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“居場所探し”から始まる”取りあえず触ってみる”の積み重ね:DX時代に活かす単純だが難解な本質

データのじかんでは、全国47都道府県の各地域のDXやテクノロジー活用のロールモデルや越境者を取材し発信している。「LocalDX Lab」は地域に根ざしたDXのあり方を探るシリーズだ。富山県高岡市は、戦後復興から高度成長期にかけて日本のアルミ産業を支えた町だ。その場所で約60年間、アルミ削出加工・アルミ鋳造金型設計製作・CNC三次元測定を手掛けているのが「株式会社フジタ」。1963年創業、1975年に会社を設立。2023年現在の社員数は15人。字面だけだと一般的なイメージの「日本の町工場」だ。しかし、その工場の真ん中には油や埃りが付着したモニタとパソコンが鎮座し、クラウドツールをフル活用した業務遂行する光景が日常になっている。

         

現在はVRを活用した「360度工場見学」や「YouTube公式チャンネル」の配信など、積極的にデジタル技術を活用した展開を進めている同社だが、元々は日報すらない超アナログ環境であり、10年来先陣を切ってIT技術を試し続けてきた社長の梶川貴子氏は「先を見越したITシステムを導入したことはない」と言う。

フジタのHPからは工場をパソコン・タブレット、スマートフォン、専用ゴーグルからVRにより360°工場を体感できる。

今回のLocal DX Labは、株式フジタと経営者かつ越境者であり続ける梶川氏に、営業赤字−6000万円を3年で黒字転換した町工場の「デジタルと経営」について聞く。その答えと工場で使用しているツールは、意外とシンプルかつ多くは見逃されているものだった。

PC-98と社長との「細かな関係」が後に芽吹く種になる

株式会社フジタ 代表取締役社長 梶川 貴子 氏

大川:今年で創業60年を迎えられたとのことですが、創業時から拠点や製造しているモノなどは変わらないのでしょうか?

梶川氏(以下、敬称略):そうですね。創業は富山県高岡市にある実家が拠点でしたね。父親はもともと旋盤の技術者だったのですが、60年代は日本の景気も良かったですし、多くの人たちと同じように独立したみたいです。私が幼いころは自宅の車庫に旋盤があったのを覚えていますよ。その後、1975 年に同じ市内に福岡金属工業団地が造成されて「一期生」として会社を設立して工場を作ってからは、ずっと同じ場所に拠点を構えています。

大川:梶川さんは幼い頃から家業というか、事業に関わっていたんですか?

梶川:そうですね。小学校の頃は工業団地にくれば同じ年代の子供たちがいたので、当たり前のように集まって遊んでいましたね。さすがに機械には触らせてもらえませんでしたが、手伝ってお小遣いを貰うこともありましたよ。

大川:そうなんですね! ある意味、英才教育を受けていたんですね。当時から親の後を継ぐという思いはありましたか?

梶川:全くなかったですね! ほら、町工場の社長ってドラマでだいたい借金で首が回らなくなってるじゃないですか。その印象が強くて(笑)。実際、私は高校を卒業したら上京したかったのですがどうしても親が許してくれなくて、それでも諦めきれずに県内のアパレルの専門学校に進学するくらいでした。卒業後も金沢のアパレルメーカーに就職したんですが、間もなく実家と会社に「強制送還」されてしまいました。

大川:1987年くらいのことですよね。当時の工場の環境はどうでしたか?

梶川:入ってすぐに「辞めたい」と言い出すほどには、アパレルとは別世界でした(笑)。ただ、父親が肝硬変になってしまい第一線に戻れないので、辞めるに辞められない状況に追い詰められた。でも私は技術者ではなく、当然、経営者でもなかったので最初はやれることなんてほとんどありませんでした。会社のなかで自分の「居場所づくり」を試していたときに出会ったのが、当時は最新鋭だったパソコン「PC-98」だったんですよ。

PC-98とは?

1982年(昭和57年)から2003年(平成15年)にかけて、日本電気株式会社(NEC)が開発した「PC-9800シリーズ」や「PC-9821シリーズ」のパソコンの総称。

大川:PC-98ですか!とても懐かしいですね! なぜ工場にあったのですか?

梶川:どうやら、事務機屋さんに勧められて給与計算用に購入したみたいなんですが、買ったきりで母も事務員も触らなかったみたいですね。私は当時、パソコンの「パ」の字も分からないほどの素人でした。ただ、周りの人も知識レベルも同じ感じかつ「パソコンアレルギー」のようだったので、居場所探しをしていた私にとってはある意味チャンスでした。これを使って「給与計算」をしてやろうと思ったのが、ウチの工場や業務の進め方がカタチになる最初の一歩だったのだと思います。

「居場所」づくりから始まった。給与計算システムも自分で作る!

大川:給与計算ですか。当時はパッケージソフトを導入するにしてもスクラッチ開発をするにしてもシステム会社に発注するのでそれなりの初期投資が必要だったかと思いますが、どのように導入したんですか?

梶川:最終的にはコマンドを打ち込んで自分で作りました。

大川:自分で作った!? 当時の梶川さんはデジタル技術についてはほぼ素人だったんですよね?

梶川:そうですね。ただ、現在の株式会社インテックに務めている友人がいて「ちょっと教えて」と頼んだんですよ。そうするとデータベースのサンプルをもらえまして、それを見よう見まねでいじって作った感じですね。

大川:いいですね!「欲しいものは自分で作る」姿勢は大事ですよね。デジタル技術を導入するとか、勉強するときって大体「生産を効率化しよう!」とか「品質の向上!」といった目標が先に立つかと思うんですが、当時からその思いはありましたか?

梶川:当時は全くなかったですね。さっきも言いましたが、会社で居場所を作るためにやっていた感じです。今も昔もこの業界は男社会で、特に当時の現場では、正直かなりキツい言葉をぶつけられることが毎日でした。そんな職人たちができない、苦手なモノを手掛けてやろうって感じですよ(笑)。だから、先を見据えた「スキルの取得」とか「デジタル技術の導入」をやってきたという自覚は正直ないんですよね。給与計算システムを自作している間に、Windows95が発売されたり技術がどんどん先に行っちゃう。データバックはフロッピーでやっていたのが、クラウドになり、図面もドラフターからCADになった。できそうなモノ、役立ちそうなコトを取り入れていくのが自然な流れじゃないかなぁと思うんですよ。

大川:確かに本質だと思います。ただ、実際は貴社の規模はもちろん、それ以上の会社であってもデジタル技術を上手に活用できている企業は少ないですよね。

梶川:製造業はIT化が遅れているってよく言われていますが、私は本来、製造業とコンピュータは切っても切れない関係だと思うんですよ。伝統産業なら手仕事で完結するかもしれませんが、モノづくり産業であればデジタル技術の情報は自然の耳に入ってきます。個人や組織がそれを実践するか否かの違いだけじゃないでしょうか。メーカーの営業担当者が「サンプルはいかがですか?」と持ってくれたモノを順番に試していく感じです。当然、失敗もしますが良いモノは残るし採用しますよ。

大川:製造業ならではの感覚と、デジタルって昔はもちろん、一人でも試しやすい技術だからこそ……。ということでしょうか。それでもなぜ多くの人や会社は試して選別を繰り返すことを「普通」にできないかを考え続けなければならないかもしれませんね。

歩く距離の無駄削減すら反発される! 町工場の「変化」のすすめ方

以前の工場の環境

現在の工場の環境

大川:以前の貴社の現場環境を教えていただけますでしょうか。

梶川:基本的に超アナログ環境でしたね。給与計算はそろばん、図面製作はドラフター、日報はなく進捗管理表も一切ないという状態でした。

大川:え!? 注文書と納品書しかないという状態だったんですか?

梶川:だいたいそんな感じですね(笑)。スケジュールは全部、当時の工場長の頭の中にある状態でした。同じ工場にいたとしても、誰が何をやっているのかが分からないのが当たり前でしたね。そんな状況で経営者になってみても、原価管理なんてできるわけないですよ。それどころか、みんなが年中「キツい」とか「しんどい」と言っているのも、何がどうしんどいのかすら把握するきっかけすらありません。そんなときにやってきたのが2008年の「リーマンショック」でした。

大川:貴社も相当なダメージを負ったと。

梶川:その通りですね。リーマンショックが起こったのがきっかけで7割も売上が下がりました。営業赤字は−6000万円。そうなると当然、みんな意気消沈して現場の空気は悪くなり、協力どころか「悪者づくり」に走るなど悪循環にハマってしまいます。一方、個人的にはやるしかない環境になったと強く感じました。

大川:梶川さんが社長に就任したのは2010年なので、まだ経営状態が良くないタイミングでのバトンタッチだったワケですね。

梶川:その通りです。社長に就任してすぐにQCサークル(小集団改善活動)に取り組んだのですが、その最初のテーマ「歩く無駄を探そう」ですら社員からは「用事があるから歩いているんだ!無駄なことはしていない!」と反発が巻き起こるくらい、変わることに対する拒否反応が激しかったですね。今でこそ、目標の数字を共有すればみんな動いてくれますが、たとえ当時の環境で生産管理システムを導入したって言葉は通じなかったと思います。

大川:話を聞くだけでもあまり良くない状況ですね。そのなかで梶川さんが打った一手とは?

梶川:IT関連でいうと文書管理の集約とデジタルでのファイル管理の徹底ですね。大阪にある3Sで有名な冷間鍛造金型メーカーが作成した文書管理・図面管理システム「デジタルドルフィンズ」を導入しました。まずは会社中に散らばっている紙の図面やNCデータをかき集めました。そして後にやったことは「ファイルはここに格納する」、「ここから引っ張り出す」といったルールを周知して徹底することです。

大川:反発とかなかったんでしょうか?

梶川:やってくれる人、やってくれない人は分かれますよね。個人や組織単位はもちろん、経営者や会社そのものも、たとえ小さくても新しいことに対して反抗するような文化は今でも多いと感じています。ウチも他人事ではありませんでしたよ。それでも、新しく入った子たちに「必要資料は全部ここに入れておいて」と約束するだけで、自然とデータが集まりだして現場の人たちも使わざるを得ない状況ができて、ペーパーレス化も進んだ感じです。

大川:なるほど。ただそれだけでは、工場内にLANを完備して業務管理している貴社の変わりっぷりの説明が難しい印象です。例えば、第一工場の真ん中にある大きなモニターとPCのスペースはどのような経緯で導入したんですか?

梶川:単純にそこで見た方が効率が良いからですよ。導入以前から行っていた朝礼で用いるのも打ってつけでした。モニターには常にスプレッドシートで作成した個人レベルまで落とし込んだ進捗管理表を表示して、毎日、朝と昼に全員で進捗確認と報告、作業指示などを行っています。元々、パソコンは別室にあったのですが、モニターや現場の近くにある方が情報共有的な意味でも便利なので今の位置に配置しました。作業中も自然と管理表が目に入るのもメリットですよね。Excelでなくてスプレッドシートにしたのも、「編集や変更が便利だから」だし「携帯でも見やすいから」という当たり前の理由です。

大川:さきほどのお話と同様、ITツールを導入するときの特有の「気張り」がないのが逆に違和感がありますね(笑)。パソコンやモニター用の100Vの電源も配線している環境は、私のなかでは結構特殊だと思うのですが。あと、進捗管理で使っているツールはスプレッドシートとGoogleカレンダーだけなんですか?

梶川:現在は「だけ」ですね。生産管理システムとかも少しは触ってみたんですが、「なんでわざわざ見覚えのないインターフェースを導入しなければならないんだろう?」という疑問しか浮かんでこなくて。朝礼すらない現状なのに、新しく文化や習慣が根付くイメージもなかったんですよね。もちろん、事業規模や製造物にもよりますが、ウチの業務管理のソフトウェアは「スプレッドシート」と「Googleカレンダー」。ハードウェアは「モニター」と「タッチペン」でほぼ完結していますよ。これらのツールを使用していくなかで、従来はまったくできていなかった報連相を始めとしたコミュニケーションなどが、企業文化として形成されていったと感じています。

大川:文化形成という意味では、あとはクラウドかつ馴染んでいるツールの方が優位性が高いですね。でも、ほかにも理由がありそうですね?

梶川:うーん。これは私個人が抱いている「マイノリティ精神」でもあるんですよね。ITシステムの投資って資金力があればいくらでもお金をかけられるわけじゃないですか。さっきも言いましたが、製造業をやっていると「A社は●●というシステムを導入した」という噂がよく耳に入ってくるんですよ。そうなると、ウチのような「そうでない会社」だからこそ、大手がやらない「もっといいやり方」を探してやろうという思いは少なからずありますかね(笑)。

「取りあえず触ってみる」の本質は?

大川:梶川さんや貴社の事業とデジタル技術との向き合い方で心がけていることはありますか?

梶川:「取りあえず触ってみる」ことですかね。意識はしていないのですが、PC-98の頃から私自身はこの姿勢は一貫していると思います。特にIT分野はいつの時代も「これからはこの技術だ!」のような声が聞こえてくるじゃないですか。インターネットもクラウドもAIもIoTも、今だとChatGPTも同じです。それらの技術に触れてみて、業務に使えそうであれば使ってみる。使えそうでも一人で運用が難しそうなら、人を巻き込む。その繰り返しだと思います。

大川:確かにそうですね。ただ、私の体感だと9割の人たちはそれが出来てない印象なんですよ。恐らく、貴社のデジタル環境の構築とそれを活用する文化の形成は、本業だけではない事業と梶川さんの活動による「人づくり」にヒントが隠されているのだと思います。

後編:いつ、何が咲くか分からない種を蒔く。アート・デジタル・哲学で育てつなげる「人づくり」

 
梶川貴子(かじかわ・たかこ)
株式会社フジタ 代表取締役社長
富山県出身。アパレル業界を経て、1987年に入社。2010年から現職。17年にはクラウドファンディングなどを活用して設立した「ファクトリーアートミュージアムトヤマ」の館長も務める。
 
聞き手 大川 真史(おおかわ・まさし)
データのじかん主筆
IT企業を経て三菱総合研究所に約12年在籍し2018年から現職。専門はデジタル化による産業・企業構造転換、製造業のデジタルサービス事業、中小企業のデジタル化。(一社)エッジプラットフォームコンソーシアム理事、東京商工会議所ものづくり専門家WG座長、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会 中堅中小AG副主査、イノベーション・ラボラトリ(i.lab)、リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMAを兼務。官公庁・自治体・経済団体等での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。直近の出版物は「アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド」(大川真史編、技術評論社)
 
執筆 藤冨 啓之
経済週刊誌の編集記者として活動後、Webコンテンツのディレクターに転身。2020年に独立してWEBコンテンツ制作会社、もっとグッドを設立。BtoB分野を中心にオウンドメディアのSEO、取材、ブランディングまであらゆるコンテンツ制作を行うほか、ビジネス・社会分野のライターとしても活動中。データのじかんでは編集・ライターとして企画立案から取材まで担う。1990年生まれ、広島県出身。
 

(取材・TEXT:藤冨啓之 PHOTO:北山浩士 企画・編集:野島光太郎)

 

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『Local DX Lab』

「データのじかん」がお届けする特集「Local DX Lab」は全国47都道府県のそれぞれの地域のロールモデルや越境者のお取り組みを取材・発信を行う「47都道府県47色のDXの在り方」を訪ねる継続的なプロジェクトです。

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