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ナラティブが世界を廻す(4)–戦争の道具としてのナラティブ

SNSの普及によるソーシャルビッグデータの確立と不安定な社会情勢に伴い、「ナラティブ(物語)」の重要性が注目されている。人間の脳は、様々な事象を時系列に並べるナラティブ形式にすることで、長期記憶に残りやすいことが判明している。SNSの世界的普及とAIなどのテクノロジーの進化に伴い、ナラティブとSNSは大衆心理を操る戦争の道具にまで進化しつつある。第4回では、戦争の道具としてナラティブが使われている状況と、認知戦と呼ばれている新しい戦場の概要を解説する。


         

登場人物

大学講師の知久卓泉(ちくたくみ)
眼鏡っ娘キャラでプライバシーは一切明かさない。

桃井太郎(ももいたろう)
令和大学ハイテクラボの准教授。人工知能から心理学、社会学などあらゆる分野に詳しい学者。

サルくん
軽薄で口が達者だが怜悧な頭脳を持つ大学院生。

■前回までのポイント

・ナラティブとは「物語性」や「ストーリー」などの幅広い意味を持ち、そのパワーの源は「計量心理学」にある
・計量心理学とは、あらゆる人の行動特性を精度よく分類できる手法である
・SNSにある大量の個人情報と計量心理学を用いることで、大衆心理を操作し国際政治に大きな影響を与えることまで可能となっている

第6の戦場「認知空間」

 桃井教授

今回の”ナラティブが世界を廻す第1回”で話した”CA( ケンブリッジ・アナリティカ)事件”をきっかけとして、アメリカ、EU、中国、ロシア、イスラエル等の軍事大国が、軍事目的で脳研究プロジェクトを始めている

 サルくん

敵国の政治体制を転覆できるテクノロジーなんで、当然そうするでしょうね

 チクタク先生

それにしてもホモ・サピエンスは、新しい道具を見つけるとすぐに武器として使う生物なのですね。同種のネアンデルタール人を根絶やしにするくらいに

 桃井教授

まぁ生物は、自分のDNAを最優先に残すことが運命付けられているからな。とにかく各国とも、従来からある陸・海・空・宇宙の物理空間とサイバー空間に加え、認知(Cognitive)空間が新たな戦場になっていると位置付けている。
日本政府も、2022年12月に国家安全保障会議の閣議決定として、”国家防衛戦略”及び” 防衛力整備計画”を発表しているが、その中の具体的な取組として、”認知領域を含む情報戦等への対応の強化”に言及している(註1)

 サルくん

認知空間とはなんですか?

 桃井教授

人間の思考や行動を司る脳内の認知領域“といった認識で構わない。この認知領域を、外部から制御や操作をしようとしているので新たな戦場となり、認知戦となっているのだ

 チクタク先生

サイバー空間での情報戦との違いが不明確ですね

 桃井教授

両者の違いは、次のようになるな

■情報戦(Information Warfare)

盗聴・改ざん・遮断・不正情報など情報そのものを操作することで、人や組織の判断を誤らせるもの。

■認知戦(Cognitive Warfare)

人間の認知・精神をターゲットに制御・操作することで、人の思考や判断に影響を与えて永続的な軍事・政策面の勝利を得ようとするもの。

 桃井教授

要するに、ターゲットが情報か認知なのかの違いだ。情報戦に関しては、チクタクさんの分野だから、ここでは触れないでおこう

 チクタク先生

サイバー空間での情報戦に関しては、情報収集する行為そのものが危険なアンタッチャブル領域なので、私も詳しくは分かりません

 サルくん

へ~面白そうな世界ですけどね

■ここまでのポイント

・認知空間とは「人間の思考や行動を司る脳内の認知領域」という意味である
・CA事件をきっかけとして大国が軍事目的で脳研究プロジェクトを開始している
・サイバー空間との違いはターゲットの違いで、認知空間は「認知」、サイバー空間は「情報」にある

認知戦の概要

 桃井教授

とにかく、ここでは認知戦に関してだけ、概略を説明しよう。先ほどのCA事件は、2018年に内部告発者クリストファー・ワイリー(Christopher Wylie)が米英のマスコミに事件の真相を暴露したので世界的スキャンダルとなった。
CA社はその時点でロシア勢力によって買収されている。そのCA社の初期メンバーであるワイリーが書いた“Mindf*ck: Inside Cambridge Analytica’s Plot to Break the World”に、その心理操作手法が書かれてある。ここではそこで公開されている情報を元に説明をしよう

※図版:筆者作成

 桃井教授

認知戦を行う場合には、長期間の準備が必要だ。実は、この準備つまり足場作りが最も重要で、これさえできれば認知戦が可能となる。以下にポイントだけまとめてある

■利用する理論や状況など

・認知バイアス:人間の脳には認知バイアスがある。人は自分の経験や知識を基にした世界観を通して現実を見ている。(例)親露派ならプーチンの言葉を、親米ならゼレンスキーの言葉を信じやすい
・社会的ネットワーク効果:社会的ネットワークの中心近くにいるハブ(ノード)相当の人は、そのネットワークに所属する人々の99%に影響を与える。(註2)
・民主主義の脆弱性:言論の自由が保障されている欧米などの民主主義国家ほど、偽情報が拡散しやすい。
・国民の(怒りの)感情で政治は動く。

■足場の構築

・コアグループ(ノード)の形成:FBデータと計量心理学を利用して、心理的脆弱性(神経症的傾向)のある人々を選び、コアグループを形成しておく
・心理的下地を作る:(例)「プーチンは伝統的で保守的な価値観を持つ力強いリーダーだ」という情報を、継続的に繰り返し発信することで、米国の保守層にその印象を付けておく。⇒2014年のロシアのクリミア併合に米国が反対しないような心理操作

■認知戦開始

ノードにナラティブを注入
⇒コアグループを中心にSNSで拡散 ⇒既存メディアが話題として取り上げる
⇒政治家が食いつく ⇒公の場で議論が始まる ⇒一般市民にまで広く拡散

 桃井教授

ここの”認知バイアス”は、ナラティブ講座の第2回でも説明したが、大部分の人は客観的に事実を見ることができず、自分の世界観を通して現実を認識しているということだ。
また、“社会的ネットワーク効果”とは、社会には周りの人たちに強い影響を与えることができる人が一定数いる。この社会的ネットワークの中心近く(ノード)にいる人にナラティブを感染させれば、非常に効率よくネットワーク構成員にナラティブを感染させることができるということだ

 チクタク先生

ビジネスでよく使う、インフルエンサー・マーケティングの原理ですね

 サルくん

ナラティブは、インフルエンザのように感染するんだ。そうか、だから宣伝を拡散させる人をインフルエンサーって言うのか

 チクタク先生

インフルエンザもインフルエンサーも、語源は同じラテン語の”influential”ですからね

 桃井教授

次に、言論の自由が保障されていることが民主主義の弱点だという話だが、認知戦はこの弱点を巧みに突いている。逆に言えば、言論を徹底的に管理している中国やロシアのような独裁国家だと、認知戦には強いということだな

 サルくん

そりゃそうですよね。くまのプーさんが習近平に似ているという理由だけで、中国ではくまのプーさんの映画やぬいぐるみを禁止にするだけでなく、SNSで”くまのプーさん”と書けないほど徹底管理できていますからね

 桃井教授

次の、”国民の怒りで政治は動く“というのも、主に民主主義国家の話だな。認知戦においては、ターゲットとなる国の大半の国民を怒らせるような偽情報やナラティブを全国民に拡散させることができれば、その政府を転覆させることまで可能となる。”怒りの感情“は認知戦において非常に有効な手段だ

 チクタク先生

民主国家なら政治家は有権者が選ぶので、無能な政府を交代させるのは当然の行為ですからそうなりますね。でも偽情報からそんなことが起きたら大事件ですよ

 桃井教授

しかしイギリスでブレグジットは、起きてしまった。これはCA社が、EUへの拠出金の金額を何倍にもした偽情報を拡散させたり、安い賃金で働く移民への反感を煽る言説を大量に流すことで、多くの国民感情を動かしたからだ

 サルくん

CA社がブレグジットに誘導した目的は?

 桃井教授

単純に金銭的利益のためだな。EU離脱を支持する人種差別的反移民を掲げる組織” Leave EU“から依頼があったからだ

 チクタク先生

ブレグジットの件を先ほどの心理操作手法のポイントに当てはめて説明してもらいたいですね

 桃井教授

“足場の構築”だ。認知戦にはこの作業が重要となる。
先ほど説明した社会的ネットワーク効果を利用するためには、感染させるナラティブに感染しやすく、かつ何らかの社会的ネットワークのハブにいるインフルエンサーを見つける必要がある。そのテクノロジーは、この講座の初回で説明した計量心理学だ。
FBなどのSNSから入手した個人プロファイリングは、アメリカ人の成人ならほぼ全部データがあると言われている。これを分析すれば、怒りや不安のナラティブに集団感染しやすい神経症的傾向や被害者意識が強い人で、SNSで発信力のある人々を探すことができるというわけだ

 サルくん

ターゲットを明確化するのは難しくなさそうですね

 桃井教授

そうだな。そして、この神経症的な人たちは、不安を煽るナラティブに接すると、ストレスを感じて強い反応、不安定で衝動的で妄想的な言説をSNSで発信しやすくなる。この被害者意識は伝染しやすいので、認知戦の発火点として利用できるのだ

 チクタク先生

確かに新型コロナのパンデミックの最中、ワクチン反対派の言い分の大半は、根拠のない意味不明の言説を振りかざしていました。あれは偽情報で不安神経症の人たちをさんざん煽って、YouTubeのアクセス数や怪しげな薬を売りつけて儲けようとした金銭目的の輩が大勢いたからでしたね

 サルくん

そうなんだ。知らなかった・・・

 桃井教授

この発火点(ノード)となる人は、大量に用意する必要はなく少数でも問題ないそうだ。ノードとそのグループ(コアグループ)を用意できれば、感染させるナラティブを用意して認知戦の足場構築は準備完了だ。
目的によっては、心理的下地を長期間に渡って作る必要もある。そして本番は、この図にあるように少数の”ノード”に目的となるナラティブを感染させるだけだ。既存のメディアが取り上げるような内容でないと失敗に終わるがな。
後はほぼ自動的に一般市民にまでナラティブが流布されていくはずだ。実際には何回も繰り返すことで、偽情報でも信用する人が増えていく

 サルくん

本当ですか?そんなに簡単にみんな信じてしまうのかな~

 チクタク先生

ワクチン反対派やマスク反対派は一定数日本にもいたので、意外に簡単に偽情報のナラティブでも感染することが実証されましたね。
当時、私が体験したことですが、ワクチン接種は危険だとFBで騒いでいる経営者がいたので、その根拠を聞いたところNewsweekの英語の記事を提示してきました。しかしその記事をよく読むと、ワクチン反対派の存在の社会的危険性を書いたもので、その経営者の意見と真逆の内容だったのです。
つまり自分では記事を読まずに、他人からの受け売りだけで騒いでいたようです。まともな経営者だと思っていたのですが

 桃井教授

現代社会には不安神経症の人が大勢いるし、既存メディアよりSNSを毎日見ている人の方が多く、そのフィルターバブル効果によって、非常に感染しやすくなっている状況だ。ただのデマでさえ容易に感染するから、周到に計画された認知戦の効果は計り知れないはずだ。だから認知戦が主戦場になりつつあるのだよ

 サルくん

え~!じゃあ、民主国家の日本はどうしたらいいのですか?ロシアや中国みたいに言論の自由をはく奪するんですか?

 桃井教授

この認知戦に対抗することは、とても難しい。というか言論の自由を侵さずに対抗できる手段が、存在するかどうかも不明だ。それにもし対抗手段があったとしても極秘だ。
サイバーセキュリティにおいても、攻撃手法を発見したらすぐに公開して対抗手段を講じるが、防御手段は対抗措置を取られないように非公開にするのが常識だ。だから認知戦の対抗手段を公開するバカな国などあるわけがない。
ちょうど時間となった。次回までに僕も探ってみよう。もっとも、次回がいつになるかはセキュリティに詳しいチクタクさんの協力次第だが

 チクタク先生

ちょっと、桃井先生。私に丸投げしないでくださいね

■ここまでのポイント

・心理操作手法を「利用する理論や状況」、「足場の構築」、「認知戦開始」の要素から読み解く
・計量心理学を用いて「ノード(発火点)」と「コアグループ」を設け、ナラティブを流し込むことで「認知戦」が始まる
・民主主義国にとって言論の自由を侵さずに認知戦に対抗するのは現時点では極めて難しい課題である

著者・図版:谷田部卓
AIセミナー講師、著述業、CGイラストレーターなど、主な著書に、MdN社「アフターコロナのITソリューション」「これからのAIビジネス」、日経メディカル「医療AI概論」他、美術展の入賞実績もある。

 

参照元

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