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町工場は受託製造から市場創出拠点へと新たな動きを始めている –混沌とした時代、ものづくりはどう変わっていくのか(後編)

         

町工場から夢を実現する、という実現。
面白い人たちが集まって夢を語り合い、次のステップが出来ていく。
Garage Sumidaは創出の拠点。そして、さらなる未来がすでに始まっている。


壮絶な経営危機を乗り越え、営業活動の中から見出して確立した自社の強み、車椅子の女の子のための仕事から得た「感謝されるものづくり」という仕事への思い。(前編)これらを基盤として、浜野製作所は着実に夢を実現している。高学歴や異分野からの転職などユニークで多彩な人材がこの町工場に集まってくるのはなぜか。ものづくりのリーダー的存在として各方面から注目されるのはなぜか。そもそも、実に楽しそうに仕事をしているのはなぜなのか。興味は尽きない。

変な人、面白い人との繋がりがエネルギーの源

大川:自分たちの仕事に「ありがとう」と言われた経験がきっかけとなって、胸を張れるものづくり屋を志して、産学連携などにも進出していくわけですね。

浜野:町工場が大企業の生産工場として組み込まれてしまっている流れを変えたいと思ったんです。大企業には大企業の役割とかやるべきことがあるし、町工場で部品加工する下請け仕事だって誇り高いと思ってはいるけれど、下請け体質からは脱却しないといけない。それが、産学連携でやった「深海探査艇 江戸っ子1号」の大きなテーマのうちの1つでもありました。深海探査艇や「電気自動車HOKUSAI」を作ると、金属の部品加工だけの話じゃない。ああいうことにチャレンジすることにより、この装置を作るためにはどんな技術が必要でどんな能力を持った人がどう連携するのがいいやり方なのか、そこを学びたくて参加しました。

2009年にスタートした東京下町の町工場が力を合わせ、8000メートルの深海を目指すプロジェクト深海探査艇「江戸っ子1号」。2013年11月での房総半島沖深海実験では、「江戸っ子1号」が世界初7800mの深海で生物の撮影に成功した。参照:https://hamano-products.co.jp/hamanoproject/edokko1/

大川:産学連携もそうですが、町工場が集まって何かを作るということを結構あちこちでやっていますが、多くの人に聞くとあれは儲からないから、打ち上げ花火で終わってしまって、あれを起点に新しい事業に踏み出す人っていない。浜野さんはどうですか?手間暇ばかりかかるなという躊躇はなかったんですか?

浜野:基本的に当時の僕はもう営業寄りで、無理難題や無茶なものを受けても、現場の金岡が全部拾って成し遂げてくれたんですよ。あとは、金岡を崇拝する頑固な職人が一緒に手伝ってくれたり。あの板橋の板金の町工場で一緒だった長島という職人も途中から「俺もやらせてくれ」とうちに入社して。無茶な案件ばかり持って来ると普通だったら「社長もういい加減にしてください」と言われるところですが、それを言われたことはない。今でもどんな難題でも受けてくれます。

大川:それも浜野さんと金岡さんのコンビの強さですね。それから、2008年にリーマンショックがあって一気に海外化が進んだ記憶があるのですが、その時に逆風感はなかったですか?

浜野:うちは結構お客さんの数が多かったので、リスクがバラけたんです。その頃400社くらいだったと思いますが、製造業だけでなく、大学や研究機関やベンチャーなどの非製造業もあったし、多岐にわたっていて売上構成が偏っていなかったのがよかった。ベースになるような定期的な部品加工と、チャレンジする部分や試作一品でやる部分と分けて売上構成を立てていました。リーマンショックで収益が上がったところもあるので、うちも赤字にはなりませんでした。

大川:その辺りから、ものづくりのプロジェクトやGarage Sumida での試作の流れになっていくと思います。一緒にGarage Sumidaをやっているリバネスさんとはどのようなきっかけで?

株式会社リバネスとは2014年に業務提携、2016年には資本提携している。リバネスはシードアクセラレーションプログラム「TECH PLANTER」を展開し、台風でも発電できる垂直軸型マグナス風力発電機を開発する株式会社チャレナジーなど、様々なテクノロジーベンチャーを輩出してきた。

浜野:前述した、うちのHPを作ってくれた一橋の子の高校の先輩がリバネスの社長なんです。その子自身は一橋の大学院まで行って、大学2年時から自分で学生ベンチャーをやっていて、就職するつもりは全くなく今も自分でやっています。ある日その子から会わせたい人がいると連絡が来た。「海城高校の僕の先輩で変な人がいるんです。浜野さんも変じゃないですか。変な人と変な人がどういう化学反応が起きるのか僕も見てみたいので」と言うんですよ。そうして会ったのが、リバネスの社長の高橋修一郎さん。東工大から東大大学院に行った研究者で、リバネスは3人代表体制ですがそのうちの国内担当の社長です。リバネスのスタッフも一緒に来て、みんなで飲んで話してみてなかなか面白い会社だなと思いました。当時、リバネスは神楽坂にバイオラボを持っていて、バイオの研究をやっていたので、今度は僕がうちの金岡とか職人を連れてそこを訪ねた。そしたら「こんなものはできないか」という話がバンバン出て、「試しに作ってみましょうか」という話になり、ゲルコームというバイオの研究を行うために使用される装置(※)に付属するパーツを作りました。従来のものだと時間がかかりすぎるので、研究を効率的にしたいからパーツを改良できないかというお悩みに対し、パーツの構造を考え、錆びないステンレスで作ってみたんです。

(※)主にタンパク質やDNAの分離に用いられる電気泳動という方法を行う際に用いられる装置

大川:え?!それは普通、樹脂じゃないんですか?

浜野:当時は樹脂の発想というか知見がなかったから、金属で。そしてこの分野の権威である東大の先生と繋がりがあるから、最初にその先生に進呈して使っていただこうとなったんです。そしたらその先生が気に入ってくれて、結果的に門下生全員が使うことになって。

大川:となると、結構な量になりますね。

浜野:そうなんです。その時、感じたんですよ。例えばそれを某装置メーカーに持っていくと難癖つけられて500円でも高いと値切られるのに、こっちではその倍以上の金額でもある一定数売れる、しかも「こんないいものを作ってくれたんだ!」と感謝される。同じ材料で同じ設備で同じ職人が同じ手間暇かけて作っても、こんなに違う。やっぱり「ありがとう」って言われるものづくりがいい、販売先を変えてやるべきだなと思った。それで、リバネスとさらに踏み込んでバイオ工具などを作っていくことになったんです。彼らは研究者の集団で、僕らは製造業だけど、なんとなく思い描いている未来が近かったんですね。今は資本業務提携をしています。

大川:町工場とくっつくとこんなことができると、リバネスも気がついたんですね。

浜野:そう。当初リバネスはベンチャー支援もしていたじゃないですか。それで最初にやってきたのが、オリィ研究所の吉藤健太朗くんです。彼も1年半うちに住んでいましたからね。

写真右:分身ロボットを手がけるオリィ研究所 吉藤健太朗氏

オリィ研究所は日本橋で分身ロボットカフェをやっていて、その上階に本社があるんですが、本社の壁に沿革として「浜野製作所浜野社長のマンションで本社を登記」と書いてあります。一橋の子が住んでいて、金岡も住んでいたあのマンションです。

大川:面白いなあ。本当にどんどん面白い人が集まってくるマンションなんですね。

浜野:ある時僕が帰ると若い子達がいっぱいいて、「香港大学の優秀な学生が来たから泊めさせてくれ」とかね、もうメチャクチャですよ、僕の住まいなのに。でも、みんなで夢を語ってそれが楽しくて。オリィ研究所の吉藤君たちとはよく闇鍋をやりました。各自が食べたい食材を持ってきて鍋に入れてそれを食べてお酒を飲んだり、自分が面白いと思う人を連れてきたり。

大川:そこまで広がるっていいですね。ところで、東京東信用金庫さんとはいつ頃からどのようなきっかけでお付き合いが始まったんですか?

浜野:きっかけは覚えていないのですが、地元の信用金庫だから営業さんはちょこちょこ来ていたんでしょうね。どちらかというと信用金庫より墨田区の方との付き合いの方が長い。でも、東京東信用金庫さんには「江戸っ子1号」で、グッと来ました。

大川:そうでしょう。ああいう取り組みをちゃんとやるにはやっぱり金融機関がいないとなかなか難しいです。

浜野:それも、当時の東京東信用金庫の理事長だった渋谷会長が変な人だから。みんな変な人、種類が違うけど変な人が繋がっているんだなあと実感しています。

Garage Sumidaができ、若手人材が揃っていく

大川:私が浜野さんに初めてお会いしたのは、2016年頃、RRI(Robot Revolution & Industrial IoT Initiative:ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会)においてでした。それ以降、浜野さんは、特に外部のいろんなところで有識者的扱いになったり、知名度がかなりアップしたりという印象がありますが、RRIに入るまではどんなことをやっていたんですか?

浜野:Garage Sumidaを作ったのが2014年4月16日。うちの工場が手狭になってきたので、後方にあったお客さんの倉庫を半分借りて使っていて、さらにうちに出入りしていたオリィ研究所なんかも来て何かにスプレー塗ったり自由に使ったりとかしていた。その時にちょうど墨田区が「新ものづくり創出拠点事業」を実施して。これは、今までやっていた事業業態と違うものにチャレンジする新ものづくり事業が対象で、墨田区と東京都で1千万円ずつ合計2千万円全額補助される取り組みなんです。申請したら採択されたので、この資金で半分借りている倉庫を改装しようと計画した。結局、お客さんの事業承継の関係もあってその倉庫と土地をうちが購入することになるんですが、とにかく、こうしてGarage Sumidaが誕生しました。

Garage Sumida(*写真はオープン当時のもの)
3Dプリンターやレーザーカッター、CNC加工機といった最新のデジタル工作機器を備え、町工場の設計や製造に携わる熟練した職人が個人から企業に至るまでの製品開発や加工を支援し、Garage Sumidaが持つ様々な業種・業界のプロフェッショナルネットワークと当施設に集う人々・アイディア・マーケットを繋ぎ、新しい技術・製品・サービスを創出している。https://garage-sumida.jp/

大川:いろんな人も集まってきましたよね。

浜野:ちょうどその当時、チャレナジーという会社を社長一人でやっていた時の創業者の清水君が大阪から出てきてベンチャー作って、住まいがないと言うから、僕のマンションに住んでいたんです。

大川:また、住み込みですか。そのチャレナジーは誰の紹介ですか?

浜野:リバネスの第1回ベンチャーコンテストの第1位がチャレナジー。ぼくも審査員でした。

株式会社チャレナジー https://challenergy.com

大川:それは構想段階の案件ですよね?まだ、ものは出来ていない。

浜野:ないです。東急ハンズで買ってきた発泡スチロールを削って、自宅で扇風機あててマグナム風力が出るとかいう資料を作っていて、自宅で扇風機をあてている動画を見てみんな「こいつは面白い」と言って1位になっちゃった。レセプションの時に初めて話をしたんですけど「あれはどこで作るの?」って聞いたら「浜野さん、一緒に作ってもらえませんか?」と。そして「東京に出たいと思うんです」「ああ、それはいいよね、東京に出たら覚悟が決まるね」という話から、住むところがないと言うので結局うちに来た。でもね、以前の一橋の子もそうでしたが、僕のマンションに住んでもらうのは、彼らにお金がないということよりも、一緒に住んでご飯食べてお酒飲んで話していると彼らの考えや構想がより一層わかるから。そういうのがわかって一緒に仕事をするとすごく楽しい。たまにうちの従業員を連れて来て話しても、自分たちにない発想やチャレンジのことを聞くのがすごく刺激になるんです。

Garage Sumidaでは、これまで浜野製作所が支援してきたベンチャーの取り組みの一部が展示されている。
右上のロボットがオリィ研究所の吉藤健太朗氏による分身ロボットOriHime

右中が株式会社チャレナジーの清水敦史氏とプロペラの無い風力発電機の模型

大川:浜野製作所には取締役副社長として、若手の小林亮さんと宮地史也さんがいますが、彼らはどういうきっかけで浜野製作所に入ったんですか?

浜野:小林は一橋大学在学中にゼミで浜野製作所に来たこともあり、縁があって声をかけました。それが中小製造業研究の権威である関満博先生のゼミで、彼も中小製造業の研究をしていたんです。彼は地元で有名な進学校を卒業後、建築現場で作業員として働いたり、映像業界で小間使いをして社会の中に飛び込んだ。その時、資本主義の仕組みに興味を持ち一橋の経済学部に進学した人物です。

大川:それもまた面白いなあ。宮地さんは?

浜野:宮地はリバネスの高橋社長が連れて来たんです。「浜野さんに会いたいっていう人がいるので連れてっていいかな?」って。宮地は慶応SFCを卒業後、大手の工作機械メーカー、素材メーカー、外資系金融の経験を経て入社しました。僕に会いたい理由はちゃんとあって、彼の父は趣味で自宅の庭に工房を作って旋盤やフライスを入れてものづくりをしていた。そして彼はお父さんが作った自転車でトライアル競技に出て元日本チャンピオン、最高位は世界ランキング4位ですよ。

そんな経験もあって彼自身もものづくりが好きだったから、大学卒業後にメーカーに入った。だけど、そういう大手で仕事をしていると中小企業にも行くじゃないですか。すると、中小製造業の社長は技術とか設備に一生懸命だけど財務や後継者のことはあまり考えないことに気づく。自分もものづくりが好きだし、何とか中小製造業の経営者を救いたいと思ったんだって。それで金融業界に身を置き、そこで優秀な成績も納めていました。でも、中小企業の問題って、お金だけじゃなく、人事、労務、営業、等々いろんなことが複雑に絡み合って起きている。だから本当にそれをやりたいのなら、そっち側の目線ではなく、こっち側に来て経験しないとできないよって話して、「やるんだったら、うちで」って声をかけた。

大川:全く違うところから次代の浜野製作所を担う経営者候補たちが集まってきたんですね。

全国各地の経営者の先輩から経営を学んだ

大川:ところで、小林さんも学んだ一橋のゼミの関先生とはもともと知り合いだったんですか?

浜野:いいえ。関先生は墨田区でフロンティア墨田塾を主宰されていたので、墨田区の若手経営者とも結構知り合いが多いんですが、僕はその塾に入っていなかった。でも、何かしらのご縁があって一緒に飲みに行くようになって、何年かしたら二人で飲もうと誘われて、気づいたら先生の合宿にも呼んでいただけるようになっていました。

大川:それもまた面白い流れですね。関先生との繋がりの話をもう少し詳しく聞かせてください。

浜野:関先生はいろんな全国の経営者と知り合いだったし、年一回論文を書くので企業へ視察に行ったり、ゼミの合宿を地方でやったりしていた。ある年のゼミでは、岩手県の三陸海岸の製造業の集積を釜石からずっと北上して。あそこはコネクターが集積している地域なんです。そんな機会にくっついて行って、先生には工場見学の極意を教えてもらいました。

大川:工場見学の極意?それは興味ありますね。

浜野:会社概要の説明時には一番前に座れ、工場見学の際には社長がいれば社長についていけ、社長がいなければ説明する人についていけ、見学後の質問タイムになったら真っ先に手をあげて質問しろ、と言うんです。最初は質問がうまくできなかったけど、そのうちにいろんなことが見えて来ました。工場のラインだけでなくトイレや張り紙などまで自社と違うことに気づくと質問が山ほど出て来て、その後の飲み会で見学先の社長にとことん聞いたりして。そんなことを僕が30代後半から40代後半までの10年間ぐらいやっていました。

大川:その経験はすごい財産になります。

浜野:そうやって知り合った経営者の方々が東京出張の時にうちの会社を見に来ることもあって、自社の10期分の決算書を見せてくれた方もいました。決算書を見せてくれながら「ここずっと売り上げがこうだけど、ここからこうでしょ、ここで何が起きたかわかる?」とか教えてくれた。その頃の僕は、就業規則、労務規約、賃金テーブル、採用の仕方などわからないことばかり。評価制度だって、うちはそれまで残業を多くした人が頑張っているから給料を上げるような変なやり方だった。そんなことをしているといい人材は来ないんですよ。僕は他の会社の先輩経営者の方々のおかげで経営をしっかり学ぶことができました。

大川:外部のいろいろなセミナーではなく、生の経営者から学んだ。

浜野:それはとてもありがたかったですね。その学びのおかげで、うちの会社が徐々に徐々に会社らしくなって行ったんです。

大川:浜野さんのお話をずっと聞いていると、人とのご縁、面白い繋がりが会社発展の原動力だと言える気がします。

浜野:まさしくその通りです。全ての取り組み、活動、ご縁は何かしらの形で繋がっていて、それがうちの強みであり、浜野製作所特有の個性になっているのだと思います。

大川:今日はどうもありがとうございました。

 

(写真左)浜野慶一氏
浜野製作所 代表取締役 CEO

1962年東京都墨田区生まれ。大学卒業後、都内板橋区の精密板金加工メーカーに就職。1993年創業者・浜野嘉彦の死去に伴い、株式会社浜野製作所代表取締役に就任、現在に至る。「おもてなしの心」を経営理念とし、設計・開発から多品種少量の精密板金加工、金型設計・製作、量産プレス加工、装置・機器の組立まで、幅広い業界業種の課題をサポート・解決している。また、電気自動車「HOKUSAI」、深海探査艇「江戸っ子1号」をはじめとする産学官連携事業や、ものづくりイノベーションを支える開発拠点「Garage Sumida」では、ベンチャー企業、大学・研究機関の開発支援を推進している。そのユニークな経営スタイルは「新たな先端都市型のものづくり」として、国内外から大きな注目を集めている。

(写真右)大川 真史
「データのじかん」主筆 兼 ウイングアーク1st株式会社 エバンジェリスト

ウイングアーク1st株式会社 IT企業を経て三菱総合研究所に約12年在籍し2018年から現職。専門はデジタル化による産業・企業構造転換、中小企業のデジタル化、BtoBデジタルサービス開発。東京商工会議所ものづくり推進委員会学識委員兼専門家WG座長、東京商工会議所東京の将来を考える懇談会学識委員、明治大学サービス創新研究所客員研究員、内閣府SIPメンバー、Garage Sumida研究所主席研究員、Factory Art Museum TOYAMA DXエヴァンジェリストなど兼務。経済産業省・日本経団連・経済同友会・各地商工会議所・自治体等での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。直近の出版物は「マーケティングDX最新戦略」「最新マーケティングの教科書2021」(ともに日経BP社)

(取材・TEXT:立岡ふじ美 企画・編集:野島光太郎)

 

 

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