前回は、新卒就職率が100%近いのに閉塞感を抱える日本の若者と、失業率が約20%に達しても、将来に対しなお楽観的な中国の若者を比較しました。その背景に見えてきたのは、諸外国よりも日本の若者たちの自己効力感が低いことでした。つまり、客観的な状況云々より、直面する困難に対して「自分ならうまくできる」、「立ち向かって解決できる」と思えないため、筆者は「閉塞感を感じ続けているのでは」という仮説を立てたのです。
ただ、この仮説を前提にするといくつかの疑問がさらに生まれます。現在、日本では教育現場でも、職場でも、社会全体でも「ダイバーシティ」や「多様性」が声高に叫ばれています。本来なら多様な価値観を受け入れる風潮が強まれば強まるほど、社会や組織を構成するメンバーは自己効力感を高められるはずです。誰もが安心して自分の強みを発揮できるのでは、と思ってしまいますが、かえって閉塞感に支配されてしまっているのです。
では、この矛盾はいったいどこからくるのでしょうか?
それが今回のテーマです。
ここ数年、「ダイバーシティ(多様性)」という言葉はすっかりお馴染みになりました。最近では、「ダイバーシティ」をさらに一歩進めて「インクルージョン(包括、一体性)」とセットにして使われることも増えています。その目指すところは、誰もが人種や性別、民族や社会的背景、宗教や個性、価値観に関わらず、お互いを認め合い共生を実現する社会や組織の実現といってよいでしょう。この観点はSDGsの「誰一人取り残さない」という理念とも合致するように思えます。
しかし、ダイバーシティはさまざまな文脈で用いられており、必ずしも社会的公正や個人の権利や尊厳を基盤にして論じられている訳ではないことに注意が必要です。
今日の日本社会では、ダイバーシティは主に「ダイバーシティ経営」の意味で使用されることが多いようです。例えば、日本経済団体連合会(経団連)が2017年に公表した「ダイバーシティ・インクルージョン社会の実現に向けて」は次のような書き出しから始まります。
「いま、ダイバーシティ(多様性)・インクルージョン(包摂)社会の実現が、わが国の最重要課題の一つとなっている。Society5.0(超スマート社会)の到来等、経済社会が大きく変化するとともに、人口減少が進む中で、わが国が持続的な経済成長を通じ、2020年にGDP600兆円経済を実現するためには、多様な人材の能力を引き出し、経済社会全体の生産性向上を図っていくことが不可欠である」
また、経済産業省が2021年3月に公表した「多様な個を生かす経営へ~ダイバーシティ経営への第一歩~」によると、ダイバーシティ経営とは「多用な人材を生かし、その能力が最大限発揮できる機会を提供することで、イノベーションを生み出し、価値創造につなげている経営」のことです。その上で、経済産業省はダイバーシティの目的が「経営戦略を実現する上で不可欠である多様な人材を確保し、そうした多様な人材が意欲的に仕事に取り組める組織風土や働き方を整備することを通じて、適材適所を実現し、その能力を最大限発揮させることにより『経営上の成果』につなげることを目的としてます」と明示します。
こうした説明から分かるように、日本のダイバーシティは経済成長の維持や経営目標達成という「目的」に重きが置かれていることを念頭に置いておく必要があります。
この点に関して、社会学者であり、詩人でもある水無田気流氏は「ダイバーシティは、より多様な広く再帰的なとらえられ方をすべき概念であり、それは社会変革の方向性も視野に入れなければならない。だが、日本では、『強い組織づくりのため』などと、ごく一面的なとらえられ方をしている感が否めず、しかもその直接的利益が見えにくいため浸透も困難になっている」と述べています。
つまり、日本におけるダイバーシティからは、多様な価値観や属性を持つ個人が横の広がりを見せる社会ではなく、どちらかといえば、経済成長や経営理念に照準を合わせて一列並ぶ個人がイメージされます。
そうなると、いくらダイバーシティといっても、結局のところ個人は「経済成長に資するかどうか」「経営理念の実現につながるかどうか」で評価・判断されることになります。山口大学教授の有村貞則氏はダイバーシティには「多様な人材やすべての従業員の潜在能力を活かす職場環境作り」と「経営者視点」の二つの視点が包摂されており、後者にとらわれすぎる問題点を指摘しています。
その例として有村氏は、政府が女性の活用を成長戦略の一助として位置づけるようになったことを挙げます。同氏は「女性の活用度と企業業績・企業株価との正の相関を示すデータや女性の視点・アイディアを生かしたヒット商品開発事例などを盛んに報告」することを否定しないものの、以下のように指摘しています。
あまりにも女性活躍度と企業業績などの関係性を報告する風潮が強くなりすぎると、ダイバーシティ・マネジメントへの過度な期待やその裏返しでもある失望感、或いは反発や無関心の増幅といった事態を引き起こすことにもなりかない |
その具体例として、経済産業省が東京証券取引所と共同で2012年から行っている「なでしこ銘柄」が挙げられるかもしれません。これは女性活躍推進に優れた上場企業を選定し、企業への投資を促進しようとする取り組みです。経済産業省が公表している「『なでしこ銘柄』選定企業事例集」をみると、各企業の女性活躍がどのように経営戦略や企業価値向上につながったのか、どのように女性のキャリア開発・育成に携わってきたのかが客観的なデータや事例によって説明されています。
経営者視点で論じる場合、「なでしこ銘柄」には何らの違和感も感じませんが、「女性の企業価値向上への貢献度」を論じてしまうことで、ダイバーシティは意図せずして「個人が生み出す経済的価値の違い」にすり替えられてしまう恐れもある気がします。つまり、ダイバーシティが横の広がりではなく、縦に並んだ「序列」として定義される可能性です。
ベネッセ教育総合研究所が2022年3月に、首都圏に住む就学前乳幼児をもつ保護者4030名を対象に行ったアンケートによると、2015年から2022年にかけて、子育てへの肯定的感情は減り、否定的感情が増えていることが明らかになりました。
例えば、肯定的感情である「子どもを育てるのは楽しくて幸せなことだと思うこと」は2015年の93.8%から7.8ポイント減り86%に、「子どもと遊ぶのはとてもおもしろいと思うこと」は2015年の91.9%から9.5ポイントも減り82.4%になりました。
それに対して、否定的感情は大幅に増加しました。特に「子どものことでどうしたらよいかわからなくなること」は13ポイント増加、「子どもを育てるためにがまんばかりしていると思うこと」は約20ポイントも増加しました。
このデータに示される母親たちが抱える閉塞感には、さまざまな理由が考えられます。一つの理由として、一緒に子どもの面倒を見てくれる人がおらず孤軍奮闘している母親の姿が浮かびます。2015年に「家を空ける時、子どもの面倒を見てくれる人・機関の有無」に対して「いる(ある)」と回答した人が78.0%だったのに対し、2022年には62.3%まで減っています。
しかし、まさに多様な価値観が認められるべき子育てに多くの母親が閉塞感を感じているのには他にも理由があるように思えます。それは、日本のダイバーシティが社会的公正や個人の生き方を支える価値観としてではなく、組織作りや企業価値向上のためのマネジメントの文脈で取り上げられることが多く、それが子育ての方法をも序列化してしまった可能性です。
本来、ダイバーシティは「すべての個人には価値があるため、多様な価値観を肯定すべき」という論理のはずが、マネジメントや組織作りの文脈でばかり捉えられてきたため、社会に価値を提供できそうな子育てをしている人は「成功」、そうでなければ「失敗」という評価に引き直されたのかもしれません。特にSNSによって「見ず知らずの子」まで比較対象に含めて、いわば企業価値や株価を数値化して比べるような視点で子育てをしていたら辛くなったり、閉塞感を感じたりするのも無理はありません。
第1回では若者たちの自己効力感の低さを取り上げ、今回は日本で強調されてきたダイバーシティ経営によって多様な価値観が序列化されることで、母親たちの子育てに対する否定的な感情も増加しているとの仮説を立てました。
第3回では、家庭に加えて自己効力感や自己肯定力を育む場であるはずの教育現場に焦点を当てて、日本社会の閉塞感の本質に迫っていきたいと思います。
書き手:河合良成氏
2008年より中国に渡航、10年にわたり大学などで教鞭を取り、中国文化や市況への造詣が深い。その後、アフリカのガーナに1年半滞在し、地元の言語トゥイ語をマスターすべく奮闘。現在は福岡在住、主に翻訳者、ライターとして活動中。
(TEXT:河合良成 編集:藤冨啓之)
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