ナイチンゲールの論文で興味深いのが、19世紀半ばにおいてすでにさまざまなグラフを活用しているということです。棒グラフや円グラフのみならず、独自のグラフが作られることもありました。
例えば、以下は蝙蝠の羽を広げた様子に似ていることから「バッツ・ウィング」と呼ばれるナイチンゲール独自のグラフ。1854年4月~1855年3月(右)、1855年4月~1856年3月(左)の期間を12分割した円グラフで表現し、中央に英国内で最も不衛生な都市であるマンチェスターの死亡率を中央の小さい円で示しています。
引用元:ナイチンゲールの8つの顔┃ナイチンゲール看護研究所
また、人口密度は以下のようにハニカム構造で表現されたりもしています。
引用元:丸山 健夫 (著)『ナイチンゲールは統計学者だった!-統計の人物と歴史の物語-』日科技連出版社、2008、p38
これまた当時には珍しくカラーが用いられるグラフも複数ありました。このように見る人にとってわかりやすい資料をつくろうという工夫がナイチンゲールの論文には多く見られます。これは、「医療衛生の重要性と医療統計の意義を理解してもらいたい」という確固たる目的が彼女の中にあったからでしょう。
平均の概念を広め「近代統計学の父」と称されるアドルフ・ケトレー(1796-1874)の思想を継承したナイチンゲールは、1860年7月には第四回国際統計会議の第二分科会(公衆衛生及び病院関係)の運営を担当。またイギリスの植民地であったインドの植民地学校と病院の衛生統計に乗り出し、『インドの人々はいかに死なずに生きていけるか』『インドにおける生と死』といった論文を発表、インドの教育現場や病院の衛生向上に貢献しました。
数々の統計学への貢献から彼女は、1858年王立統計学会のフェローに、1874年には米国統計協会の名誉会員に推薦され、現在も統計学界の偉人として名を残しています。
ナイチンゲールはオックスフォードのベイリオルカレッジ学長であるベンジャミン・ジョウエットへの手紙にこのような内容を記しています。
「大臣たちはほとんど大学教育を受けているが、統計学的な教育は受けていない。法律を定めるにしても、何が必要であり、どのようなことが有益であるかなど全く分からないまま行っている。陸軍省は素晴らしいいくつかの統計を持っているのに、まったく何の役にも立っていない。それは、軍の幹部や支配者がそれらの統計をいかに活用するかをまったく知らないからである(以下略)」
多尾 清子 (著)『統計学者としてのナイチンゲール』医学書院、1991、p.26
「貴重な資産であるデータを活用できていないのは非常にもったいない」というのは、現代の日本でもよく聞かれる言説です。もしかしたら、クリミア戦争の時代から現代まで、データに対する人間の向き合い方はそれほど変わっていないのかもしれません。
データの力を武器に医療衛生の変革に取り組んだ「統計学者」ナイチンゲールについてご紹介しました。19世紀の時点で統計学的思考に基づき、数値・グラフのインパクトを活用して世の中を変革しようとしていた女性がいたということに、皆さん驚かれたのでは?
コンピュータやExcel、BIツールなど使える武器は増えたはずの現代。ナイチンゲールに失望されないよう、データという資源を活用していけたら良いですね!
【参考資料】 ・丸山 健夫 (著)『ナイチンゲールは統計学者だった!-統計の人物と歴史の物語-』日科技連出版社、2008 ・問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール┃読書猿 ・多尾 清子 (著)『統計学者としてのナイチンゲール』医学書院、1991 ・ナイチンゲールの8つの顔┃ナイチンゲール看護研究所
(宮田文机)
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