JR大阪駅前の好立地に、阪急百貨店(阪急うめだ本店)と阪神百貨店(阪神梅田本店)が並ぶ。いずれもエイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)グループの中核企業である株式会社阪急阪神百貨店のフラッグシップとなる店舗だ。
H2Oグループは、両店をはじめ15店舗の百貨店事業を展開している他、イズミヤ、阪急オアシス、関西スーパーなどの食品スーパー、食品製造・宅配会社、商業施設開発・運営・管理、コンビニエンスストア、コスメ、家具、ペット用品、ブライダルなど幅広い事業を展開している。関西を中心にリアル店舗数は500を超え(店舗数は2022年10月31日現在)、グループ従業員数は約9,500人。2023年3月期の総額売上高は9,797億円と、名実ともに関西をリードする流通・小売グループである。
H2Oグループでは引き続き、約2,000万人の人口を擁する関西商圏でのドミナント化戦略を進めていく考えだ。コロナ禍では業績が落ち込んだが、百貨店事業を中心に大幅に回復してきている。ただ、H2O執行役員 IT・デジタル推進室長の小山徹氏は、先行きには不安をにじませる。国内の少子高齢化は進行しており、市場のシュリンクは確実だ。将来にわたり持続的な成長を継続していくには、変革が必須だ。
そこで同社は2021年7月に新たな3カ年の中期経営計画を発表し、2030年に向けた長期事業構想を示した。変革のキーワードは、新たなビジネスモデルを著す「コミュニケーションリテイラー」だ。
その内容について同社は、“デジタル技術とリアル店舗を融合したお客様とのダイレクトなコミュニケーションを重ねることで継続的な強くて深い関係を築き上げ、それをベースにさまざまな商品やサービスを提供しビジネス化していくことで、お客様に「楽しい」「うれしい」「おいしい」生活をお届けし、地域とともに成長し続けていきたいと考えています”と説明している(「長期事業構想2030」より引用)。その具体的な施策として「既存事業の再建・磨き上げ」「新市場への展開」「新事業モデルへの挑戦」などを挙げる。
「新事業モデルへの挑戦」では、関西圏1000万人規模のアクティブ顧客基盤を活用した「関西エリア×オンライン軸×サービス事業化」と、「顧客データのプラットフォーム化によるBtoBビジネス展開」を目指していくという。DXのための投資額は3年間で260億円となる計画だ。
「その結果の数値目標としては、2030年に営業利益350億円、そのうちの1割の35億円は新規事業から生み出していきたいと考えています」(小山氏)
小山氏は2021年4月に現職に就いた。それまで、日本IBM、ファイザー製薬を経てプライス・ウォーターハウス(当時)のコンサルタントに転身し、流通業界を中心に豊富な経験を積んできた。さらに2014年には三越伊勢丹ホールディングス役員 兼 三越伊勢丹システム・ソリューションズ代表取締役社長としてシステム構造改革を推進、IT戦略部長としては海外現地法人を含むグループITガバナンスの強化にも携わった。その後PwC Japanグループ 小売・流通セクター統括パートナーを経てH2Oに入社したという実績がある。まさにITと流通業界に精通したプロのCIO/CDOといえる。
「PwC Japanで阪急阪神百貨店のITコンサルティングに携わっていた縁もあり、H2O代表取締役社長の荒木(直也氏)から『これからは当社にとってデジタル化が必須になる。ぜひ中に入って手伝ってくれないか』と声をかけられたのです」(小山氏)
小山氏は「コミュニケーションリテイラー」の策定にも、コンサルタントとして支援していた。H2Oの変革のためにはうってつけのキャリアであろう。しかし、外から見ているのと中に入って実際にシステム構築に携わるのとでは、大きな違いがあった。
「中に入ってみると、既に保守サポートが終了したはずのシステムがいくつも現役で動いており、店舗のオフィススペースではLANケーブルが床を這っていました。インターネットから隔離されたデータセンターへのアクセスのみなら、外部とのデータのやりとりがなければPCのOSはXPが残っていても否定はしません。しかし、『コミュニケーションリテイラー』を目指し、インターネットを介してお客様とつながっていくとなれば既存のシステムでは限界があり、再定義と再整備が必要でした」(小山氏)
そこで、どのようなデジタル施策を行うべきか、経営陣との議論が何度も行われたという。H2Oには代表取締役社長の荒木直也氏の他に、代表取締役副社長食品事業担当(兼 エイチ・ツー・オー食品グループ代表取締役社長、イズミヤ・阪急オアシス代表取締役社長)の林克弘氏、代表取締役百貨店事業担当(兼 阪急阪神百貨店代表取締役社長)の山口俊比古氏、の計3人の代表取締役がいる。この3人に加え、経営企画室長や社外取締役なども交えた委員で構成されるIT・デジタル経営委員会を設置し、H2Oが目指すべきIT基盤の実現イメージを固めていった。
「コミュニケーションリテイラー」を目指すために、中期経営計画では「A領域」~「C領域」まで、3つの領域に分けて具体的な施策を掲げている。
「A領域」では、「既存事業のOMO(店頭とオンラインの融合)化の試行」「グループEC・OMO基盤構築」「グループ顧客データベース構築」が挙げられ、「B領域」では、「新ワーク環境構築」「生産性向上推進」などの業務改革を推進。さらに「C領域」として、「POS・決済・ポイント基盤刷新」「MD(マーチャンダイジング)・基幹刷新」「情報提供基盤/DWH(データウエアハウス)刷新」「制度変更対応」などと定めている。
※OMO(Online Merges with Offline):お客様を主語に捉えた取り組み。購買に関わるすべての体験(認知・購入・リピート)が、オンライン(デジタル)とオフライン(リアル店舗)のどちらでも体験できること
「『コミュニケーションリテイラー』を目指し、これらの施策を実施するに当たっては、基盤の裏側はセキュアであることが必須です。かといって、これからVPN(仮想施設網)を全社に敷くようなことは現実的ではありません。クラウドを最大限に活用しながらセキュアな環境を実現したいと考え、そのために『ゼロトラスト』を導入することにしました」(小山氏)
「ゼロトラスト」とはその名の通り、データにアクセスする人物や端末を信頼せず、常に監視・制御してサイバー攻撃に備える考え方だ。
H2Oと阪急阪神百貨店は2022年8月、阪神梅田本店が入居する大阪梅田ツインタワーズ・サウス(大阪市北区)に移転した。新オフィスではゼロトラストを導入し、原則としてフリーアドレスでコラボレーションエリアやミーティングスペースを充実させ、部門・グループ・会社を超えた共創を促している。
「2023年9月上旬には、イズミヤ・阪急オアシスの本社がある十三事業所(大阪市淀川区)でも、オフィスのリニューアル時にゼロトラストを導入する予定です」と小山氏は明かす。本社ではすでにGoogle Workspaceなどを活用し、ドキュメントやスプレッドシートの共有、チャット、メール、ビデオ会議などができるようになっており、従業員に活用されているという。
「店舗ではLANケーブルが床を這っている」という状態から一気に「ゼロトラスト」を導入したH2O。まさにリープフロッグ(カエル跳び)で新しいテクノロジーを導入したわけだが、グループの各事業会社の経営陣や従業員に戸惑いはなかったのだろうか。
「もちろん、『今のままでもうかっているのに、なんで変えるのか』という声もありました。そこで、『今のままではセキュリティに課題があるのです。お客様のデータに何かあったら、荒木社長がテレビで謝ることになりますよ』と各社に説明して回りました。さらに荒木自身にも、事業会社の社長とデジタル化の必要性について対話をしてもらいました」(小山氏)
H2Oグループにおける小山氏のロール(立ち位置や役割)についても注目したい。ホールディングスなど親会社の役員が、ガバナンスを利かせるために子会社の社外取締役などを兼任することは珍しくない。しかし、小山氏はさらに阪急阪神百貨店およびエイチ・ツー・オー食品グループの執行役員(IT・デジタル推進担当)も兼任している。
小山氏は「荒木、林、山口が私の直属の上司ということになります。『何かあったら執行役員である私がクビになりますわ』と冗談で言っているのですが、こういうロールだからこそ、言わなければならないことをはっきりと言えますし、改善すべき点についても、各社の社長から迅速に現場に落ちます」と、自身のロールの意味を説明する。腹をくくって自らが責任を負うことで、まさに小山氏自身がグループのIT・デジタル領域のガバナンスとなっているわけだ。
「IT・デジタルを推進するのが私のミッションではありますが、グループ全体のOMOを横串で進めるのも仕事だと考えています。そうなると、システムやツールだけでなく、そもそもワークフローはどうあるべきか、人員も含めた組織体制はどのようなものが望ましいのか。人が足りないならどこから持ってくるのかといったことも議論する必要があります。経営陣や人事部門とも一緒に推進することになります」(小山氏)
そこでも背景にあるのは「コミュニケーションリテイラー」というコンセプトだ。荒木氏はその実現のためには店舗基点・商品基点から「お客様基点」へのシフトが必要だと話している。小山氏は「店舗を持っているとどうしても本社から店舗の現場へという縦の動きになりがちです。しかし、お客様は店舗を横断して行動します。それであれば、私たち自身も社内のみならずグループ内を横につなぐことが前提条件だと思っています」と語る。
歴史のある企業に入社以来わずか1年あまりでDX認定事業者の認定や「ゼロトラスト」化を実現するなど、前例のないスピードでDXを実現してきた小山氏。コロナ禍を経て大幅な増収増益というグループのV字回復にも貢献していることは想像に難くない。H2O荒木氏をはじめとする経営陣も巻き込み、短時間で成果を生み出している姿は、まさに「プロCIO、プロCDO」の真骨頂といえる。
だが、それをもってトップダウン型でドラスティックな改革を進めるディスラプター(創造的破壊者)のイメージを持つとすれば誤解だ。実際には、店舗の一人一人のバイヤーや販売員も含め、従業員に寄り添った温かみのある丁寧な取り組みを重視しているという。
当記事の続きとして、後編「CDOの履歴書|百戦錬磨のCIO/CDO 小山氏が進める『強くて、やさしいDX』」では、小山氏の高いコミュニケーションやソフトのスキル、さらにはH2Oグループの人材育成・登用の考え方などについても紹介する。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣/下原 企画・編集:野島光太郎)
10/31(火)~11/2(木)開催のデータでビジネスをアップデートする3日間のビジネスカンファレンス「updataNOW23」に小山氏も登壇。「updataNOW23」はウイングアーク1st社主催の国内最大級のカンファレンスイベントで、DX・データ活用を軸にした約70セッションと30社以上が出展する展示など、会場とオンラインのハイブリッド形式で開催されます。
関西最大級の小売グループH2Oリテイリングが目指す「コミュニケーションリテイラー」とDXの最前線
関西を代表する小売グループ、エイチ・ツー・オー リテイリングは、阪急百貨店や阪神百貨店などをはじめ多岐にわたる事業を展開しています。同社は「コミュニケーションリテイラー」という新しいビジネスモデルの実現を目指し、その達成のためDXが欠かせないと考えています。そのアプローチは、前例にとらわれず”強く”変革を進める方向と、既存の店舗や働き方を尊重し”やさしく”進化させる方向の両輪で進められています。本セッションでは、そのDXの舵取りを担当する小山徹氏が、同社の独自の取り組みと裏側のストーリーを共有します。
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