
アメリカの反応は、なによりも重要ですね。前回、プロジェクトリーダーの渕博士は、情報処理研究でアメリカが大人なら、日本はまだ赤ん坊だ、みたいな話がありましたよね。アメリカの研究者たちは、この第5世代コンピュータの話を、どう受け取ったんですか?
まず、この1980年代の状況から説明しますね。みなさんが、まだ生まれる前とか、せいぜいランドセルを背負っていた頃の話なので、日本やアメリカの状況を、あまり知らないと思いますので。
ボクはファミコンで遊んでましたよ。
任天堂のファミコンは1983年発売で、Macが1984年に日本でも発売されています。インターネットはもちろんなく、コンピュータといえば、IBMの大型コンピュータが、世界標準でした。
でも、日本はバブル景気の始まりで、オーディオ機器やビデオデッキなんかを、世界中に売りまくってましたよね。
そうです。しかしアメリカでは外国製自動車のシェアが30%に、アメリカの基幹産業だった鉄鋼までもが外国製シェア14%に急上昇したため、日本はアメリカの労働組合から怒りをかったのです。そんな時代でした。
そうか、だからトランプ大統領は今頃になって、アメリカ製自動車を買えだの、USスチールは渡さないなどと言ってたんだ。
蛇足になりますが、不動産王ドナルド・トランプは、1990年アトランティック・シティーにあるトランプ・プラザで、当時の世界トップ5ギャンブラーだった、日本の不動産業者である柏木昭男と、1200万ドルおよそ15億円を賭けてバカラで対決しています。
へー、バブル時代には凄いことがあったんだ。それで決着は?
アメリカ・メディアによると、柏木氏は最初600万ドル勝ち、トランプが所有するカジノを破綻寸前まで追い込みました。激怒したトランプは、政府系シンクタンクにいた確率の専門家を呼び寄せ、1200万ドルをかけて2度目の対決をしたのです。彼のアドバイスは、「バカラは長期間やれば勝てる」でした。
さすがトランプだ。
トランプは、2回目も初めのころ900万ドル負け、1回目と合わせて1500万ドルまで負けこみ、茫然となってゲームを降りようとしたのです。しかし確率の専門家は、ギャンブルを続けさせ、やっと6日経ってから運命が急展して1000万ドルを取り返したのです。
いやー面白すぎる話だな。実話とは思えない、映画みたいだ。
それどころか、この話には続きがあって、その柏木氏は日本に帰った後、富士山麓にある豪邸で、日本刀によりめったざしにあい、惨殺されたのです。この柏木氏は、どうもヤクザと深くつながっていたようなのです。
とんでもない大事件だな。コンピュータとは関係ないけど。
そうでしたね。いつのまにか脇道に入って、迷子になるところでした。えーと、なんの話でしたか?
しょうがないですね。先生は自分の時代になると、話がよく飛びますよ。第5世代コンピュータの話ですから。
失礼しました。第5世代コンピュータに対する、アメリカの反応でしたね。アメリカは、カメラやテレビなどの家電で日本に負けていても、まだ余裕がありました。しかしダイナミックメモリなどの、先端半導体分野まで、次第に浸食されてきて、日本への警戒心が非常に強くなってきたころに、第5世代コンピュータ計画が公開されたのです。
じゃあ、IBMなんかが中心になって、日本の計画を徹底的につぶそうとしたんですか?
いいえ、アメリカには、国家の技術戦略を立案する通産省のような政府機関はありません。企業活動を自由に行う競争社会なので、競争に勝った企業だけが生き残ればよい、というのが大原則にあります。また独占禁止法という強力な法律があり、ライバル企業同士が組んで、役割分担して市場を誘導することは、カルテル行為で違法になります。
そうなんだ。
先ほども言いましたが、IBMは最初から人工知能に無関心だったので、この計画に興味がありませんでした。危機感を覚えたファイゲンバウムは、帰国すると各地で講演会を開き、第5世代コンピュータ会議の議事録をばらまき、アメリカのコンピュータが、時代遅れになってしまうと、アメリカ国内で広く訴えたのです。
AIの世界的権威にまで、日本の計画は衝撃を与えたのか。でも、大学教授が企業をまとめるなんて、できたんですか?
日本の技術力をバカにしていたアメリカの多くのエンジニアたちは、議事録を読んで、その目標の高さと540億円を投じる計画に驚いたのです。しかし、対抗策を計画するにしても、あまりにリスクが高く、数億ドルもの資金を、いったいだれが負担するのかが大問題でした。
そりゃそうだな。日本の計画だって失敗の可能性が高いのに、それを上回る目標をアメリカは目指さなきゃならないんだから。で、どうなったんですか?
当時の小型コンピュータで最先端企業だったDECのゴードン・ベルが、このままではアメリカのコンピュータ業界は衰退してしまう、と企業を説得して、MCC社を設立して協働研究しようとしました。ところが参加企業が少なく立ち消えそうになったのです。
へー、そんなこともあったんだ。
そんなときに、救世主が現れます。それが国防総省の高等研究計画局(DARPA)です。アメリカ企業は、株主がうるさいので近視眼的な経営しかしません。しかし、こと国防に関しては、長期的視点の計画が必要なので、昔からこのDARPAが主導しています。実は人工知能の研究に関しても1950年代から資金提供をしているので、ファイゲンバウムは国防科学委員会で人工知能の現状を証言しました。そして国防総省は、防衛上の意義が高いとし、人工知能技術の重要性を認めたのです。
なるほど、アメリカの軍事費は世界最大で、桁違いの予算があるからな。リスクの高い長期的研究分野は、国防総省が出していたんだ。
DARPAのメンバーは、次のように言っています。「DARPAは、アメリカの情報処理研究の良心として行動しています。DARPAが構築したアーパネットを、コンピュータ科学界に導入させたので、今のインターネットがあるのです」と。
へー、驚いた。アメリカの国防総省の研究は、兵器だけじゃなかったとは知らなかった。
そしてアメリカは、日本への対抗措置として、 SCI(Strategic Computing Initiative)を1983年に立ち上げたのです。この国家プロジェクトは、軍事と民間、両方の応用を視野に入れ、高度な人工知能と並列処理スーパーコンピュータの開発を目的としていましたのです。
やっぱり日本の並列処理を意識しているんだ。
かなり長くなるので、アメリカのSCIの話は省略して、第5世代コンピュータ計画の結果だけ話しましょう。
はい
10年の歳月と570億円の資金を投入して出来上がったものは、論理プログラミング言語Prologがベースの、斬新な並列アーキテクチャ高速推論マシン(PIM)でした。しかしこのマシンはマスコミがイメージしていた、いわゆる人工知能マシンではなかったため、巨額の税金を投入したプロジェクトは大失敗に終わった、とまで言われてしまったのです。
※高速並列推論マシンPIM
そりゃそうですよ。一般大衆は、アトムみたいな人工知能を、期待していたんだから。
しかし、まったく新しいハードウェアに、新しいOS、新しいプログラミング言語を開発したのですから、投入された工数は適正だと思います。しかも計画時の目標は達成していますよ。もっとも、そのマシンのためのアプリケーションソフトは、予算も人材も足りなかったため、ほとんどありませんでしたが。
だから、その後は誰にも使われなかったんですよね。じゃあ、そもそも最初の目標設定が、間違えていたんじゃないですか?
いいえ、人工知能をどうすれば実現できるかなどは、世界中の誰も、アメリカの研究者でさえ見当もついていなかったのです。このICOTが定義した第5世代コンピュータの考え方は、ハードウェア指向でした。この当時、エキスパートシステムが全盛期だったので、画期的な並列アーキテクチャで、高速の推論マシンをなんとか実現しようとしたのです。あの時代に、大規模並列推論型コンピュータ(PIM)を実現できたことは、技術的にみると、とても優れていたのですよ。
まあ確かに、アメリカ国防総省のプロジェクトも、同じような高速並列マシンの開発を目指してましたね。
長くなったので、この第5世代コンピュータ物語は、ここで終わりにします。次回も日本の人工知能研究の話をしますので、そこで若干補足しましょう。
第7話に続く
図版・書き手:谷田部卓
AI講師、サイエンスライター、CGアーティスト、主な著書に、MdN社「アフターコロナのITソリューション」「これからのAIビジネス」、日経メディカル「医療AI概論」他、複数の美術展での入賞実績がある。
(図版・TEXT:谷田部卓 編集:藤冨啓之)
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前回は、日本の第5世代コンピュータ物語の前編でした。かつて日本は、世界最先端のコンピュータを開発しようと、意欲的な国家プロジェクトを立案し、産学官が協働して突き進んでいたのです。今回は、その後編を話しましょう。
今まで日本のAI研究についてあまり聞いたこともなかったけど、あんな凄いプロジェクトがあったんだ。しかもヨーロッパ各国は、日本の計画を聞いて、あわてて対抗策を考え始めたなんて驚いたな。
前回の最後は、第5世代コンピュータ計画に驚いたイギリスとフランスの反応でした。1980年代、人工知能研究分野どころかコンピュータのあらゆる領域で、圧倒的なトップの座を占めていたアメリカの反応を、後編で紹介します。