2022年2月、東急不動産ホールディングスの100%出資子会社「TFHD digital 株式会社(以下、TFHD digital)」が設立された。同社は、幅広い事業領域に展開する東急不動産ホールディングスグループのDXを推進し、境界を取り除いた新しいライフスタイルの創造をミッションに掲げている。その旗手となっているのが、執行役員である武重慶士氏だ。
グループ全体の従業員数は21,276人。※1オフィスビルから商業施設、フィットネス、ホテルなどグループ運営施設は255施設。顧客との接点は約1,800万人にもおよぶ巨大組織のDX・デジタル活用の「プリンシパル」でもある武重氏のキャリアは、意外にもフィットネスクラブの現場から始まったという。今回は武重氏にこれまでの歩みと東急不動産HGが見据えるDXについて聞いた。
※1: 東急不動産ホールディングス HP より(参照 2023-10-04)
武重氏が初めて「デジタル」に本格的に触れたのは2015年の頃だった。当時の東急スポーツオアシスの社長だった平塚秀昭氏が打ち出した経営方針「データを活用してビジネスを成長させる」ためのデジタル化推進担当として白羽の矢が立ったのだ。
「平塚さんが最初に打ち出したのは『申込書のデジタル化』で、当時、すでに導入されていたセールスフォースを基盤にした新たな入会申込書のアプリケーションの開発担当になったのが、最初の一歩だったと思います。当時の私はすでに入社10年近く経っていましたが、東急スポーツオアシスの現場担当者だったこともあり、デジタルの知見なんて一切ありませんでしたよ(笑)。それこそAPIってなんだ?というレベルでした」
専門用語をGoogle検索でメモしてセールスフォースの担当者と会話するなどして、なんとか「食らいついていた」と武重氏は当時を振り返る。武重氏が手探りで開発したアプリケーションもあり、入会申込書の電子化に成功した。そうなると次に会社としてやりたいことが上層部から降りてくる。それはセールスフォースに蓄積したデータの可視化だった。
「このミッションの際に出会ったのが、ウイングアーク1stの『MotionBoard(モーションボード)』でした。ただ、当時を振り返ると、データの可視化を実現したところでどんな成果が得られるのか不明瞭だったのが正直な感想です。ただ、実際に可視化すると意外にも売上に直結する成果が挙げられましたね」
武重氏によれば、フィットネスクラブの収益モデルは比較的シンプルで、「会員数の増加が収益向上に繋がり、会員の継続が利益を保障する」ということだそう。従来は会員数の増減を月末しか確認できなかったが、MotionBoardを導入することで日々チェックできるように環境が変化した。従業員の意識付けはもちろん、横並びで店舗の状況も見えるようになり競争意識も芽生えたという。その結果、入会予算の達成が困難な情勢になりつつあるなか、2016年度時点で入会者数は前年度比4,000人増という目に見える成果を挙げられたのだ。
「次に取り組んだのは、可視化する領域の拡大とブラッシュアップです。パーソナルトレーニングの売上といった会員様にお金を落としていただける様々なポイントを可視化していきました。その後は売上だけでなく、電気代など経費に関わるポイントの可視化にも手を付けました。最終的にはIoTも手段として、フィットネスクラブの運営事業に関わる全てを可視化しました。このような施策や成果がフィットネス業界で話題になり、2017年頃に『オアシスの仕組みをウチでも導入したい』という声を多く頂けるようになったんです。そこで2018年に『BeesConnect事業』を立ち上げて、ノウハウやナレッジをBI導入サポートなどを外部に提供するといったビジネスにまで発展したのです」
2020年には新型コロナウイルス感染症によってフィットネス業界は大きな打撃を受けた。一方、「コロナによる退会者の分析」や「休会制度の活用状況」などBeesConnect事業に関連する対社内・対外的なデータ活用事業の需要はあり続けたという。
2020年4月、武重氏にとっての転機が訪れた。東急不動産ホールディングスに新たにDX推進室が設立された。そして同年10月、武重氏はオアシスに在籍しながら東急不動産ホールディングス及び東急不動産のDX 推進室、 IT 推進部を兼務出向になったのだ。
「恐らく設立当初のDX推進室は『立ち上げたものの、何から手を付けていこう?』と模索していたのだと思います。そこでDX推進室はグループ各社に対してヒアリングを実施していて、オアシスが対外コンサルをビジネスにするまでデジタル活用の実績が上がっていることが目に留まったのでしょう。見つけていただいて本当に感謝していますが、入会申込書のデジタル化に取り組んだ際はこのような展開は想像できませんでしたね」
出向後、初めて実施したのが、東急不動産ホールディングスにBIツール「MotionBoard」とフロントデータベース「Dr.Sum」の導入だった。各社が使用・運用できる体制を構築するなか、2021年4月にDX推進室は「DX推進部」に昇格した。さらに2022年に東急不動産ホールディングスのデジタル子会社「TFHD digital」を設立し、同社の執行役員・プリンシパルとして武重氏が招かれた。
「スピード感や会社設立など、東急不動産ホールディングスのDX推進やデジタル活用に対する『本気』に胸を打たれ、転籍を決めました」
22年4月から転籍してすぐにスタートしたのが、グループ全体の支援だ。具体的には「BPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)」や「業務効率化」に関わる活動で「DXの一歩手前」の活動から23年、24年度はトランスフォーメーションの実現に本格的に着手したいという。一方、すでに東急不動産ホールディングスのDX推進の活動は対外的に評価されており、経済産業省などが選定する「DX銘柄2023」に初めて選ばれた。
■DX銘柄とは
DX銘柄に選定された企業は、単に優れた情報システムの導入、データの利活用をするにとどまらず、デジタル技術を前提としたビジネスモデルそのものの変革及び経営の変革に果敢にチャレンジし続けている企業のこと。
※出典:経済産業省HP「DX銘柄2023」「DX注目企業2023」「DXプラチナ企業2023-2025」を選定
武重氏は事業推進の中心人物として、現場の深い知見を持ちつつも、ITの背景がない中でDXの取り組みを主導してきた。現在は、グループ全体のDX・デジタル化を促進するプリンシパルとなった武重氏の「現場担当者ならでは」の解像度の高さだ。予算が非常に厳しかった東急スポーツオアシス時代では「10万円であっても削れるものは削る」という観点で巨大な組織が陥りがちな「どんぶり勘定」とは相対的に、細やかなDXが成果を積み上げてきた要因の一つだ。武重氏自身、これまでのTFHD digitalとしての活動でグループ各社の規模の違いによる現場の感覚の違いを感じているという。また、東急不動産ホールディングスならではの事業ウイングの広さは強力なメリットである一方、DXにおいては障壁の遠因にもなっていると分析する。
「幅広い領域のお客様が点在しているうえ、各社のブランディングが強すぎてデータ連携に大きな課題があるのは否めませんね。このような状況が『機会損失』と認識がホールディングス内で広まり始めたのが、DX推進室のスタッフによって『DXレポート2022』の制作に着手し始めた頃でした」
「上記の課題を解決するため、2023年度からCDP(カスタマーデータプラットフォーム)のようなものを構築してお客様のデータを取り込む動きが本格的に始まりました。この顧客統合に向けた一連の流れというのは、実は東急スポーツオアシスのホームフィットネス器具のEC事業とオアシス会員様のデータ連携に相通じるものがあるんです」
①ECサイトにもオアシスの会員番号を登録するよう導線を貼る
※会員登録による割引キャンペーンなどを実施
②セールフォースに会員番号が紐づけられる(顧客統合)
③紐づけられた情報がBIで可視化される
④アルゴリズムによってMAが回る
※ECサイトの購入用品とフィットネスクラブでの運動の傾向が関連付けられるなど
⑤「④」を根拠として提案する商品、レッスンなどをレコメンドする
「上記の流れをより大きくしたものが今回のグループ全体の顧客統合だと考えています。例えば、ゴルフ場の会員様とマンション購入者の紐づけなど、全く関係のない領域での情報統合によって創造できる提案、サービスにはすごく可能性を感じています。また、それを実現するために東急不動産ホールディングスのDX推進部と我々が一緒になって中心で取り組めているのがワクワクする内容だと思います」
TFHD digitalの設立の背景には、東急不動産ホールディングスが掲げる長期ビジョン「GROUP VISION 2030」とそれを実現するための全社方針としてのDXの位置付けがある。残りは約7年。「短すぎる」と思う人もいるのではないだろうか。最後にその現在地と展望を武重氏に聞いた。
「確かに簡単ではありませんよね。ただ、決して不可能ではないと思いますよ。例えば、規模が大きいのは事実ですが、ホールディングスと一緒に動けるのは大きなメリットです。個々のブランドは強かったとしても、一つの決定に従ってもらえるような組織体になっているわけですから。現実的にDX推進はトップダウンというか、ウォーターフォール式のような体制の有無が成果を挙げるための分水嶺になるでしょう。私自身、東急スポーツオアシス時代もトップを盾にして走り続けていたので、その重要性は実感しています(笑)。それに顧客統合のプロジェクトを一つとってみても、最初は情報を整理、入力する手間はあるかもしれませんが、顧客一人ひとりの見えなかった情報を活用できるという今までにないメリットが大きいのは明らかです。そのようなメリットの訴求を頑張っているおかげもあり、現時点では進めることへのハレーションは起こっていません」
TFHD digitalは2022年からグループ各社向けにDX人財を育成する「トレーニープログラム」を実施している。外部のコンサルタントと協力したカリキュラムを作成し、無料で参加できるため、DXを学ぶためのハードルを下げることにつながった。このような「細かな成果」と「活動を通じたメッセージ」を発信し、信頼を積み重ねている。
キーワードはビジネスとデジタルをつなぐ「ブリッジパーソン」の育成だ。同プログラムは5人体制の少数精鋭で、全12回のトレーニープログラムでは「DXとは?」といった基本的な知識からスタートする。武重氏も登壇して「BI利活用」について話すという。テクニカルやデータベース的な内容ではなく「行動を起こす」ための手段とユースケースに特化したカリキュラムになっている。さらにグループ各社の実際の課題と照らし合わせ、最終日の発表会では研修内容を踏まえ課題に対するツールを使ったアプローチや予算まで提示する。
「プレゼンには参加者の上長はもちろん、弊社の社長かつホールディングスの副社長の植村も出席します。『意思決定できる人』を巻き込める場も提供しています」
参加者のほとんどは事業企画や営業など、元々IT畑出身ではない人物が多いという。それでもリフォーム事業を展開する東急Re・デザインでは、Web上で顧客が10問程度回答することでリフォームのイメージを共有できるアルゴリズムを構築することで、従来のような営業とデザインチームの「伝言ゲーム」がなくなり、工数削減や負担軽減を実現する取り組みに着手している。
「現在はPBR的な観点で課題を持っている人が多いですね。トランスフォーメーションの段階までは到達していませんが、少しずつ実績を積み重ねて価値を創造していく取り組みにも着手していきたいです。
基盤を整備した後は、武重氏が「引っ張ってきた」というデジタルマーケティングプロデューサーの小菅達也氏らが中心となり、新たな価値を創造する取り組みも積極化していく予定だ。
「私も武重さんと同じく、IT畑の人間ではありません。勉強の毎日で、この仕事でいつも感じているのは、可視化したデータを使いこなして『お客様に価値を還元する』ことは口で言うほど簡単ではないということです。ただ、事業ドメインの真ん中にいてお客様のことを知っているからこそ、リスキリングでITという武器を見つければ大きく飛躍できるのだと考えています。それがまさに、私が感じている武重さんのロールモデルです」
最後に武重氏に今後の展開を伺った。
「実績を重ねることでホールディングスはもちろん、社外の案件も少しずつ獲得していきたいとも考えています。私が東急スポーツオアシスでBeesConnect事業を立ち上げた先にTFHD digitalがあるように、一つひとつの仕事や成果を積み重ねることで『GROUP VISION 2030』の達成と自身のキャリアを築く『流れ』を組んでいきたいと考えています」
(取材・TEXT:藤冨啓之 PHOTO:渡邉 編集:フルカワカイ/野島光太郎)
10/31(火)~11/2(木)開催のデータでビジネスをアップデートする3日間のビジネスカンファレンス「updataNOW23」に武重氏も登壇。「updataNOW23」はウイングアーク1st社主催の国内最大級のカンファレンスイベントで、DX・データ活用を軸にした約70セッションと30社以上が出展する展示など、会場とオンラインのハイブリッド形式で開催されます。
東急不動産ホールディングスのDX子会社の機能と独創的なBIツールの使い方
東急不動産ホールディングスのDX機能子会社として誕生したTFHD digital社。グループ内のDXのお困りごとを解決することを目的に、高度デジタル人材を採用するために用意されたデジタル会社ならではの取り組みの工夫や風土づくりとは。さらに後半では、独創的な発想でBIツールを使いこなす活用事例もお伝えします。
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