:今回の対策サイトのプロジェクトに携わろうと思ったのは、皆さんがすごくかっこよく見えたからです。東日本大震災のときは、私は小学5年生で何もできなかった。でも、大学生になって自分の手で何かつくれるようになりました。コロナ禍がきて、今度は何か(人のために)できると思いました。実際に携わる中では、皆さんが本当に親切であり、実際に会ったこともない人が支えてくださいました。チームになって動けたと思っています。この経験から、庁内にも新田さんのように共創に携わったことがある職員がいた方が絶対に進めやすいと思っています。私もそういう支援を中からできればと思っています。
下山:社会のために役に立てる力を持ちたいという思いが、今につながっているということですね。寺田さんのようにコミットする人が各地にいますが、東京都は都道府県の中でも民間の人材の割合が多い方だと思います。
宮坂さんにお聞きしますが、GovTech東京のような新しい仕組みもつくられていますが、これまでの既存の行政が変わってきている感覚や今後変えていけるところ、希望のようなものはありますか。
宮坂:官民共創という視点では、今までの官民共創は「採用」と「調達」という2つのやり方を中心とした「民の人に官に来てもらう」だったと思います。前者は最近、「リボルビングドア」と呼ばれていますけれど、結局は「採用」です。これに、プラスアルファとして第三の道が必要だと思っています。
今回の対策サイトは、Code for Japanに委託して、そこからこれだけ多くの人の貢献がありました。これは、第三の道に近いと思います。採用だけでは限界があり、調達だけだとしたら今回のケースはうまくいかなったかと思います。「最初は(陽性者数が)1から始まり、最終的に4万までいくような仕様書なんて、どうやって書くの?」という感じです。調達でもない雇用(採用)でもない、第三の道として官民共創の道をつくらないといけないということを、日々考えていて、GovTech東京もその1つとしてつくったところがあります。
対策サイトの裏側では、多くの職員がとても頑張っていましたが、あのときもしGovTech東京があったとしたら、GovTech東京が全面的に活躍して達成できていたと思います。もっとスムーズに進んだであろうし、都庁の職員も仕事がしやすかったし、民間の人もやりたいようにできたはずです。当時は、いきなり官と民がダイレクトにオープンソース込みで向き合う「水と油」みたいな世界観でした。それでもコロナ禍(という緊急事態だった)から出来たのだと思います。
その後も、1、2個のオープンソースプロダクトをつくったのですが、それは思うように広がりませんでした。先ほど、庄司先生も指摘されていましたが、瞬発力はあるけれど持続力をどう取り入れるかが、今後の大きなテーマです。
下山:たしかに、先にGovTech東京あったら、違う形になっていたと想像できます。
宮坂:GovTech東京は「共同化する」ということが1つのコンセプトです。これまでは東京都と62区市町村が、RPAのソフトやPDFの編集ソフトなどを、それぞれ調達していました。これをまず都庁の中で共同化して、62区市町村にも広げようという話をしています。
振り返れば、対策サイトは、その出発点だったと思うのです。1つの東京都の対策サイトから始め、全国版として共同化していったのです。今後、持続的な共同化プロダクトをつくる体制をどうやったら整備できるのかが課題です。
庄司:先ほど、歴史的に災害がきっかけでいろいろ進んできたという話をしましたが、「もし次の瞬間に直下型地震が起こきたら、私たちはどれだけうまく対応できるだろうか」ということを考えるべきだと思います。
行政のルールやネットワークなどの制限の中では、できないこともたくさんあると思います。そこを補うためにも、GovTech東京のような場所(組織)があった方がいいと思います。
宮坂:今回のイベントが行われているこのオフィス(GovTech東京 イベントスペース)は、そのような場所として使えますね。
庄司:平時も共創の準備をどんどん進めておくことは、すごく大事なことだと思います。
天神:本当にそうですね。行政が持っているデータの性格として、平時の場合は更新頻度が1年や半年に1回ですが、これが緊急時の際には、毎日更新など頻度が急激に上がります。アクセス数も、災害時には桁が2つ3つ変わります。そういう特性を理解して進めることが必要だと思います。データの専門家からすると、この極端な差は厄介ではありますが、技術者としては取り組みがいがあると思います。
下山:データについても、日頃の備えが重要です。今回つくった仕組みは、他の感染症の対策にも使えるのではないかと思います。今回の対策サイトはクローズしましたが、いろいろなデータをチェックする仕組み、共創の体制、今回生み出されたものが次に生かされていくことを、期待しています。
最後に、改めてこの先どのように生かしていきたいかを順番にお聞きしたいと思います。
天神:2点あります。まず1つ目は、職員でいまデータ整備に携わっている人に伝えたいのですが、データ整備は本当に地道で泥臭い仕事です。なかなか日の目を見ませんし、今回のイベントで話したことは、なかなか記事にもなりません。でも、日々行っていることは正しいことです。絶対に間違っていません。それがなければ、今回の対策サイトも実現できていなかったのです。理解してくれる人が周りにいないかもしれませんが、自分を信じて突き進んでほしいです。いつか絶対、日の目を見るときがあります。めげずに頑張っていただきたいと思います。
2点目は、どうしても災害起点の話が多くなりますが、普段からCode for Japanをはじめとしたシビックテック組織などと、信頼関係を結んでおくことは大事だと思います。そうしておくことで、いざというときに人が集まれます。そういった日々の役立つ活動を、どうすればいいかというのはアイデア次第だと思いますが、ぜひ継続していってほしいと思います。
寺田:対策サイトは、本当にいろいろな人の知恵やコミットが集まってできたと思っています。関わった全ての方に対して感謝申し上げます。対策サイトには掲載するデータが必要でしたが、そのデータを出していただいた職員の方は、大変苦労されたと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。私は、いま職員になっています。先人がつくられた素晴らしい功績を、引き継いでいけるような人になりたいと思っています。
庄司:先ほど、「次の瞬間に地震が起きたとしたら対策できますか」という仮の話をしましたが、本当に準備をしておくべきだと思います。今回、これだけいろいろな人が関わって大きなプロジェクトに取り組み、成功しました。そのポイントを言語化し、次に生かせるように残しておく必要があると思います。そうすれば、次に何か起きたときには、それを参照して取り組めばいい。多くの反省点もあるかもしれませんが、よかったことを残しておくことをお勧めします。
私は、自分の研究として東京都のコロナ対策サイトの取り組みを評価したことがあります。さまざまな先行研究によると、行政だけでなく、実はシビックテック団体もエンジニアが足りないという問題が起こっています。エンジニアが関わりやすいように間口を大きく開いておく必要性も指摘されています。また、エンジニア以外の人がたくさん関わっているプロジェクトの方が、うまくいっているという評価もあるようです。つまり、エンジニア以外にも、間口を広げておく必要があるのです。
それから、仕事などの合間を縫ってボランタリーに参加している人が多いわけですから、人が入れ替わっても継続できるようにしておくことも大切です。そういういくつかのポイントをみんなで共有して、次に備えられたらいいと思います。
宮坂:先ほど、第三の道をつくりたいという話をしましたが、他にも最近考えていることがあります。それは、GovTech業界をつくりたいということです。そのためには大前提として、行政と民間、アカデミアも含めて、パブリックセクターのデジタルに関わる人の数、才能の数を増やしていくのが決定的に大事だと思っています。それが、現状では不足し過ぎています。パブリックセクターでデジタルの仕事をする人の数を全体で増やすことに、みんなで取り組むべきだと思います。
人材の取り合いや競争ではなく、まず「日本モデル」をつくりましょう。日本全体のGovTech業界をつくり、そこの才能の量を10年で5倍にするとか、SIerの中でパブリックセクターの仕事が花形になるように変えていきたい。今回のようなイベントにも参加しながら、この業界で働く面白さを伝えていきたいと思っています。
下山:今後の災害対策だけでなく、日本全国でよりよい社会をつくっていくという視点においても、今回の知見が生きていく可能性を感じられ、希望が持てるセッションとなりました。ありがとうございました。
(取材・TEXT:データのじかん編集部 PHOTO:加藤翔)
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