関連記事:人工知能研究の歴史第1回‐天才アラン・チューリングの栄光と悲劇の前編

終戦後、チューリングは暗号解読を続けることはしなかった。戦前から考えていた、人間の脳の思考モデルを機械で実現する、Electronic Brainと呼ばれるマシンの開発を目指したのだ。そしてイギリス初のプログラム内蔵型コンピュータ「ACE」の設計を行い、初期のコンピュータ Manchester Mark I のソフトウェア開発に従事する。1950年には「計算する機械と知性」という論文で、著名な「チューリング・テスト」を発表した。
チューリング・テストは、次のように始まる。
私は、機械は思考できるのか?という問題を検討することを提案する。そのためには、まず機械と思考という言葉の定義から始めなくてはならない。
この頃、アメリカでもコンピューター史における重要な出来事がある。大砲の弾道計算のために、ペンシルベニア大学で、真空管方式のデジタル計算機ENIACを開発していたのだ。
大砲を撃つためには「角度」と「火薬の量」がわからなければならないが、手作業で計算すると1ヵ月もかかってしまう。円盤とモーターで構成されたアナログの計算機もあったのだが、弾道1つに対して計算時間は20分ほどかかっていた。ところが完成したENIACは、これをわずか20秒で計算できたのだ。
18,000本近い真空管と、十万個を超える抵抗やコンデンサーやリレーなどを使用した、なんと30トンもの巨大な装置のENIACは、終戦後に完成した。その存在は、1946年2月に一般公開されて、大きく報道される。
これが世界初のコンピュータと呼ばれているものだが、事実上プログラム内蔵方式ではなかった。プログラム内蔵方式とは、プログラムを主記憶装置、つまりメモリに格納し、CPU がこれを読み取りながら実行をおこなうという、コンピュータの動作方式のことだ。現在のコンピュータは、大半がこの方式を採用しており、同時代にこの方式を考案したアメリカのフォン・ノイマン(註1)の名を取って、ノイマン型コンピュータとも呼ばれている。
図版:筆者作成「プログラム内蔵方式コンピューター」
1952年、チューリングは警察に逮捕される。罪状は同性愛の罪だった。当時の警察は、チューリングがイギリスを救った第二次世界大戦の英雄だったことを知らなかったのだ。チューリングは有罪となり、同性愛を矯正するためとして、女性ホルモン注射の定期的投与を受け入れる。
チューリングは、「胸が膨らみ自分が違う人間になっていく」と手紙で訴えていたが、やがて自宅のベッドで死んでいるのを、家政婦によって発見される。
ベッドの脇には、かじりかけのリンゴがあり、死因は青酸化合物による自殺と断定された。人工的に人間の脳を創るというチューリングの夢は、ここで途絶えたのだった。
1974年になって、やっとチューリングの功績が一般公開される。そして死後50年も経った2009年、チューリングの汚名をそそぐために、イギリスで請願活動が行われて数千名の署名が集まった。それを受けてイギリス政府は、当時の首相が公式な謝罪を行った。さらに2013年になると、エリザベス女王がチューリングに対して、正式に恩赦を与え、名誉を回復させる。
なお、Apple社のリンゴのマークは、チューリングのかじったリンゴだという噂がある。真実は定かではないが。
いや~、チューリングの生涯は、実話とは思えないくらい波瀾万丈で悲劇的ですね。しかし、なんで天才的な科学者であり戦争の英雄が、そんな同性愛の罪などで有罪になったのですか?
当時のイギリスでは、同性愛は罪だったのです。しかもイギリス政府は、暗号解読機の存在は国家の極秘情報として、第2次世界大戦中のチューリングたちの記録を抹消し、彼や彼の同僚の活動についての、あらゆる痕跡は消され、徹底的に隠していたのです。警察は知るゆえもありません。
でもですよ、チューリングはなんで法廷で戦争の英雄だったことを、訴えなかったのかな?
チューリングは法廷で『事実について争うつもりはありません。しかしその上で無罪を主張します。私の行いが罪であるべきでないからです』としか主張しなかったそうです。当時のイギリス首相チャーチルは、彼らを『金の卵を産んでも決して鳴かないガチョウたち』と称していましたし。まったく酷い話ですよね。関係者たちは全員その秘密を守り、1974年に情報公開されるまで、イギリス国民は誰もチューリングの偉業を知ることはなかったそうです。
いや~、そこまでして暗号解読機の存在を隠す必要があったのかな。アメリカのように情報公開して、イギリスの科学技術の高さをアピールすればよかったじゃないですか。
首相チャーチルの老獪さは、常人ではうかがい知れないものです。先ほどの、ドイツから奪ったエニグマ暗号機の再利用もそうです。他にも第二次世界大戦が終戦を迎える直前に、終戦後を見据えてソ連にあるヤルタで、ソ連の対日参戦を促し、その代わりに終戦後は千島列島と樺太をソ連に渡す、などのヤルタ秘密協定を締結したくらいですから。
Great Britain大英帝国と自分で名のるくらいの尊大な国家は、そのくらい汚いことをやっていたのか。でも長い目で見ると、チューリングのような天才を殺してしまったことで、イギリスは結果的にコンピュータの開発競争から脱落してますよ。
その通りです。大英帝国という呼称はBritish Empireの日本語訳ですが。
で、先生。そのチャーチルの話も面白いのですが、コンピュータやAIと関係があるんでしたっけ?
ええと、じゃあ話を戻しましょうか。まあとにかく、人工的に知能を創ろうという試みと、コンピュータの発明は不可分だったことが、この物語から理解できたはずです。では次回も、引き続き人工知能研究者の物語をしましょう。
【第3回に続く】
(註1)正確には、ENIACプロジェクトメンバーのモークリーとエッカートが考案して、フォン・ノイマンは後からプロジェクトに参加し、その理論的裏付けを確立した人物である。フォン・ノイマン物語も、この人工知能研究の歴史シリーズで紹介予定。
図版・書き手:谷田部卓
AI講師、サイエンスライター、CGアーティスト、主な著書に、MdN社「アフターコロナのITソリューション」「これからのAIビジネス」、日経メディカル「医療AI概論」他、複数の美術展での入賞実績がある。
(図版・TEXT:谷田部卓 編集:藤冨啓之)
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前回は映画にもなった天才アラン・チューリング物語の前編でした。今回は、その後編になります。
猿田です。今回も、面白い物語をよろしくお願いします。
それでは、初めは前回のあらすじを手短に話してから、続きをします。
それはいいですね。ボクも忘れてますし。
現在のコンピュータの基本アーキテクチャを、イギリスのアラン・チューリングは「万能チューリング・マシン」を考案することで確立しました。そのころヨーロッパでは第2次世界大戦が始まったのですが、アラン・チューリングはドイツ軍のエニグマ式暗号機の解読に成功して、終戦を大幅に早めたイギリスの英雄でもありました。ところがイギリスの首相チャーチルは、このチューリングの偉業を秘密にしてしまったのです。