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ビックデータが市民権を得てしばらく経ち、膨大な量のデータをもとに企業経営や事業展開の方針を決定するケースは当たり前になりつつある。しかし、信頼性の高い数値に裏付けされた行動にも関わらず、「誤った選択肢」を選んでしまう企業は少なくない。
テクノロジー民俗学者のTricia Wang(トリシア・ワン)はその大きな要因として「定量化バイアス」の悪影響と、人間的な洞察でしか得られない情報「Thick data(濃密データ)」が判断材料に加わっていないこと挙げている。
データと感情、定量と定性、ビッグデータとシックデータ。性質が異なる情報を駆使してビジネスで成功を掴むための考察を、2017年にトリシアが行ったTEDトークビデオ「The human insights missing from big data(ビッグデータから見落とされる人間的な洞察)」から読み解いてみよう。
via https://www.triciawang.com/
民俗誌学とは、テーマに関連する現地でアンケート調査やインタビュー、資料の採集などを行うフィールドワークを中心として、社会に現状や様子を定性的にまとめて明らかにする学問だ。民俗誌学に影響された手法は「応用民俗誌学」として企業の製品開発や事業戦略の策定などにも活用されている。
Tricia Wang(トリシア・ワン)は、そのなかでも特にデジタル領域に関心を寄せる「テクノロジー民俗誌学者」だ。応用民俗誌学を利用して企業の成長を支援するコンサルティング会社Sudden Compasの共同創設者でもある彼女が講演した「ビッグデータから見落とされる人間的な洞察」は、ビジネス上で正しい判断を行うための映像資料として業界でも注目され続けているコンテンツである。
pikkuanna-https://www.flickr.com/photos/pikkuanna/5754189284/,CC表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64791586による
ビッグデータを活用した判断の誤りの事例として、トリシア・ワンは自身が関わったノキアのスマートフォン事業を挙げる。2009年にノキアは中国やインドなどの新興国の貧困層が、どのようにテクノロジーを利用するか調査研究し、未来の巨大市場進出のタイミングや方法などを模索していた。トリシア・ワンはその研究に協力。スラムで生活し、自らも露天商を経営するなど、徹底的に低所得者や移動労働者といった非正規経済圏の人々の「質的証拠」を収集した。その結果、低所得者層の人々がスマートフォンを欲しいと考えており、特にiPhoneの所有欲が強く「手に入れられるなら何でもやる」という熱があるという結論に至ったのだ。2009年といえば3台目となる「iPhone 3GS」が発売された年で、世界的に見てもAppleの躍進に対して懐疑的な意見が多かった時代である。
その認識は、当時、世界最大の携帯会社だったノキアも同様だった。トリシア・ワンのレポートの多くは理解されなかったのだ。
「スマートフォンとiPhoneの時代が来る。という私の予見が受けられなかったのは、それが『ビッグデータではなかった』からです。彼らが持っている100万件以上のデータからでは、スマートフォンを購入したいと思う人の指標は見えず、私が提示した100件ほどのデータでは根拠が弱すぎると判断されたのです」
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測定可能なビッグデータを重視し、定性的なデータを「定量モデルから外れている」という理由で廃棄してしまう。その無意識な思考と行動をトリシア・ワンは「定量化バイアス」と称する。定量化バイアスはビッグデータに限られたものではなく、ビジネスシーンにおいても整然と並んだExcelの数字を安易に信頼してしまい、それ以外のものに意識が向きにくくなることも定量化バイアスの一例だという。
トリシア・ワンは定量化には一種の依存性があり、数値で示せない「未来」や「未知の可能性」につながるデータをみすみす手放してしまうことが、ビッグデータを活用できない大きな要因になっていると主張する。ノキアがスマートフォン事業の失敗などで没落してしまった一因にも、測定可能なビッグデータのみを重視したことによる判断の誤りが関わっている可能性は決して低くはないだろう。
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数値で表せない人間的な洞察に基づくデータをトリシア・ワンは「Thick data(シックデータ)」と呼ぶ。トリシア・ワンは企業が誤った判断を下してしまうのは、ビッグデータのせいではなくデータを利用する人間側に課題があるとしている。そのうえで、ビッグデータでは見つけられない事象をシックデータで補うことで、より精度の高い判断材料になると考えている。
「両者の関係をギリシアのオラクル(巫女)で例えてみましょう。オラクルは未来や予言を告げる役割を担い、結婚や出航などの重要な判断を下す際に人々はお伺いを立てていました。この関係はまるで不確定な結果に対する保証を求める、ビッグデータ(=オラクル)と人間と同じではありませんか。ただ、オラクルは一人で予言やお告げを下していたわけではありません。オラクルの周囲には必ず『介添人』という男性がいて、オラクルの信託に情報を付け加えて質問者に伝えていたのです」
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その介添人こそが「シックデータ」であり、ビックデータの膨大な量のデータに人に由来情報を加えることが最大限の鍵となり、人工知能を最大限に活用できるようになるというのだ。
ビッグデータとシックデータを統合してアルゴリズムを改良した結果、大きな発展を遂げたのが世界的なVOD(ビデオオンデマンド)企業であるNetflixだ。VODにとってユーザー一人当たりの視聴回数の増加は重要な指標である。従来、Netflixはユーザーの視聴履歴や傾向をビッグデータから収集し、似たユーザーが好んでいる作品やジャンルなどを優先して掲載するアルゴリズムを組んでいたという。ただ、さらなる事業拡大のためNetflixは民俗誌学者のグラント・マクラッケンにシックデータによる洞察をまとめさせたのだ。
その結果を受け、Netflixは従来の提案方法からドラマ作品や続編映画などの「一気見」を推奨するようアルゴリズムを大幅に変更。アルゴリズムだけでなく、画面のレイアウトも含め「一気見」を強く勧める方針に転換した。その結果、Netflixは自社の業績改善はもちろん、ユーザーのメディア消費形態から変えることに成功したのだ。
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ビッグデータは産業だけでなく、社会全体の自動化や利便性の向上に欠かせない存在だ。すでにアメリカ合衆国では警察がビッグデータによる予測をもとに取り締まりを実施し、保釈金額や処罰勧告を設定しているケースもある。
さらに今後、行政はもちろん雇用や健康保険にもビッグデータに基づく意識決定が行われる可能性もある。その際、定量化バイアスの影響が強まってしまった場合、思わぬトラブルや予期せぬ事態を招く恐れがあり、それが人命に関わるリスクも少なくないとトリシア・ワンは言う。
ビッグデータだけに頼ると見落としてしまうことに意識を向ける必要がある。人間を相手にする場合は、さらにその重要性は高まるとトリシア・ワンは主張する。
「人間的な洞察によるシックデータを統合し、より良い成果につなげることが今後、ビッグデータに関わる人や企業に求められるでしょう」
参照文献 ・Why Big Data Needs Thick Data|Tricia Wang https://medium.com/ethnography-matters/why-big-data-needs-thick-data-b4b3e75e3d7 ・ビッグデータから見落とされる人間的な洞察 | TED Talk|Tricia Wang https://www.ted.com/talks/tricia_wang_the_human_insights_missing_from_big_data/transcript?language=ja
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