前回の記事では、Z世代のビジネスパーソンが「学びたい」のに、「学ばない」、「学べない」理由について概観しました。そこには、企業と個人の間に「共犯関係」が存在し、企業主導のトレーニングにキャッチアップするのが精一杯な個人が見え隠れしていました。ただ、現状のままだと、リスキリングが想定するDXと不可分のビジネスモデルに対応できる人材を生み出すことは困難、という問題意識を提示していました。
そこで、第2回、第3回では、従来と異なる「学び」を企業主導でどのように個人に提供できるのかについて見ていきたいと思います。今回は、企業が充実した学びを提供できない理由にさらに踏み込み、誰もが知っているアンデルセン童話「裸の王様」を切り口にその本質的な原因を検証してみたいと思います。
アンデルセンが「裸の王様」を発表したのは1837年のことなので、今から200年近く前になります。多くの人がこのお話のあらすじはご存じかと思いますが、改めて簡単に説明しておきましょう。
ある国に新しい服が大好きなおしゃれな皇帝がいました。そこに、2人の仕立て屋がやってきて、不思議な布地で新しい衣装を作れると言います。彼らによると、その布地は「ばか者には見えない布地」とのことです。
皇帝は喜んで2人の仕立て屋に衣装を作るように命じます。2人は早速、作業場に入り「ばか者には見えない布地」で織り始めますが、そばにいる大臣にも、他の家来たちにもそれが全く見えません。しかし、誰もが「布地は見事でございます」と褒めるばかり。
ついに皇帝がじきじきに作業場に行きますが、困ったことに皇帝にもその布地は見えません。しかし、家来にも見えた布地が見えないとは言えず、新しい衣装を着てパレードに出かけ、大通りを行進します。
誰もが自分が「ばか者」とは思われたくないため、歓呼する中、沿道にいた1人の子どもが叫びます。「何にも着ていないよ!」。
社会心理学者であるF・H・オルポートらは、この「裸の王様」に登場する人たちが誰も「王様は裸だ」と言い出せない心理状態を「多元的無知」と呼びます。
多元的無知とは、「集団の多くの成員が、自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず、他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状態」のことです。「裸の王様」で言えば、「家来も群衆も、自分は『ばか者には見えない布地』を受け入れていないにもかかわらず、他の人たちは『ばか者には見えない布地』が見えていると信じている状態」ということです。
多元的無知を引き起こすのは「誤推測」と言われており、それぞれが他者の予期を誤って予期してしまい、それが次々と重なることで、誰もが望んでいない方向へと組織や集団が動いていくことになることが指摘されています。
例えば、私たちは一般的に日本人は「集団主義的」「協調主義的」だと信じています。しかし、もしかしたら本当は誰もが独立的に考え、決定したいと思っているかもしれません。結果的に組織が「集団主義」へとおさまるのは、「多元的無知」のせいなのかもしれないのです。つまり、誰もが「自分勝手な行動をすると周りの人に嫌われる」と予測するために、強調主義的な振る舞いが「暗黙の了解」となっている、というわけです。
Zoomでのオンラインミーティングにおいて雑談が難しいのも、多元的無知のせいといえるかもしれません。参加者がみんな「自分が話すと他の人の発言の機会を奪ってしまうかもしれない」と予測し、それが連鎖するとき、結果的に生まれるのは「沈黙」です。
また、問題になっている男性の育休取得率が相変わらず低いのも多元的無知の影響が大きいといわれています。2022年に厚生労働省が発表したデータによると、女性の育休取得率85・1%に対して、男性の育休取得率は13.97%でした。個人的には家庭や子育てを大事にする人が多いにも関わらず、育休を取れない理由に関して、多くの既婚男性が「自分は育休を取るべきだと思っているが、周囲は否定な人が多いはず」と考えていることが分かりました。
多元的無知の連鎖が見られる組織は、別の言葉で言い換えると「空気」によって支配されているともいえるかもしれません。
今では「空気」という言葉は、一般的に使われますが、そのきっかけになったのは1977年に出版された山本七平著『「空気」の研究』といわれています。
その中で山本氏は組織には論理的意思決定と空気的意思決定の二つがあり、後者は「非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』である」としています。そして、危機的な状況にある組織では「空気」はより抑圧的になるといいます。それは危機的な状況では誰もが決定の責任を回避することを望み、結果的に山本氏がいう「状況倫理」に振り回され、そちらを優先してしまうのです。
これを「多元的無知」で捉え直せば、各自は危機的状況を脱するためのアイディアを持っているにもかかわらず、「そんなアイディアによって状況を変化させようとは誰も思っていないはず」と予期することで(多元的無知)、結果的に成り行き任せになってしまうということです。
現在、多くの企業が直面しているDXとそれに伴うリスキリングの実施は、まさに変化することが求められる緊急事態といえるでしょう。だからこそ、空気的意思決定が先行し、だれもが状況倫理に流されてしまうのです。
パーソル総合研究所主席主任研究員の小林祐児氏によると、「『変化抑制意識』には多元的無知を引き起こし、連鎖的に波及させる可能性がある」といいます。ここでいう「変化抑制意識」とは、「変化コスト予測」とも言い換えられますが、より具体的には「自分が変化を起こすことが、組織として負荷=コストになると予測すること」です。
※『リスキリングは経営課題ー日本企業の「学びとキャリア」考』(小林祐児・光文社新書p135)をもとにデータの時間で作成
そして、小林氏によると、さらにやっかいなことに、これまで日本社会の良さであり、強みとされてきた「チームワーク」や「助け合い」の文化こそが、変化を抑制しているというのです。
つまり、日本の製造業をはじめとして、ソフトウェアの開発、外食産業におけるサービス体制に至るまで、関わるメンバーは自らの担当や専門だけでなく、手が空いたら他のメンバーの仕事を進んで引き受けて、フォローすることが「良い」とされています。もし、「自分の仕事は終わりましたからお先に失礼します!」なんて言おうものなら、チームからつまはじきにされてしまうでしょう。
小林氏は次のように言います。
「日本企業の横のつながりーメンバー間の職務横断的な協働関係を支えてきた『助け合い文化』や『業務の相互依存性』ーが『個の新しいアイディア』や『変化を生む意思』を削いでしまう『変化抑制意識』を高めている」
今回は「裸の王様」を切り口にして、多元的無知と企業を支配する「空気」について検証し、それがどのように変化を抑制し、企業のリスキリングを阻んでいるかを説明しました。
次なる問題は「どうすれば『空気』に風穴を開けられるのか」ということになるでしょう。それは「空気を読まない」個人の力に頼る以上のことを意味しています。リスキリングの仕組み化が必要なのです。次回はいよいよ本丸に迫ります。(次回に続く)
書き手:河合良成氏
2008年より中国に渡航、10年にわたり大学などで教鞭を取り、中国文化や市況への造詣が深い。その後、アフリカのガーナに1年半滞在し、地元の言語トゥイ語をマスターすべく奮闘。現在は福岡在住、主に翻訳者、ライターとして活動中。
(TEXT:河合良成 編集:藤冨啓之)
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