オラクルひと・しくみ研究所の小阪裕司氏は、情報学の博士であり、30年以上マーケティングの現場で理論実践と検証を行ってきた。同氏が主宰するビジネスコミュニティ「ワクワク系マーケティング実践会」は約1500社の会員規模で25年以上続き、会員企業から収集した2万件超の現場実践レポートを分析している。小阪氏は「ビジネスを研究の題材にしているが、その本質は人間と人間社会だ」と語る。
「十数年前の成功事例を現在に適応しても成功するケースが多い。また、海外の成功事例を日本企業に応用しても同様の結果が得られることが多い。時代とともに道具は変わるが、人間の本質は変わりません。人の行動原理は一貫しています」
この考えが、マーケティングにおける「科学的な方法」、すなわち再現性のある成功法則の基盤となっている。
株式会社オラクル(通常、オラクルひと・しくみ研究所)代表取締役の小阪裕司氏
小阪氏が提唱する売り上げ向上のメカニズムはシンプルで、「顧客の心を動かすこと」に尽きる。
「例えば、スーパーではよい商品を展示し、さまざまなマーケティング活動を行いますが、売り上げが発生するのは最終的に顧客が商品をカゴに入れてレジに出す瞬間です。その行動は『美味しそう』『食べたい』といった心の動きによるものです」
いかにして行動につながるような心の動きをつくり出すかが、感性科学を活用したマーケティングの基本
あるワイン販売店での事例では、単なる商品情報を超えた物語的な「感性情報」が、売り上げを大きく伸ばした。
最初は以下のように商品を紹介していた。
「エモーション・ド・テロワール」3800円 フランスワイン 赤・フルボディ
しかし、この情報だけでは売り上げは伸びなかった。そこで以下のような情報を追加した。
「このワインはジュヴレ・シャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネ、シャンボール・ミュジニ、マルサネの葡萄を使用しています」
それでも効果は限定的だった。そこで、さらに情報を改変し、以下の「感性情報」を加えた。
「天才醸造家がフランス政府に逆らってまでつくったワイン。今、フランスのワイン界で天才と呼ばれる醸造家がいます。それはヴァンサン・ジラルダンさんです。有名なワイン評論家ロバート・パーカーJr.も『彼のワインを見つけたら走って買いに行け』と言っているほどです。そんな彼がフランス政府に逆らって世に送り出したワインがあります。それがこのワインなのです」
このように人の心が動く情報を加えることで、ワインが持つ「人の心を動かす力」を引き出し、結果的に売り上げが上昇した。
また、別の事例では、ある天然木の床材に「感性情報」を付加することで、6倍の価格差を超えて販売に成功したケースが紹介された。
その床材は当時の一般的床材のおよそ6倍の価格であり、さらに天然木特有の「バークポケット」と呼ばれる節があった。当時、節がある床材はB級品として扱われており、このような高級床材には使用されていなかった。しかし、ある床材メーカーはそれを「自然の中で育った証」として価値を再定義し、「こうした『生の証』がこの床材の味わいを深めます」と訴求した。その結果、高額にもかかわらず購入する顧客が増加した。
「さらに、裸足で床材を歩いてもらうことで触覚に訴え、五感に働きかけることでより心が動くことも発見しました。このように、価格や業界の視点ではなく、顧客目線で五感に訴えることが成功の鍵となりました」と小阪氏は語る。
他にも、雪かき用スコップを拡販するため、雪かきが重労働である雪国の人々に「楽しく雪かきできる」という顧客目線の感性情報を提供して成功した事例や、雨の多い季節以外に売り上げが減少する防水スプレーを拡販するため、12月は男性ビジネスパーソンに向けて「忘年会でビールをこぼさない自信がありますか?」と発信、また1月は新年の装いに気を使う女性をターゲットに「こぼしちゃった!で、せっかくの新年会を台無しにしたくないあなたへ」と発信することで成功した事例などを紹介した。
小阪氏は、上述の成功事例を可能にした要因として「感性情報」の活用を挙げる。同氏の研究は、「心」という曖昧な概念を、「感性」という脳の高度な機能に絞ることで、科学的なアプローチを実現している。
人が五感を通じて「価値」を認識することで動機が生まれ、それが意思決定を経て購買行動に至る。このメカニズムを理解し、適切に「感性情報」をデザインすることが重要だと小阪氏は述べる。
「ただし、感性情報が適切に発信されても、必ずしもすぐに購買行動につながるわけではありません。『価値に対して価格が高い』『今買わなくてもよい』といった要因がハードルとなる場合があります」と同氏は続ける。
また、感性情報のデザインに加え、「どんな情報をいつ、どのタイミングで与えるかという『行動デザイン』が極めて重要です。人は商品のスペックではなく価値に向かって動く。つまり脳の中の価値認識システムを動かす必要があります」と述べた。
では、どのように情報をデザインすれば価値認識システムのスイッチが入るのだろうか。小阪氏は、鍵となるのは「行動する理由」を発見し、それを伝えることだと述べる。そのためには、次の質問に答えられる必要があるという。
「どうして私(顧客)がいま、あなたからこの商品を買わなければならないの?」
この質問は、以下の要素を含んでいる。
①どうして? → 買う理由(基本動機)
②あなたから? → あなたから買う理由(差異点)
③いま? → いま買う理由(緊急性、希少性)
これらに適切に答えることで、感性情報デザインを整える準備ができる。さらに、感性情報を発信する際に注意すべき5つのポイントを以下のように示した。
1. 当たり前のことを伝える
多くの企業が意外にこれを怠っている。例えば、惣菜コーナーで「本日揚げました」というPOPを付け加えるだけで売り上げが伸びることがある。
2. 五感に訴える
例えば、床材を裸足で歩いてもらう方法など、体験を提供することで五感に訴える手法を工夫することが重要。
3. 直感的・情緒的なアプローチ
ある店では蚊遣り定番のブタ型の商品と、少し怒った表情のブタ型の商品を並べて売っていた。怒った表情のブタ型はほとんど売れなかったが、POPで「蚊に一喝!!」と記しただけで販売数が定番ブタ型と肩を並べるほどに増加した。このように直感・情緒に訴える一言が売り上げを伸ばすことがある。
4. 行動のハードルを下げる
同じような商品が並んでいると顧客は迷ってしまい行動を止めることが多い。例えば、多くの種類が並ぶジャム売り場で「最初はブルーベリーで驚いてください」と書いたPOPを掲示することで売り上げが伸びた事例がある。顧客が行動をためらう要因を取り除き、その背中を押すように一手を打つとよい。
5. 行動を増やすことに意識を向ける
スーパーの餃子売り場で、床に「ギョーザ好きの方はここでストップ!」という足形POPを掲示したところ、その売り場に立ち止まる人の数が増え、売り上げが増加した。その売り場に立ち止まる人の購入率が一定であれば、立ち止まる人の数を増やせば、売り上げも伸びる。「商品を売る」ことより「行動する人を増やす」ことに意識を向けること。
最後に小阪氏が6つ目のポイントとして強調したのは、「顧客との絆」の重要性である。
「絆とは、顧客が、人・企業・ブランド・商品・サービスに愛着を持ち、信頼を寄せ、共感を抱いている心のありようです。この絆があることで、継続的に利用するという行動が生まれます」
人を中心に据え、「心の動き=動機づけ・意思決定」を生み出し、「行動」につなげる。そして売り手と顧客の間に「絆」を築き、堅固な関係を育む。これが感性科学を活用したマーケティングの極意なのだ。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣 PHOTO:野口岳彦 編集:野島光太郎)
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