先行き不透明な時代にあって、企業はさまざまな自社の可能性を探っている。専門性に磨きをかけて存在感を強めることも大切だが、変化に対応することで成長を遂げていく柔軟性や多様性こそが、いまを乗り越える鍵だろう。株式会社東急スポーツオアシスは、フィットネスクラブ業界の中でもいち早くデジタルテクノロジーの活用を開始。今回のコロナ禍でも、データを巧みに活用してユーザーエクスペリエンスの向上に努めた。このDX推進の指揮を執る武重慶士氏は現在、東急不動産ホールディングスのDX推進担当者としても手腕を振るう。その視野に迫った。
株式会社東急スポーツオアシスが「データを活用してビジネスを成長させる」という経営方針を打ち出したのはいまから5年前。以来、武重氏が担当者として同社のデジタル化推進に当たってきた。こうした実績を生かし、コロナ禍においても会員に施設の混雑状況などをネットで配信、安心して利用してもらう仕組みをいち早く提供できた、と武重氏は振り返る。
「コロナ禍だからデータを使って何か対策を取らなくては、という気持ちはありませんでした。今までも、データ活用を軸に会員の利便性向上や新しいサービスを考えてきました。その積み重ねがあったため、急きょこしらえるのではなく、これまでの動きの一環として、自然に対策できました」
こうした実績が認められ、武重氏は今年の10月から持株会社である東急不動産ホールディングス株式会社に、現職と兼務で出向。東急不動産ホールディングスグループ全体のDX推進に従事している。東急不動産ホールディングスでは、2020年4月からDX推進室を立ち上げたが、同社は企業規模も大きく資本力もあることから、他の日本の大手企業同様に、ITは外部のベンダーやSIerに委託してきた。このため、自社のデータを社員自ら活用するという経験が、これまでほとんどなかったという。
「一方、私の方はフィットネスクラブという現業でお客様に直接触れる機会も多く、会社としてもデータ活用に長年取り組んできた実績があります。今回の抜てきは、その“肌で会得した”経験値やノウハウを、グループ全体で共有できるように取り組んでほしいという期待だと受け止めて、影響力を出していきたいと思っています」
データ活用の豊富な経験をもとに、コロナ禍でも的確に対応した武重氏だが、それ以上に今回は自分たちのビジネスモデルの脆弱性に気付かされたと明かす。
「私たちはこれまで、毎月会費をいただいてサービスを提供する、いわばサブスクリプションビジネスを実践していると思っていました。ところが、今回の事態に遭遇して、実は自転車操業だったと痛感させられたのです」
毎月の安定した会費収入は、ひるがえって見れば、不測の事態が起きた瞬間に途絶する。事実、東急スポーツオアシスでも、コロナ禍を理由に退会した会員がいた。だが武重氏は、その中でも多くの会員がやめないでいることから、フィットネスクラブというのは、まだ世の中から必要とされていると感じ、活路を見出さねばと考えた。
「例えば、コロナ禍で企業の売り上げが落ちても、業務用の分析ツールや会計ソフトの使用をやめることはありません。それは、絶対に仕事に必要なものだからです。フィットネスクラブも同じです。会員自身が必要だと思っているからこそやめない。ならば、もう一度一人一人向き合って、本当に必要とされているサービスを提供しなくてはならないと思いました」
そこで着目したのが、それまでも利用していた「パーソナルスコア」による顧客の傾向や嗜好分析だ。会員各人のデータをもとにニーズを分析し、サービス提案に活用していく。まさに同社が掲げてきたデータ経営を、苦境脱出に生かす時が来たのだ。
その発想から生まれた施策の一つが、コミュニケーションプラットフォーム「DEJIREN」を使った「退会防止ソリューション」だ。同社ではすでにBIダッシュボード「MotionBoard」を使って、会員の情報をスコア化し、過去の退会者データ分析結果をAIでスコアリングし、退会の可能性が高い場合はアラートを上げて定期的にフォローする仕組みを構築してあった。
「今回はそれをさらに進めて『退会の可能性が高い人』のランキングを可視化し、DEJIRENから担当者が検索できるようにしたのです。これで誰にアプローチをしたらよいのかを明確にしました」
大切なのは「やめさせない」ことではなく、いち早く会員の不満に気付き、要望に耳を傾けて満足度の高いサービスや環境を提供することにある。その意味でデータ活用とは、単にデータを集めて分析したり可視化したりすることではなく、そうした会員の無言の期待に応える手段の一つだと武重氏は示唆する。
もう一つ、今回のコロナ禍から生まれた、顧客目線に立った新しいサービスがある。フィットネスクラブの「館内利用状況表示サービス」だ。東急スポーツオアシスでは、国の外出自粛要請を受けて2020年4~5月の2カ月間、営業自粛を余儀なくされた。6月には営業再開したものの、引き続き3密を避けながら会員に安全に、かつ安心して利用してもらう環境をどう提供するかが問われた。そこで考えたのが、施設内の混雑状況を示す「館内の利用率」と「男女別ロッカーの利用率」を、ネット経由で見られる仕組みだった。会員は来館前に公式Webサイトから混み具合を確認して、空いている時間帯を選べる。この結果、混雑が分散・緩和され、誰もが安心して利用できるようになった。
「『館内利用状況』の表示は、ロッカーの稼働率をもとに『少ない・普通・やや多い・多い』の4段階で利用状況を見える化し、15分ごとに最新情報に更新されます。当初は混雑状況というデータを提供することでいらぬ不安をあおるのではという懸念もありましたが、結果的に会員さんの安心感につながることが確認できて、やはり踏み切ってよかったと思っています」
この館内利用状況サービスは、コロナ禍であわてて開発したのではない。同社が2018年から新事業として展開してきた、データ可視化クラウドサービス「BeesConnect(ビーズコネクト)」がベースとなっている。もともとは、フィットネスクラブでタオル在庫の管理を効率化できないかと考えて開発したという。タオルやウェア、シューズ残量をセンサーが計測し、セルラー通信経由で「MotionBoard」にデータを送信して可視化、担当スタッフがリアルタイムでタオル在庫状況を確認できるというものだ。
東急スポーツオアシスでは、この「BeesConnect」を自社だけでなく、同業他社にも外販。リリースと同時にBeesConnect事業部を設立した。現在はデータの可視化だけでなく、アンケートや申込書などの電子化、各種施設用のIoTソリューション、さらには人材育成プログラムの提供までをトータルに提供し、同社の新しい事業ドメインにまで成長している。
「今回のコロナ禍では、同業の2社から、『館内利用状況』などの導入をいただき、ようやく業界の中でも認めてもらえるようになったと喜んでいます。この実績を踏まえて、これからは他の業界でも利用いただけるよう、積極的に利用シーンを提案していきたいです」
現在、東急スポーツオアシスでは、
①既存のフィットネス事業
②ホームフィットネス事業
③BtoBビジネス
を、事業の柱として掲げている。この戦略を進めていく上でも、まずはBeesConnect事業で具体的な成果を出すことが重要だと武重氏は語る。
「ここまでの取り組みが一定の評価を得て、東急スポーツオアシスが東急不動産ホールディングス全体のデータ活用の先導役を任せてもらえるところまで来たと自負しています。その意味でも、『ソリューション外販』という新しい事業を軌道に乗せて、グループ外部にも通用する『DX力』を、グループ内にフィードバックできたらと願っています」
同社では2020年4月に新社長が就任。そのメッセージとして、リアル店舗=フィットネス事業を基盤としながら、「ウェルビーイング=体の健康に加え人々の幸福追求」を目指す戦略が打ち出された。将来的には、現在7割以上を占めるフィットネス事業の売り上げを、他の2本の柱を成長させることで半々の比率まで持っていくことが目標だという。
「今までは東急スポーツオアシスの中だけでしたが、これからは東急不動産ホールディングスグループ全体でのDX推進に関わっていくことができます。あれだけの大きな企業が本気でDXをやったらどれくらいのパワーが出せるのか楽しみな反面、責任も非常に大きいと感じていますが、とにかくこれからも精一杯取り組んでいきたいと思っています」
お話をお伺いしたDataLovers:武重 慶士 氏
東急不動産ホールディングス株式会社 DX推進室 兼 グループIT戦略部 兼
東急不動産株式会社 企画戦略部DX推進室 兼 IT戦略部 兼
株式会社東急スポーツオアシス DX推進グループ 兼 BeesConnect事業
東急スポーツオアシスにて現場を6年ほど経験し、その後販促やマーケティング部署を経て、2018年より「BeesConnect事業」としてフィットネス業界のデータ活用を推進する事業を展開。社内外のデータ活用を推進し、2020年10月より東急不動産ホールディングスへ兼務出向し東急不動産ホールディングスグループのDX推進を行っている。
(取材・TEXT:JBPRESS+工藤 PHOTO:落合直哉 企画・編集:野島光太郎)
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