1912年創業の荏原製作所は、国内外にグループ会社およそ120社ほどを有し、2023年12月期の売上収益は連結で約7600億円、従業員数約2万人(連結)の巨大企業だ。その情報システムを統括する執行役CIO(情報通信担当)の小和瀬浩之氏は、「当社のITの特徴は、経営・業務部門・IT部門の三位一体によってなされる全社的なデジタル推進体制にある」と強調する。
荏原製作所は、中長期の成長戦略の中核に「IT戦略」を据えている。現在の中期経営計画「E-Plan2025」でも、「2025年をめどにERPシステムの全社導入」「グローバルITインフラ統合化・共通システムの拡大」「グローバルでの業務の標準化」「データドリブン経営」「デジタルツイン/メタバース空間の活用」など、明確な目標を掲げている。
これら目標実現のため、同社では「攻め」と「守り」の両面でDXを推進していくという。攻めのDXでは、デジタルによる革新的な生産性向上の他、既存ビジネスの変革と新規ビジネスの創出により、製品・サービス・ビジネスモデルを変革することを目指す。一方、守りのDXでは、攻めのDXを支えるERPやタレントマネジメントシステムなどの情報インフラの変革を進める。
攻めのDXのために組織にも手を入れ、新たに「データストラテジーチーム」を創設した。同チームはデジタル、映像、ブランディング、映像プロデューサー、脳科学などの多様なスペシャリストで構成されており、小和瀬氏は「今までの荏原製作所にはなかった、新しい風を吹き込む集団。0から1を生み出す」と強調する。
●社内情報と生成AIを組み合わせ、業務効率化とエンゲージメント向上を目指す「EBARA AI Chat」
チャットツールに生成AIを組み込み、対話形式で社内文書などから質問に対する回答を引き出せる。既存の社内ドキュメントの多くは日本語文書だが、世界80カ国で利用可能にするために各国語への変換機能も搭載。「費用対効果も高いが、それ以上に外国籍社員の帰属意識に繋がる」(小和瀬氏)
●メタバース技術を利用した製造現場のデジタルツイン
各種センサーから得たデータをもとに、製造現場の状況をバーチャル空間(映像)に再現するデジタルツインを実現。工場内のレイアウトそのままに、人の動きも再現できる。「工程組み替えのシミュレーションや、熟練工の製造ナレッジ共有・教育など、これまでにないデータ活用ができています」(小和瀬氏)
●仮想空間とリアル映像を合成するバーチャルプロダクション
仮想空間の映像と現実の被写体をリアルタイムに合成して映像化するバーチャルプロダクションを、キャリア採用強化や広報活動などに活用。「特にエネルギー分野の最先端である水素活用に関する啓発・採用・広報に多大な効果を実感しています」(小和瀬氏)
●データサイエンス領域では遠隔監視・故障予知・省エネ診断
各種製品の状態診断技術を開発。センサーが機器の状態を収集・可視し、機器の状態を監視。異常やその兆候を検知すると担当者に通知が届くなど、速やかな対応を可能にした。「異常レベルから故障予知も可能です。状態監視による省エネ状況の把握も可能です」(小和瀬氏)
●人事分野での分析
男女の賃金格差の分析、従業員の意識調査をもとにしたエンゲージメントサーベイの分析などを実施。
「こうした開発は、CIOの役割ではないという意見があるかもしれないが、私は他社では一般的にCTOやCDOの役割と考えられているこうした領域にCIOも積極的に取り組むべきだと考えています」と小和瀬氏は話す。
守りのDXについて小和瀬氏は、「日本企業は、海外市場において企業の総合力を発揮できていない」と断言。それは、各国に日本から経営陣を送り込み、あとは各社に任せっきりで事業成長を図るこれまでの「インターナショナル経営」を行っているからだという。この手法では、今後ますます日本の会社が国際競争力を失うことになる、と危機感を隠さない。これに対し「業務プロセスや業務ルールを標準化し、経営情報を本社で常時把握して適時に意思決定ができ、まるで全てのグループ会社があたかも一つの会社のように経営する『グローバル経営』に転換すべきです」と提言する。
同社では、そのためのIT施策として各国の基幹システム(ERP)をSAP S/4HANAに統合し、国別・事業別などのカスタマイズを最小限に抑え、標準機能に即した形で業務プロセスや業務ルールを統一・標準化していく「Fit to Standard」での改革を進めた。
「たとえば、各国で、売り上げや利益の定義も違えば、売上計上基準も違うような状態のままでは、データを集めて適時に適切な意思決定を行うことは非常に難しい。これを可能にするためには、やはり業務の標準化が必要です。SAPはグローバル経営に適した機能を備えており、Fit to Standardで業務プロセスや業務ルールの標準化を図ることで経営情報が可視化でき、時代に即した経営が実現可能になります」(小和瀬氏)
さらに小和瀬氏は、グローバル経営実現のポイントとして、下記の3つを挙げた。
●グローバル経営の見える化
経営情報の一元化と透明性の向上。グローバル経営レベルでのPDCAサイクル実現し、全社でのマネジメントサイクルを短縮化。グループ内のKPIも容易に比較可能となる
●グループ内のグローバル業界標準化
グループ内のベストプラクティスのクイックな展開。適材・適所での人材活用。シェアードサービスセンター、BPOへの容易な移行可能になる
●柔軟性/汎用性/拡張性のある情報システム
事業の急激な変化やM&Aに対する迅速な対応。外部のベストプラクティスの導入。新たな仕組みの開発・経営コストの大幅削減が可能になる
「これらを実現するには、KPI、業務ルール、業務プロセス、コードの標準化が必要です。当社では、KPIの最上位にあるのは、ROIC(投下資本利益率)ですが、その指標をいち早く各部門のKPIなどに分解して改善できるような仕組みをつくり、マネジメントサイクルを最短にしていくことが、グローバルで戦うために不可欠です」(小和瀬氏)
ただし小和瀬氏は、「何もかもSAPのFit to Standardにあわせればよい、というわけではない」とも指摘する。実際に、日本独自の業務プロセスや業務ルールが必要な公共関連事業ではSAPを導入していない。また、業務標準化は画一的に行うものではなく、標準パターンをいくつか用意し、最も効果的なパターンを選ぶ形にすることが重要だという。
ERPによる業務プロセスの標準化を進める際に、一部の現場から反対の声が上がることも珍しくない。これに対して小和瀬氏は「重要なのは経営陣がコミットすることと、DX推進に対する一貫した姿勢を維持し続けること」と話す。現場からの反対に妥協案で対応して進めると、結果的に失敗するケースも多いとして、次のように付け加える。
「日本の多くの会社の場合では、全体では複雑に絡み合ったシステムになっていることが大半です。一部で仕組みの入れ替えがあっても、全体に悪影響が出ないようにメンテナンスしていく必要があります。その際には、『全体の機能配置(在るべき姿)をしないシステム開発』『ユーザーに言われるがままのシステム開発』『外部に丸投げのシステム開発』『運用保守を考慮しないシステム開発』は避けるべきでしょう」(小和瀬氏)
同社では業務プロセスの可視化に「Celonis」(セロニス)というプロセスマイニングツールを活用しているという。これは業務活動の履歴(イベントログ)から現状のプロセスの見える化を行い、効率化すべき業務の特定する。
最後に小和瀬氏は、同社経営トップのDX推進への関わり方のポイントとして、「言動一致で、ぶれない」「頻繁なコミュニケーション」「失敗を恐れず積極的にチャレンジする/させる」「自ら実践、自ら行動」の4つを挙げた。
「特に、ぶれないことは大切です。トップがぶれないことで、標準化の際の反発の声や『例外』の発生を抑制することができます。ネガティブな声に反応して変革の速度を落としている時間的な余裕はありません」(小和瀬氏)
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣 PHOTO:野口岳彦 編集:野島光太郎)
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