登場人物
大学講師の知久卓泉(ちくたくみ)
眼鏡っ娘キャラでプライバシーは一切明かさない。
桃井太郎(ももいたろう)
令和大学ハイテクラボの准教授。人工知能から心理学、社会学などあらゆる分野に詳しい学者。
サルくん
軽薄で口が達者だが怜悧な頭脳を持つ大学院生。
■前回までのポイント
・ナラティブとは「物語性」や「ストーリー」などの幅広い意味を持ち、そのパワーの源は、「計量心理学」にある
・SNSにある大量の個人情報と計量心理学を用いることで、大衆心理を操作し国際政治に大きな影響を与えることまで可能となっている
・ナラティブは「認知バイアス」に影響を与え、人格形成や道徳観にも影響を与える機能を有する
マスメディアとなったSNS
前回までに、人の行動特性を精度よく分類できる計量心理学と、ナラティブが持つ特異な機能について話をしてきた。今回は、このナラティブと強力な伝播力を持つSNSを組み合わせた、具体的応用例について話をしよう。。今更だが、SNSが全世界で利用されており、その強力な”伝播力”のおかげでSNSマーケティングが流行していることぐらいは知っているだろう
先日発表がありましたが、2023年広告費2兆3000億円の中でインターネット広告費が46%で、旧マスメディア4媒体(TV、新聞、雑誌、ラジオ)合計で32%(註1)でしたね
なんだ、今の”マスメディア”はTVや新聞ではなくてSNSじゃないですか
いや、このインターネット広告費にはAmazonなどの販売サイトやニュースサイトで表示される広告費なども入っているから、SNSだけではない。インターネット広告費のなかで、SNSマーケティングとかコンテンツマーケティングといわれている広告費の、公式集計は見当たらなかったのだが、およそ8,000~9,000億円のようだ。だからインターネット広告費のだいたい7割強を占めているな。つまり企業は、TVで宣伝するよりSNSで宣伝した方が、広告効果が高いと考えているわけだ
そりゃボクもTVを見るよりスマホを見ることの方が圧倒的に多いですからね
桃井先生、これ以上マーケティングの話に深入りする前に注意しておきますが、今回のテーマはあくまでナラティブとSNSですよ
うむ、わかった。SNSが単純に視聴時間の長さだけではなく、なぜ強い伝播力を有しているかの話をしようと思っていたのだが、止めておこう。では、ここまで話した内容を簡単にまとめるぞ
■ここまでのポイント
・計量心理学:あらゆる人の行動特性を精度よく分類できる手法
・ナラティブ(物語形式):長い時間の出来事でも凝縮して伝えることができ、人の記憶に残りやすく、伝染性がある
・SNS:全世界で利用され、ユーザーの視聴時間が長く情報の伝播力が強い
ナラティブの応用先とは
◆アルゴリズム(計量心理学の手法)+SNS+ナラティブ ⇒大衆心理操作
こうなる。つまり、大衆心理を操る道具立てがこれでそろったことになるな。計量心理学を”アルゴリズム”としたのは、今回紹介した計量心理学の手法は、ひとつの例であって他にもあるし進化もしている。さらにAIテクテクノロジー加わっているので、用途によって様々なアルゴリズムがあるはずだ
生成AIなら決まったフォーマットの”物語”を生成できるので、人格特性に適合した物語を大量に自動生成できそうですね
そうだな。そうなると、不特定多数にフェイクニュースを垂れ流すことより、かなり深刻な事態になりそうだ
せっかくナラティブの面白い特性を理解したのに、応用先にまともなものはないのですか?
そうだな、そもそも”大衆心理操作”という行為そのものが、しょせん社会的に公認されるとも思えない。自分の判断でしていたつもりが、密かに誰かに操られていた、ということがバレたら誰でも怒るだろう。それに、このオペレーションを実行するには高額な費用と知識が必要だ。つまり、大きなリターンが見込める事案、国家レベルのプロパガンダや戦時での心理戦の道具、せいぜい大企業によるマーケティング程度かな。しかし、心理操作をしていたことがユーザーにバレると反発が大きいので、企業としては使いづらいだろう。Amazonなどによる購買履歴をベースにしたレコメンド程度だったら、問題ないだろうがね
そうだ、知らなかったのか。すでに世界中というか主に中国、ロシア、アメリカなどがかなり頻繁に使っているぞ。それでは次回、戦争の道具としてのナラティブの話をしよう。だがその前に面白い話をしよう
■ここまでのポイント
・アルゴリズム(計量心理学の手法)+SNS+ナラティブ ⇒ 大衆心理操作
ナラティブの謎
多少脇道に逸れてしまうのだが、前回ホモ・サピエンスがなぜ屈強なネアンデルタール人を駆逐できたか、という話をしたな
ホモ・サピエンスは大集団で生活をすることでコミュニケーション能力を発達させたから、という話でしたね
多勢に無勢では、いくら屈強なネアンデルタール人でもかなわなかったのかな
とにかく、その話をしていて気がついたことがある。およそ35億年前に生物が生まれたが、5億4000万年ほど前になると急激に多種多様な生物が大量に発生した。その原因の一つが、視覚機能の獲得つまり眼の進化だといわれている。そして眼の進化に伴って、その画像処理機能を担当する脳が進化していき、やがて原人が登場する。で、前回話したがコミュニケーション能力を発達させたホモ・サピエンスが、進化の頂点に立つ。この話で気が付いたことはないかな?
なるほど、とても面白い話です。AIの進化と同じですね。今まで気が付きませんでした
え、どこがですか?バクテリアが35億年かけて人間に進化するのと、せいぜい70年程度のAIの進化とどこが似ているんですか?
サルくん、私が以前講義したAI進化の歴史を覚えてないのですか? ディープラーニングが急速に発達したきっかけは、画像認識コンテストでCNNが圧倒的性能を発揮したからですよ。つまりAIが眼を獲得したのでAIの利用が始まり第3次AIブームが起きたのです。そして自然言語処理の応用である大規模言語モデル・LLMが登場して爆発的にAIが進化し、人間と自然な会話ができ絵を描きプログラミングまで出来る生成AIが生まれました。つまりAIが人間とのコミュニケーション能力を獲得できたので、ここまで一気に進化したともいえるのです
そう、僕も生物の進化の歴史が、人工知能・AIの進化の歴史と類似していると気が付いたのだよ。これが何を意味するかだな
え~、その答えを持っていないのに、ナラティブの話の中で急にしたのですか?それだと完全に脇道ですよ
いいえ、桃井先生は人類とAIの進化の方向性が収れんしつつある理由として、ナラティブが関係していると考えているからですよね
さすが鋭いな。まだ漠然としているのだが、人類というか人間の脳が時系列的に記憶している理由と、言語を時系列処理することでAIと会話できるようになった理由は同じだろう。いや、同じというか、脳の処理過程をモデルにすることで、AIに言語処理をさせることが可能になった、だな。人間と会話できるということは、AIが人間の思考方法と似たロジックを利用できるようになったということだ。ということは、ナラティブというか「物語る」という行為には人間の思索の秘密が潜んでいるはずだ。すなわち物語の謎を解き明かすことができれば、逆に脳の記憶や思考ロジックの仕組みが判明するかもしれない
ちょっと話が飛躍しすぎてわかりません。古代の人が物語で伝えたかったはずの”情報”は、伝承するたびに変化してしまい、どんどん不正確になっているはずですよ。もし人間の思考方法まで物語と同じなら、判断を間違えてしまいます
確かに物語には、まちがえやすさ、という性質がある。文字がない時代から多くの語り部によって繰り返された口承で、昔話や説話が少しずつ変異していくのは自然なことだろう。しかし語り部によって教訓や新しい解釈が付加され、物語が次第に変異することで、物語そのものに新しい意味が生成されることは悪いことではない。情報は少しずつ変異していく。遺伝子の複製ミスと自然選択によって生物が進化のメカニズムを獲得したように、物語は伝承していくことで、その時代に適応した意味を獲得していくのだよ
非常に面白い考え方ですが、物語を遺伝子に例える比喩に根拠はあるのでしょうか
生物の適応進化は主に自然選択によるものだが、長い年月を生き抜いた物語には変わりゆく時代に適応した意味があるからこそ伝承されてきたはずだ。つまり物語には意味の変容に耐えて生き残る”適応進化のメカニズム”があると僕は考えているのだ
■ここまでのポイント
・考察:人類とAIの進化の方向性は「収れん」しつつある
・人類もAIもコミュニケーション能力を獲得したことが飛躍的な進化の原動力である
・物語には意味の変容に耐えて生き残る”適応進化のメカニズム”がある
【第4回へ続く】
(TEXT:谷田部卓 編集:藤冨啓之)