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ナラティブが世界を廻す(2)–ナラティブが持つ機能とは

SNSの普及によるソーシャルビッグデータの確立と不安定な社会情勢に伴い、「ナラティブ(物語)」の重要性が注目されている。人間の脳は、様々な事象を時系列に並べるナラティブ形式にすることで、記憶に残りやすいことが判明している。また物語は他人との共感を促す機能も持っている。さらにインターネットの普及によってSNSも強大なパワーを持つようになってきており、アルゴリズムやAIなどのテクノロジーの進化によって、ナラティブとSNSは大衆心理を操り戦争の道具にまで利用されるようになってきた。第2回では、ナラティブの持つ機能について解説する。


         

登場人物

大学講師の知久卓泉(ちくたくみ)
眼鏡っ娘キャラでプライバシーは一切明かさない。

桃井太郎(ももいたろう)
令和大学ハイテクラボの准教授。人工知能から心理学、社会学などあらゆる分野に詳しい学者。

サルくん
軽薄で口が達者だが怜悧な頭脳を持つ大学院生。

 

ナラティブの機能

■前回までのポイント

・ナラティブとは「物語性」や「ストーリー」などの幅広い意味を持ち、そのパワーの源は、「計量心理学」にある
・ナラティブが作用した代表例は、米国大統領選や英国のEU離脱に大きな影響を及ぼした「ケンブリッジ・アナリティカ事件」である
・CA社はSNSにある大量の個人情報と計量心理学を用いることで、大衆心理を操作し国際政治に大きな影響を与えた

 桃井教授

それではナラティブの講座2回目をしよう。といっても、前回は計量心理学の話しかしなかったが

 サルくん

そうですよ。計量心理学そのものは興味深い話なのですが、それとナラティブの関係はまったくわかりませんでした

 桃井教授

まぁ、まだ説明してないからな。ただ、まず計量心理学を説明した理由は、古典的な心理学と違って人の行動に影響を与えるテクノロジーが登場したことを教えたかったからだ。
誤解してもらいたくないのは、計量心理学はあくまで人の行動特性を精度よく分類するだけだということだ。
特定の性格特性や行動特性を持つ人を効率よく大量に見つけることができても、その大勢の人の行動をどうすれば動かせるかは、また別の話になる

 チクタク先生

CA社事件の場合は、キャンペーンで推すとかネガティブ広告をするとかのような手法でしたね

 サルくん

でもそれだけでは、その人の考えを”後押し”するだけですよ。行動を変えることまでできますかね

 桃井教授

トランプとヒラリーの場合は僅差だったので、あと一押しするだけでもよかったのだろう。確かに人の行動を変えられるかというと、効果としては弱いのかもしれない。
そこでナラティブの持つ”機能”が再注目されてきたのだ
そのナラティブの持つ機能だが、著名な解剖学者の養老孟司博士が、ナラティブについて的確な説明をしている。それは”過去に起こった非常に長い時間の出来事を、どうやって凝縮して伝えるかだが、物語以外の形式を人間は持っていない”だ

 サルくん

え?歴史書は年代別に出来事を書いていますよ

 桃井教授

では聞くが、秀吉の全国統一は何年だね?

 サルくん

ボクは日本史を選択していないので知りません

 チクタク先生

”天下統一いちごくれ”ですから1590年ですね

 桃井教授

チクタクさんは例外だが、大半の人は年代のような数字と出来事を組み合わせて覚えることは、サルくんのように苦手だ。しかし織田信長にサルと呼ばれていた木下藤吉郎が、やがて天下統一して豊臣秀吉となった物語なら、大半の人は知っているだろう

 チクタク先生

桃井先生、藤吉郎のあだ名はサルではなく”はげねずみ”です。信長の手紙が残っていますよ

 桃井教授

そうなのか。まぁそんな話ではなく、人間が文字を発明する前は、過去にあった多くの出来事を伝える方法として、話して聞かせる”口承”しかなかったのだよ。人類の歴史では文字が登場する前の方がはるかに長い。古代の”語り部”たちがどんな口承をしていたかは知る由もない。
しかし長い期間の間に幾度となく繰り返されてきた”物語る”という行為によって、”リピート可能な物語様式” 言わばナラティブ・フォーマットというものができたはずだ。やがて文字が登場することにより、歴史を遡れるようになったのだが、世界中には数千年昔から連綿と伝わってきた神話や民話、伝説がたくさんあるだろう。イリアスやオデュッセイア、聖書、淮南子、古事記などなどある

 サルくん

ちょっと待ってください。文字がない大昔に、なぜ世界中で同じようなフォーマットのナラティブが生まれたのですか?大昔ならアフリカ大陸とユーラシア大陸の間はとてつもなく遠い距離なので、コミュニケーションなどできるはずもなく、ナラティブ・フォーマットが世界各地に広まることなどできませんよ

 桃井教授

疑問としては分かるが、仮説はあっても証明は今のところできない。
200万年ほど前に原人が出現したが、化石証拠でしか説明できないために、そのころの生活などは不明だ。しかしDNA人類学が登場したおかげで、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人が、共通祖先から分かれたのがおよそ60万年前だということが分かった。最も古いホモ・サピエンスと認識できる化石が出てくるのが30万年ほど前だな

 サルくん

いや人類学の話ではなく、質問はナラティブのフォーマットですよ

 桃井教授

分かっている、もう少し待ちなさい。
現在はホモ・サピエンスしか生き残っていないが、ネアンデルタール人の方が体格や筋力に勝り、道具や火の扱いもできた。つまりホモ・サピエンスより知性と体力が優れていたにも関わらず、なぜネアンデルタール人は絶滅してしまったのかが議論となっている。
ここで有力な仮説があるのだが、ネアンデルタール人は体格や体力があるため少人数でも大型獣を狩ることができ、十数人程度の小集団で生活をしていた。ホモ・サピエンスはそれほど体力がないため、数十人から数百人の大人数での共同生活をして狩りなどをしていたようだ

 サルくん

へぇ、フィジカルが優れている方が滅びるなんてちょっと意外ですね。その原因も教授の説明からなんとなく想像できます

 桃井教授

お察しの通り、ホモ・サピエンスの集団ではコミュニケーション能力が発達し、新しい道具の発明があると集団内で情報共有ができ、伝承も可能になった。
一方、逆にネアンデルタール人は、個々の能力は高いが道具の進化があっても伝承されず、大集団のホモ・サピエンスと戦っても勝ち目はなかったので絶滅した、というのが現在有力視されている仮説だ。
つまりホモ・サピエンスは、世界各地で生き残りをかけてコミュニケーション能力を発達させてきたのだよ

 サルくん

ご先祖様の生存戦略についても興味はそそられますけど、それがナラティブとなんの関係があるんです?

 桃井教授

ここからは僕個人の見解だが、この30万年の間に人類の脳に最も適合した記憶方法、伝承方法として、ナラティブ・フォーマットができたのではないのかと考えている。知識共有できた集団しか生き残らなかったので、世界各地に点在していた人類でも類似の現象が起きたのではないかな。
つまりナラティブに機能があるのではなく、人類の脳の特性に合わせた結果、ナラティブという様式が誕生したのだよ。
厳しい生存競争の中では選択圧がかかり、必然的にこの様式に落ち着くので、相互に無関係の集団でも同様のフォーマットになる、という考え方だ。証拠はなくただの僕の推測にすぎないのだが

 サルくん

ということは、コミュニケーション能力の高いボクのようなホモ・サピエンスが、進化の頂点にいるわけだ

 桃井教授

サルくんは、たんにおしゃべりなだけにすぎん!

■ここまでのポイント

・ナラティブの機能は、過去に起こった長期間の出来事を物語として凝縮して伝えること
・人間は過去の出来事を伝える方法として「リピート可能な物語様式」であるナラティブ・フォーマット以外の方法を知らない
・世界中の神話や民話なども「物語る」ナラティブ・フォーマットに準じている

神話や創作物にも通じる「ナラティブ・フォーマット」

 チクタク先生

では、その” ナラティブ・フォーマット”とはどんなものですか?

 桃井教授

物語は、ストーリー、シーン、キャラクター、ナレーター、ワールドモデルの5つの構成要素があれば成立する。神話から小説まで、このフォーマットを踏襲しているはずだ。人間は脳の特性上物語が好きなので、長い話でも記憶に残りやすい。だから大昔から語り継がれてきたのだよ

 サルくん

それなら学校の教科書は、全部物語にすればいいじゃないですか

 チクタク先生

数学や理科は難しいですが、歴史の教科書を物語の形式にしてくれたら、みんな喜んで読んでくれるのに、と私も以前から思っていました

 桃井教授

確かにな。他に、物語というかナラティブから学んだ道徳観は記憶に残りやすく、個人の人格形成に影響を与えやすいという研究報告がある。日本の民話には”勧善懲悪”や”恩返し”などの話が多いだろう。幼いころ道徳観を盛り込んだ物語に親しんできた人は、道徳観に良い影響があると言われている

 サルくん

確かに”桃太郎”や”ツルの恩返し”なんかはそうだけど、猿蟹合戦の猿は柿の木を育てた恩人の蟹を殺したな

 桃井教授

うるさいな、例外はある。サルは昔から悪役なんだろ。
ではなぜ、ナラティブにはそんな強力な機能があるかだが、これは人間の認知能力に”クセ”があるからだ。いわゆる”認知バイアス”と呼ばれているもので、日々生じる相互に無関係な事象の羅列を、我々は勝手に頭の中で因果関係を結んでしまうことが多い。
Aという事象とBという事象が別々の原因で生じたとしても、Aが生じたからBが起きたのだと、なにも根拠がないのに因果関係があると信じてしまう。このようなことは、みんなも実感としてわかるだろう

 チクタク先生

よく”雨女”とか”晴れ男”などと自称する人がいますね。出かけたイベントで雨だったことしか覚えておらず、晴れたことは忘れる人が自称”雨男、雨女”になるのに

 桃井教授

とにかく人間は、過去の出来事は因果関係で説明できる、と勝手に思っているのでやっかいなのだ。
カルト教団や詐欺師はここに付け込み、不幸があり不安を抱えている人に対して、先祖の祟りがあるとか、霊に取り憑かれているとか事実無根の物語を吹込んで、”壺”を売り込むのだ。君たちも気をつけなさい

 サルくん

ボクは現実主義なので大丈夫です。アパートを探すときなんかは、格安の”事故物件”から探しますよ。心霊現象があった方がボクのYouTubeがバズるし

 桃井教授

で、ナラティブが再注目されたきっかけだが、ノーベル経済学賞を受賞したロバート・J・シラー教授の「ナラティブ経済学」がある。このイエール大学教授の著書は、様々なナラティブがどのように流行して大規模経済にどれほど影響を与えたか、という内容だ

 サルくん

へ~、ナラティブは経済まで動かしているんですか。どうやってですか?

 桃井教授

シラー教授によると、我々は”思考ウイルス”としてのナラティブに感染したり、他人に感染させながら消費行動や投資判断などの経済活動をしている。
だから大きな経済現象が起きた理由を知りたければ、経済を動かすナラティブの群れを分析する必要がある、と言っている。
詳しい内容を知りたければ、日本でもこの本を売っているので自分で読みたまえ。もっとも、非合理的な人間行動をベースとした行動経済学の素養が無いと理解が難しいかもしれないが、ユニークで面白い仮説だ

 チクタク先生

私はこの本を読んでいませんが、人は合理的判断をする、という大前提で構築されている古典的経済学は、昔から役に立たない学問だと感じていました。ですから行動経済学を基本として、さらに発展させている本なので、とても面白そうですね

 サルくん

経済学はさておき、肝心のナラティブの話は以上ですか?

 桃井教授

いや、まだまだ続きがあるのだが、長くなったので次回にしよう

■ここまでのポイント

・ナラティブ・フォーマットは、ストーリーやキャラクターなど5つの構成要素から成立する
・ナラティブは「認知バイアス」に影響を与え、人格形成や道徳観にも影響を与える機能を有する
・ナラティブは「思考ウィルス」として大衆の消費行動、投資判断の刺激になるため、その応用として「ナラティブ経済学」が存在する

【第3回へ続く】

著者:谷田部卓
AIセミナー講師、著述業、CGイラストレーターなど、主な著書に、MdN社「アフターコロナのITソリューション」「これからのAIビジネス」、日経メディカル「医療AI概論」他、美術展の入賞実績もある。

(TEXT:谷田部卓 編集:藤冨啓之)

 

参照元

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