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認知症というと、「高齢になって突然発症する病気」「記憶が失われる病気」というイメージを持つ方も多いかもしれません。しかし医学的には、認知症はある日突然起こるものではなく、発症の10年〜20年前から脳内で少しずつ変化が始まっているとされています。
重要なのは、その変化は必ずしも病院の検査データだけに現れるわけではないという点です。むしろ、より早く現れるのは、日常生活の中の行動の変化です。
例えば、次のような変化です。
● 外出頻度が減る
● 歩くスピードが遅くなる
● 睡眠リズムが乱れる
● 会話量が減る
● 趣味や社会活動への参加が減る
本人や家族にとっては「年齢のせい」「最近ちょっと元気がない」で済まされがちな変化ですが、実はこれらは認知機能の低下と強く相関する行動指標であることが、近年の研究で明らかになっています。
つまり、認知症の兆候は、病院の診察室よりも先に、「生活の中のデータ」として現れる可能性が高いのです。

こうした考え方を強く裏付けているのが、医学界で非常に影響力の大きい Lancet認知症予防委員会(Lancet Commission) の報告です。
2017年の報告では、教育期間の短さ、高血圧、肥満、難聴、喫煙、うつ病、運動不足、社会的孤立、糖尿病といった 9つの修正可能な危険因子を改善すれば、認知症の約35%は予防または進行を遅らせられる可能性があるとされました。
注目すべきことに、この報告は2024年に最新アップデートが公表され、内容は大きく進化しています。新たに「視力障害」「高LDLコレステロール」などが加わり、修正可能な危険因子は 14項目 に拡張されました。
そして、「これら14項目を生涯を通じてコントロールできれば、 認知症の最大約45%は予防または発症を遅らせることが可能である」と推計されています。
これは非常に重要な示唆です。認知症は「遺伝や加齢で決まるもの」ではなく、約半分近くは生活習慣と環境によって左右される病気であることを、世界最高水準の医学研究が公式に認めたことになります。

では、その「修正可能な危険因子」は、私たちの日常の中でどのように可視化できるのでしょうか。ここで重要になるのが、行動データです。
歩数や運動量が多い高齢者ほど、認知症発症リスクが低いことは、多くの疫学研究で示されています。特に近年注目されているのが、「1日にどれくらい歩いているか」という歩数データです。
米国ワシントン大学を中心とする研究チームは、アルツハイマー病の初期段階にある50〜90歳の高齢者約300人を対象に、14年間にわたって歩数と認知機能の変化を追跡しました。その結果、1日3,000〜5,000歩歩いている人は、認知機能の低下が平均で約3年遅れ、さらに1日5,000〜7,500歩歩いている人では、認知機能低下が平均で約7年遅れる傾向が見られたと報告されています。
この研究では、歩数計による日常の歩行データと、PET検査による脳内の変化もあわせて分析されており、歩数が多い人ほど、アルツハイマー病に関係するとされるタウタンパク質の蓄積が遅くなる傾向も確認されました。
もちろん、この研究は観察研究であり、「歩けば必ず認知症を防げる」と因果関係を断定するものではありません。しかし、特別な運動プログラムではなく、日常生活の中での“歩く量”そのものが、脳の変化と長期的に関連しているという点は、非常に重要な示唆だと言えます。
現在では、スマートフォンの歩数データやスマートウォッチの運動ログによって、本人の身体活動量はほぼ自動的に取得できます。ある自治体の介護予防事業では、歩数データをもとに「最近外出が減っています」と本人にフィードバックを返すことで、実際に外出頻度が改善した事例も報告されています。
社会的孤立も、Lancetが指摘する主要なリスク因子の一つです。家族以外との交流頻度、会話量、地域活動への参加状況などは、認知機能の維持と強く関係しています。
最近では、スマートスピーカーや対話型AIを活用し、「1日の発話量」や「会話頻度」をデータとして捉える取り組みも始まっています。発話量が急激に減少した利用者に対し、地域包括支援センターがフォローに入ることで、早期支援につながったケースもあります。
睡眠時間の短縮や昼夜逆転も、認知症リスクと高い相関があります。睡眠中に脳内の老廃物が排出されることが分かっており、睡眠の質は認知症予防の重要な要素です。
ベッドセンサーやスマートウォッチを使えば、睡眠時間・中途覚醒回数・深睡眠の割合なども自動記録できます。本人が自覚していなかった「睡眠の乱れ」が、データとして初めて可視化されるケースも少なくありません。

こうした行動データを活用するテクノロジーは、すでに現場で実用段階に入っています。
スマートウォッチや室内センサーによって、
● 一定時間動きがない
● 外出後、帰宅しない
● 夜間の徘徊が増える
といった変化を自動検知し、家族や支援者に通知する仕組みが広がっています。従来は「異変に気づくのは人」でしたが、現在は「異変に気づくのはデータ」という構造に変わりつつあります。
認知症や軽度認知障害(MCI)の早期発見には、定期的な評価と気づきが重要です。特にMCIの段階では、本人が自覚しにくい微細な認知機能低下が起きていることが多く、早期に兆候を捉える仕組みが予防や介入の鍵になります。
近年では、従来の神経心理学的検査(例:MMSE、MoCA-J)だけでなく、テクノロジーを活用した簡便なスクリーニング手法が登場しており、日常的な「気づき」の増幅に貢献しています。
その代表例が、VR(バーチャルリアリティ)と視線追跡技術を組み合わせた『認知機能セルフチェッカー』です。これは、VR内で提示される複数の認知課題をユーザーが見つめるだけで、視線や眼球運動の特徴から認知機能の状態を評価するツールです。測定時間は約5分程度と短く、筆記や口頭回答が不要で身体的・精神的負担が少ない形式になっています。
このセルフチェッカーは、筑波大学との共同研究などによって既存の認知機能検査(MMSE・MoCA-J)と高い相関性が確認されたほか、国際学術誌『Frontiers in Aging』にも臨床研究成果が掲載されています。その論文では、健常者・軽度認知障害(MCI)・認知症のグループ間で識別精度が良好であることが示され、既存検査と同等レベルの評価能力が確認されています。
このようなテクノロジーを取り入れたスクリーニングは、従来の検査よりも簡便・短時間・反復評価が可能であり、日常の生活の中で定期的に認知機能の状態を把握するツールとして期待されています。日々の生活の中で得られるデータと組み合わせることで、さらに早期の兆候発見や個別の予防・介入につながる可能性が高まります。
服薬管理、運動促進、外出リマインダーなども、単なる便利機能ではなく、「認知機能維持のための行動設計ツール」として位置づけられています。
「今日はまだ外出していません。10分歩いてみませんか?」という一言の通知が、長期的には認知症リスクを下げる行動介入として機能するのです。
ここまで見てきたように、センサーやAIといった技術そのものは、すでに十分に揃っています。問題は「何ができるか」ではなく、「どう設計するか」です。認知症ケアにおけるデータ活用で本当に重要なのは、次の3点です。
1. 本人の尊厳と安心を支える設計か
2. 行動変容につながる設計か
3. 家族や支援者が直感的に使える設計か
つまり、認知症ケアの本質はテクノロジーではなく、「生活のデザイン」そのものにあります。
Lancet Commissionが示したように、認知症の約45%は「修正可能な生活要因」によって左右されます。これは、認知症対策が医療機関だけのテーマではなく、私たち一人ひとりの日常生活そのものに移行しつつあることを意味します。
発症後に支える社会から、「 発症前に気づき、リスク段階で介入し、生活の中で支え続ける社会へ」。この転換を支える基盤が、行動データとテクノロジーです。スマートフォンの歩数、睡眠ログ、会話の量、そうした「何気ない生活データ」こそが、これからの認知症ケアの最前線になりつつあります。
次回・第5回では、こうしたデータとテクノロジーの流れを踏まえた上で、「認知症1,200万人社会」を前提とした日本の制度設計、都市構造、働き方はどう再設計されるべきなのかを、未来視点から総括します。個人の努力だけではなく、「社会システムとして何を変えるべきか」を考える最終回です。
(TEXT:河合良成 、編集:藤冨啓之)
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