
スポーツにおけるデータ活用は、間違いなく成果を上げてきました。プロ野球では、投手ごとの球種割合や打者の打球傾向をもとにした配球が一般化し、高校野球でも投手の投球数管理やコンディション把握が進んでいます。その流れは、いまやアマチュアや育成年代の現場にも及んでいます。バッティングやスローイングの計測データ、練習量や成績の記録など、「子どもの成長」はかつてないほど数値で“見える化”されるようになりました。
データ活用の効果は、データに基づく選手起用が行われることで、チームの勝率を高めることへの貢献が挙げられます。
また、データは指導の共通言語にもなっています。これまでは「もっと強く振れ」「体を大きく使え」といった抽象的な表現に頼っていた部分が、スイングスピードや打球角度といった数値で共有できるようになりました。指導者間のばらつきが減り、選手自身も「何が求められているのか」を理解しやすくなった点は、大きな進歩だと言えるでしょう。
さらに、負荷管理やケガ予防の観点でも、データは力を発揮しています。投球数や練習量を可視化することで、無理やムダを減らし、選手生命を守る。こうした取り組みは、勝利を目指す競技スポーツにおいて非常に合理的です。
ここまで見てくると、スポーツにおけるデータ活用は「善」であり、導入しない理由はないようにも思えます。しかし、スポーツにおけるデータ活用や指標の多くは、あくまで「勝つためのパフォーマンスを高めること」を最優先に置いているという前提に注意が必要です。
問題は、こうしたデータ活用の考え方が、そのまま育成年代に持ち込まれたときに生じます。勝利を目的としたデータと、成長を目的としたデータは、必ずしも同じ方向を向かないからです。
息子を中学野球(硬式野球チーム)に預ける私は、最近、「体重」と「飛距離」の関係について学ぶ機会がありました。米国のメジャーリーグでは、数年前に「フライボール革命」という考え方が提唱され、バレルゾーン(打球速度と打球角度によって、ホームランになるゾーン)が、データと統計から明らかになってきました。すなわち、打球をスタンドインする目安の110メートル以上飛ばすには、スイング速度は最低でも時速128キロが必要で、そのスイング速度を出すためには、65kgの除脂肪体重(体脂肪率15%として74.8kgの体重)が必要だというのです。
翻って、一般的な中学3年生(15歳)の平均体重は58.8kgであり、「中学生がスタンドを越えるホームランを打つのは、データからはかなり絶望的だ」という結論が見えてきます。このデータを、チームの勝利という目標に当てはめるならば、「体格で未成熟な中学生にホームランを求めることが絶望的である以上、ゴロやライナーで得点を重ねる野球のほうが合理的だ」という結論となります。
実際に、中学野球チームの中には、飛距離を前提としない戦い方を徹底し、ゴロや進塁打で得点を重ね、勝利を目指すところもあります。勝つためには、再現性の高いプレーを選択する。データが示す結論としては、一見すると納得感があるように見えます。
しかし、ここで立ち止まって考える必要があります。育成年代において、その合理性は「成長」にとっても最適なのでしょうか。身体が発展途上にある子どもたちにとって、いま飛ばないからといって、飛距離を追い求めること自体を諦めてしまう。ホームランを打つためのスイングや、身体づくりに挑戦する機会を失ってしまう。それは、将来的な可能性を狭めてはいないでしょうか。何よりゴロや進塁打ばかり打たされていたら、野球の面白さを実感することはないでしょう。
勝利を目的にしたデータは、「いま勝てる選択肢」を教えてくれます。一方で、成長を目的にしたデータは、「どこに伸びしろがあるのか」「何を積み上げれば、将来につながるのか」を示すものであるはずです。両者は似ているようで、目指しているゴールが違います。育成年代の現場では、この2つを意識的に切り分ける必要がある──、それが私が学んだことです。
育成年代においては、データの「使い方」を誤ると、成長を促すどころか子どもを追い詰めてしまうことがあります。その分かれ目は、データが「行動のヒント」になっているか、それとも「評価の烙印」になっているか、という点にあるように思います。たとえば、スイングスピードや打球速度といった数値は、本来であれば「どうすれば速くなるのか」「どんな練習が効果的か」を考えるための材料です。しかし、それがいつの間にか「遅い」「平均以下だ」といった比較や序列の材料に変わってしまうと、子どもは自分の現在地だけを突きつけられることになります。
成長過程にある子どもにとって重要なのは、「いま何ができていないか」よりも、「どこが少しずつ良くなっているか」です。昨日よりもスイングが鋭くなった、ミスの内容が変わった、挑戦する姿勢が見えた、そうした変化は、必ずしも数値に表れません。
一方で、データが上達に効く場面も確かにあります。たとえば、「体重が増えるにつれて飛距離が伸びやすい」という事実は、短期的な結果に一喜一憂するのではなく、「いまは身体づくりの時期なのだ」と視点を未来に向ける材料になります。「飛ばない=ダメ」ではなく、「いまは準備段階」という理解に変換できるなら、そのデータは子どもを守る盾になります。
問題なのは、データそのものではなく、データを「判断の終点」にしてしまうのか、「対話の起点」にできるのか。この違いが、育成における明暗を分けているように感じます。
育成年代で特に慎重に扱うべきなのが、「評価」に直結するデータです。打率、出塁率、投球回数、防御率といった評価指標は、子ども自身がどう受け止めるかによって、その意味合いが大きく変わります。特に育成年代では、結果が出るかどうかは、身体的な成長差や役割、チーム事情といった要素にも大きく左右されます。
ここで重要なのは、評価データを「人を測るもの」として使わないことです。データはあくまで、その時点の状態を示すスナップショットに過ぎません。未来を決めるものではないし、成長の可能性を限定するものでもないはずです。育成の現場で本当に必要なのは、「評価」よりも「理解」。なぜこの結果になったのか、どんな試みをしたのか、次に何を意識すればいいのか。そうした文脈を伴わない数値は、子どもの自己肯定感を削る刃にもなり得ます。
スポーツにおけるデータ活用は、これからも進んでいくでしょう。それ自体を止めることも、否定することもできません。だからこそ、育成年代では「そのデータは何のためにあるのか」を常に問い直す必要があります。勝つための合理性と、育てるための時間軸は、同じではありません。データは、未来を閉ざす道具にも、可能性を広げる地図にもなります。子どもにとってのスポーツが、「評価される場」だけで終わらず、「挑戦し続けられる場」であり続けるために、勝つためのデータと、育てるためのデータを意識的に分けて扱うことが、いま求められている気がしています。
(TEXT:阿部欽一 、編集:藤冨啓之)
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