『創造とは、新しい視点や経験、感情の積み重ねによって生まれるもの。AIは過去のデータをもとに作品を生成することはできますが、それは「蓄積された知識の再構成」にすぎません。一方、人間の創造性は、感情や直感、偶然の発見や失敗から学ぶプロセスによって生まれます。これらはAIには完全には再現できない領域です。』(註1)
まぁこの意見が、アートに関して代表的なものだろうな。
やはりアートや音楽での創造性と、発明や発見などの創造性は分けて考えた方が良さそうですね。
そうだな。アート系には身体性の要素がとても大きい。ここに身体を持たない生成AIと決定的な違いがあり、アーティストたちのこだわりだ。
というか、人間最後の砦ですね。
人間は数多くの発明や発見で技術と文化を発展させ、多様なアートを生み出すことでその文化に彩を添えてきた。それも人間には創造力があるからだが、もう一つ重要なことがある。それは発明や発見の有用性を見極めることができる「眼識」であり、アートなどの価値を判断できる「審美眼」だ。これがなかったら、文明も文化も発展しなかったはずだ。
それはそうですね。審美眼なんかないボクには、子供が描いた絵とピカソの絵の区別ができませんからね。
つまりAIに創造性があったとしても、眼識や審美眼がないと役に立たないと言っているのですか?
そこまでは言っていない。簡単な有用性の判断だったら、以前からSNSのアルゴリズムがやっている。Facebookのニュースフィードには、その時点でアクセス数が多いものを表示している。たとえそのニュースがバズっているフェイクニュースだろうと他人に対する誹謗中傷だろうと、Facebookはアクセスが多いほど広告収入が増えるので、アルゴリズムが有用だと判断するのだ。
また話が逸れそうなので先に言いますが、AIに眼識や審美眼を実装できると思いますか?
用途を限定すれば有用性は判定できる。実際にSakana AIのAI Scientist-v2が生成した、100%AI生成の論文が、国際学会の査読を通過している。査読を通過したという事は、AIは査読者の有用性判定レベルと同じということだ。しかし審美眼になると、何度も言っているように「美」の汎用的判断基準がないので難しい。審美眼がなければ試行錯誤のフィードバック、つまり自己学習ができないのでAI単体ではアートが創作できないことになる。
結局、AIに創造力があるかという話の結論はどうなるのですか?
結論なら最初に言っただろう。生成AIならサルくん程度の創造力ならあるな。その理由は、人間の連想記憶に非常に近い仕組みをコンピュータに実装できたからだ。
AIは論文書けても、小説を書いたりユニークなアートは創れませんよ。
ではサルくんなら論文を書いたり、小説を書いたり、絵画が描けるのか?どれ一つできないだろう。じゃあサルくんには創造力がないのかな?人間には右脳と左脳があり、右脳は言語と論理で左脳は感情と創造性などと、役割分担がされている。AI研究が進むにつれて、論理思考とデータ生成のアルゴリズムを分けることで、両機能とも高性能なAIとなった。しかもそのアルゴリズムは日々改良されている。創造性に関しても、「身体性」に関わらない分野なら人間の能力を超えるのも近いはずだ。
本当ですか?じゃあこのままいくと、以前チクタク先生が話していたAGIや超知能になるんですか?
いや、まだAIには決定的に足りないものがある。それは「意志」だ。「動機」といってもよい。現在のAIには意志がないので、人間がAIに対して毎回作業指示をする必要がある。だがAIの進化に伴い、その作業指示の抽象度が上がってきているので、AIエージェントのように事細かに指示する必要がなくなってきているが。
AIに意志が生じたら、それこそSF映画のターミネーターの世界になってしまいますよ。
そのリスクは否定しないが、今のところAIは人間の管理下にあるので大丈夫だ。
この話なら、AGIの講義でしているので私が続けます。以前「AI進化の先にあるもの」で、エイドリアン・ベジャン教授の「コンストラクタル法則」を紹介しています。この法則によると、人類は機械の力によって、人間と機械が一体化した種として地球上に拡がってきたのです。人類は機械の力で急速な進化を続けている最中です。つまり人類は、その意志で文明の方向を定めることができるので、強力なツールであるAIと協力すれば、さらに人類は発展を遂げるはずだと私は思っています。
人間の意思なんて信用できますか?大国の独裁者は利己的だから、AGIなんかできると自国のためだけに利用して人類を破滅させかねませんよ。
コンストラクタル法則のベジャン教授やシンギュラリティで有名なカーツワイル教授は、物理学者なので人間の理性を信じている。だから二人とも未来への楽観主義者で、人類はAIと共に進化し融合していくと語っている。しかし「NEXUS情報の人類史」を上梓したノア・ハラリ教授は歴史学者だ。大多数の人間は、理性より聖書やプロパガンダなどの虚構を信じてきた歴史を熟知している。だからビッグテックが管理するSNSを放置すると、未来はアルゴリズムが支配してしまうと警告しているのだ。
テックジー先生、AIの創造性がテーマでしたが、また話が発散してしまうので、このあたりで終わりにしますが、よろしいですか。
まあしかたがないが、最後にもうひとつ。AIの創造性とか知性に関して、いつも人間と比較して超えたとか超えていないとか議論になっている。しかしこれも考えてみればおかしな話だ。AIは、人間の知能をモデルとして開発してきたが、模倣はできても生物とマシンでは根本原理が異なるので、同等にはならない。鳥にあこがれて人間は飛行機を発明したが、超音速機まで進歩できたのは鳥のように羽ばたくことを止めたからだ。空中を自在に飛ぶ方法は他にも多数あったのだ。
知能や創造性も最初は人間をモデルにするのはしかたないということですね?
重要なのは、他にも方法はあるはずということだ。知能や創造性の定義は、なにも人間を基準にする必要はない。「人間の」というタガを外すべきだ。もうすぐ登場するAGIならできるだろう。もっとも、それが実現しても、人間には理解できなくなるだろうが、人類は次のステージに上がれると信じている。
終わり
・ボーデンの創造性三類型の見解に従えば、生成AIに創造性はある。この実現は人間の連想記憶に非常に近い仕組みをコンピュータに実装できたからだ。
・創造性を発揮するには、発明の有用性を見極める眼識や、アートの価値を判断する審美眼が必要。生成AIは有用性の判断は可能だが、「身体性」が必要となる審美眼はないためアートの価値判断は困難。
・AIには意志がない。人間との協働することによって、創造性を含めたAIの卓越した能力は、有効活用することができる。
著者:谷田部卓
AIセミナー講師、著述業、CGイラストレーターなど、主な著書に、MdN社「アフターコロナのITソリューション」「これからのAIビジネス」、日経メディカル「医療AI概論」他、美術展の入賞実績もある。
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今回の講義は、生成AIには創造性があるのか?というお話を、テックジー先生にしてもらうつもりでお願いしました。ところが予想以上に画像生成の仕組みの話が長かったため、すでに4回目になっています。テックジー先生、そろそろ結論をお願いします。
我輩も短めにするつもりだったのだが、サルくんが画像生成の仕組みを知らないと言うから、そこから始めてしまい長くなってしまったのだ。
あれ?ボクのせいですかね。テックジーさんは、AIの創造性については話しながら考えるとか言ってましたよ。
まぁそんなことはさておき、ご要望通り我輩の結論から話してしまうぞ。生成AIに創造性はある。以上だ。
その結論にボクも反対しませんが、その結論の解説をしてください。
おや、サルくんも同じだと言うなら、その理由はなんだね?
今までの解説を聞いていると、特に前回の創造性三類型の定義だと、今の生成AIの方が人間より得意そうですよ。
それでは理由になっていません。サルくんは感想を述べているだけです。実は私もAIに創造性があると考えているのですが、そもそも創造性がボーデンの創造性三類型だけで定義できるものではないと思っています。ただ三類型に準ずると、探索の創造性は、サルくんの言うように生成AIは得意ですね。特に囲碁や将棋における前例のない指し手の発見は、今では生成AIがないとできない状況です。組み合わせの創造性も、ビジネスでのAI活用例として壁打ちと称したアイデア出しなら一般的に使われています。
チクタク先生の話は半分しか合っていない。ビジネス界隈で利用されているアイデア出しの壁打ちは、AIが学習している世界中にある様々な企業での事例や文献とか論文から引っ張り出してきたものだ。AIに依頼する人が知らない事例が多いので、新鮮なアイデアに感じるのだろう。
じゃあ将棋の指し手には創造性があるんですか?
囲碁や将棋・チェスなどのボードゲームの指し手なら、生成AIが登場する前からAIの得意分野だったことくらいは知っているだろう。囲碁の世界チャンピオンにAlphaGoが勝ったのは2016年のことだ。自然言語処理から発達したLLMベースのAIと異なり、AlphaGoのアルゴリズムは深層強化学習だった。単純なルールベースのボードゲームなら、大量の指し手を短時間で検索できるAIが得意なことくらい理解できるだろう。
でもそれじゃ創造性とは言えないんじゃないですか?
ですからボーデンの創造性三類型に準ずると、探索的創造性に相当すると言っています。
なんだ、AIの創造性とやらはそんなレベルですか?
いや、違う。そもそも「創造性Creativity」という明確に定義されていないモノを考える手がかりとして、創造性三類型を持ち出してきたのだ。アーティストなら、この定義だと怒るだろうな。我輩もアーティストのハシクレだが、これを利用しているだけで、この仮説を信用しているわけではない。我輩がアートを制作する時だと、あーでもない、こーでもないと、描いたり消したりして試行錯誤しながら制作している。疑問を投げかけたり、失敗することが創造的なプロセスの一部だからな。これは画家だけでなく、ミュージシャンや小説家も同じはずだ。
アーティストが試行錯誤しながら制作しているなら、ある枠組みの中で探究するタイプの探索的創造性に分類されますね。
そこはそうなのだが、絵画は画材やキャンバスという枠組みを超え、デジタル画像をディスプレイで表現し、VRで3D化したりと様々な表現方法で多様化させてきた。音楽は楽器や歌という枠組みを超え、シンセサイザーやボーカロイドを使うことで、楽器や歌では表現できない音域と高速リズムの音楽を創り出している。
あれ?何の話でしたっけ。
そうだった。AIの創造性についてだったな。では、アート専門家の意見を取り上げてみよう。