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大学院在学中に子どもを出産した筆者は、「乳幼児の育児中というハンデはあるものの、実力さえあれば就職できる」という気概で就職活動をはじめました。
しかし、結果は全滅。
そして、こう思いました。「わたしには、就職活動において、評価されるような実力がないのだ」。
結局、筆者は個人事業主として働き始めることにしました。しかし、フリーランスのライターとして、活動する上では、ただ記事を書くだけではなく、営業や確定申告などの経理作業も自分自身で一手に引き受けなくてはなりません。メールで営業を行い、記事を納品し、請求書を出す、という日々の中で、徐々にこう思うようになります。「わたしが就職できなかったのは本当に実力がなかったからなのか?」
こんな問いの答えを模索する上で、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?(鬼澤 忍 訳)』は非常に有効な補助線となります。
Amazonでベストセラー1位にランクインし、話題沸騰中の本書を今回は紹介します。筆者のように、「成功できなかった」体験があり、もやもやを抱えて生きている人は必読です!
書籍『これからの「正義」の話をしよう: いまを生き延びるための哲学』で知られる政治哲学者・倫理学者のマイケル・サンデル。日本ではNHKで放映されていた『ハーバード白熱教室』を通じて知っている、という方も多いのではないでしょうか?
そんなマイケル・サンデルの新著『実力も運のうち 能力主義は正義か?』では、アメリカで根付く能力主義が生み出す、固定化された格差を指摘します。本書はアメリカで刊行された直後から大きな話題を呼び、日本でも2021年4月に翻訳書が刊行されるとSNSを通じて大きな話題を呼びました。
では、実際の事件やデータ、政治家たちの主張、そして哲学者たちの思索から暴き出される能力主義社会の実態とはどのようなものなのでしょうか?
どんなに貧しくても頑張って勉強をしていい大学に入ることができれば、いい企業に就職でき、人生を逆転できる。勉強は裏切らない。
そう思っている人、多いのではないでしょうか?
それでは、「いい大学に入る人」とは、どんな人なのか、本書から一部抜粋して紹介します。
ハーバード大学やスタンフォード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一に当たる家庭の出身だ。気前のいい学資援助策にもかかわらず、アイビーリーグの学生のうち、下位五分の一に当たる家庭の出身者は四%にも満たない。ハーバード大学をはじめとするアイビーリーグの大学では、上位一%(年収六三万ドル超)の家庭出身の学生のほうが、所得分布で下位半分に属する学生よりも多い。
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?(鬼澤 忍 訳)』
そして、同様の傾向は日本でも見られます。ウェブメディア「PRESIDENT Online」で公開された社会教育学者の舞田敏彦氏による記事「「東大生の親」は我が子だけに富を“密輸”する」によると、東京大学の学生のうち、親の世帯年収が950万円以上の学生は全体の54.8%を占めたといいます。一方で、大学生の親世帯の多い40〜50代の世帯の分布をみると年収が950万円以上の世帯は22.0%となっており、東大生の親は世間一般と比較して高収入である割合が非常に高くなっています。
勉強の結果はその人自身の能力や努力の量に比例するとするならば、「いい大学」に入れる確率は、平均以下の収入の家庭でも上位1%の収入の家庭でもたいして変わらないのではないでしょうか?
しかし、実際は、上位1%の収入の家庭に生まれたほうがはるかに「いい大学」に入りやすいのです。そしてその差をみてみると、「個人の努力」や「能力」などで埋められるようなものではないように思います。
資本を持つものほど良い教育を受けることができ、いい大学に入学できる、というサイクルが強化され、学歴と資本の結びつきが強まる中で、全米を揺るがすスキャンダルが発覚します。
それが一人の「受験コンサルタント」による大規模な「学歴の売買」です。
この事件は、受験コンサルタント、ウィリアム・シンガーが多額の報酬と引き替えに、セレブの子息たちを「いい大学」に不正入学させていた、というもの。
ときに経歴を偽装してスポーツ入学枠を利用し、ときに試験官を買収し、学歴を「買う」ことができた、という事実は大きな衝撃とともに報じられ、Netflixでも、この事件を追ったドキュメンタリー『バーシティ・ブルース作戦: 裏口入学スキャンダル』が公開されています。
不正入学した学生の親の中には著名な俳優なども含まれており、バッシングの嵐にさらされることに。
数十から数百ドル(日本円にして数千万から数億円)をポンと受験コンサルタントに支払えるようなセレブすら、危ない橋を渡ってでも手に入れたがる、ステータス化した学歴は、庶民が「能力」一本で手に入れられるようなものではなくなっているのです。
学歴すら能力で推し量れなくなる今、普通の人が「成り上がる」ために必要なものとはなんなのか、本書では以下のように述べられています。
こんにち、最大の社会的流動性を備えている国々は、最大の平等性を実現している国々である場合が多い。社会的に上昇する能力は、貧困という動機よりも、教育や医療に加え、仕事の世界で成功するための素養を与えてくれるその他の資源が利用できるかどうかにかかっているようだ。
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?(鬼澤 忍 訳)』
「成り上がる」ために本当に必要なのは、能力主義に基づいた努力の積み重ねではなく、「個人の努力・能力」の限界を理解し、収入や属性に関わらず、個々人が必要な資源にアクセスできるような社会を作ることなのです。
冒頭の話に戻ると、筆者の場合、安定した収入を得るためにボトルネックとなったのが育児、でしたが、例えば、金銭的な問題で大学に進学できなかった場合、若くして大病を患った場合、さらに老齢の親族を介護している場合など、企業に正社員として登用され安定した収入を得たい場合に不利と言われる条件はさまざまにあります。
しかし、収入が少なくとも良い教育を受け、大学に進学できれば、病気になったあとに社会に復帰するための支援が整えば、育児や介護などライフプランを支える制度があれば、人々はもっと容易に安定した収入を得ることができるのではないでしょうか?
ここまで、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』に基づき人々が自分の能力によって成功を実現するためにどのような社会基盤が必要か、を考えてきましたが、最後に、社会基盤が整って、だれもが才能を発揮できる社会でもし成功できなかったら?ということについて考えていきます。
そもそも人間一人が「できること」の範囲は、多少の得意・不得意はあれ、大きな差はありません。そうしたなかで本書では、個人の「得意」なことが、莫大な報酬を得られるほど社会に認められるものである、というのは偶然に過ぎない、と述べています。
いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?(鬼澤 忍 訳)』
成功があくまで運でしかないのなら、うまくいかないときに「自分に実力がなかったから」と自責する必要はありません。また、成功したとしても、「うまくいっていない人々」を見下すことはできません。
社会の中で、うまくいくかいかないかは運であって、自分や他人の責任ではないのだ、という認識を共有することができれば、人々は今よりも強く、互いに共感の念を持つことができるかもしれません。
あらゆる人々が実力というよくわからないもので区分化される社会に疲れている方、自分はだめな人間だからうまくいかない、と落ち込んだことがある方、そして、今この社会で成功を掴み取った方も、ぜひ『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を読んでみてください。
【参考引用サイト】 ・ 「東大生の親」は我が子だけに富を“密輸”する
(大藤ヨシヲ)
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