合田氏が掲げる「セレンディピティ工学」は、イノベーションの源泉となる「偶然の発見」を再現可能な技術として設計し、科学技術やビジネスなどの分野で活用することを目指すものだ。合田研究室では、細菌学の父ルイ・パスツールの言葉「Chance favors the prepared mind(偶然は心の準備ができている者を好む)」を掲げ、偶然を単なる幸運に終わらせず、計画的な準備と仕組みづくりによって価値創出につなげる取り組みを進めている。
歴史を振り返ると、アレクサンダー・フレミングによるペニシリンの発見、パーシー・スペンサーのマイクロ波による食品加熱(電子レンジの原理)、田中耕一氏の高分子質量分析法など、「偶然の発見」が社会を大きく変える発明につながった事例は多い。

「イノベーションの半分は、インクリメンタル(Incremental:段階的・漸進的)ではなく、偶発的な発見、つまりセレンディピティによるものです。しかし、現在、世界的なファンディングによる支援は、前者型の研究に偏っており、後者型の研究を社会的に支援し、社会的な価値へと引き上げていくための枠組みがありません」
こうした現状を変えるべく、合田氏はさまざまな活動を展開してきた。2014年10月には、内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の一環として「セレンディピティの計画的創出」が採択され、プログラムマネジャーに就任。2019年3月までの約4年半で、人工知能を実装した細胞検索エンジンを開発。それを社会実装するため、ベンチャー企業の設立に至った。
さらに、2018年には生命科学・医学分野のセレンディピティを可能にする技術開発および応用展開を目指す学術コンソーシアム「Serendipity Lab」(セレンディピティラボ)を設立。世界各地の研究者160人以上が参画し、国際共著論文を92編公表。そのうち35編がトップ10%評価を受けるなどの成果を上げた。このことから2023年には公益財団法人日本デザイン振興会の「グッドデザイン賞」、2025年には文部科学大臣表彰科学技術賞及び応用物理学会ダイバーシティ&インクルージョン賞を受賞している。
セレンディピティを生み出しやすい構造には、適度な多様性、フラットな人間関係、異なる分野の横のつながりが必要だという。合田研究室では、研究室に分野ごとの研究室を設け、「セレンディピティを生み出しやすい構造」を構築している。外国籍メンバーも多く、ダイバーシティに富む環境も特徴である。
「同じ研究室内に複数の分野の研究室を配することで、異分野のつながりが生まれ、縦割りによるサイロ化も防げます。また、意思決定の階層は私以外にはチームリーダー、チームメンバーの3階層のみとして、フラットなネットワーク型人間関係のもとでアイデアやイノベーションを見逃さないようにしています」
しかし、これまでの科学の発展は、これとは真逆の流れにあった。合田氏は「科学の歴史は、分野の細分化とともに進んできました」と指摘する。
2019年に世界で発表されたサイエンス全体の論文数は約250万本、1日当たり約7,000本にも上る。膨大な論文数は、分野を細分化して教育コストを低減し、労働集約化した成果と捉えることもできるが、一方で人間がサイエンス全体を把握・俯瞰(ふかん)することは困難になった。
「重要なのは、分野の細分化は人間の都合によるものであり、自然は細分化されていないということです。近年、細分化のデメリットが認識されるようになり、特に物質科学、ゲノム科学、神経科学、環境科学、天文学などの先端分野では、異分野融合は必然だとされています」
また、研究の方法も個人型からチーム型に変化している。かつて論文は1人で執筆するものであったが、2012年の1論文当たりの平均共著者数は5.3人であり、2030年には7.5人に達すると予測されている。複数分野の研究者がチームを組んで研究を行うことが一般的になっているのだ。
1901年に創設されたノーベル賞は、各分野3名までと個人型研究を前提としており、異分野融合の研究が評価されにくいなど、時代遅れになりつつある。一方、2012年にグーグル創始者のセルゲイ・ブリンとアン・ウーチツキ夫妻、マーク・ザッカーバーグとプリシラ・チャン夫妻らが創設したブレイクスルー賞は、チームでの受賞が可能であり、賞金も総額300万ドルとノーベル賞を上回る額で、時代の流れに即している。
こうした科学研究の潮流の中で、研究室マネジメントの在り方について合田氏は次のように述べる。
「いわゆるタコつぼ型研究に特徴的なトップダウン型マネジメントから、チーム型研究に効果的なボトムアップ型マネジメントにシフトする必要があります。それがセレンディピティ工学を掲げる私たち研究室の基本姿勢です」
トップダウン型マネジメントには「迅速な意思決定・実行が可能」「組織が一体化する」「リソースを集約化できる」といったメリットがあるが、「指示待ち人間が多くなる」「トップの能力に大きく依存する」「現場メンバーの反発が生まれやすい」といったデメリットも多い。
一方、ボトムアップ型マネジメントには、「斬新なアイデアやイノベーションが誕生する」「現場メンバーの主体性が生まれる」「自己成長につながる」といったメリットがあるが、「意思決定から実行までが遅い」「現場メンバーの能力に大きく左右される」「一貫性がない」といったデメリットもある。そのためマネジメントが介入して、チーム全体の統率と個人の自由度のバランスをとることが必要となる。
合田氏はPI(Principal Investigator=主任研究者)育成の一環として、研究室マネジメントの普及活動も行っている。目指すのは、ボトムアップ型のアプローチのメリットを最大化し、デメリットを最小化することだという。
合田氏は、合田研究室における研究室マネジメントの要諦を次のように語る。
「当研究室には外国人研究者をはじめ多様なバックグラウンドを持つ人材が集まっており、いわゆる日本型の伝統や文化は通用しません。そこで『研究室の憲法』をつくって共有することで、人間関係の問題を招くミスコミュニケーションや責任の所在のあいまいさを未然に防いでいます」
憲法には、まず研究室のビジョンとして目指すアウトプットを明確に示している。それは5つのP、すなわち「Papers」(論文発表)、「Patents」(特許)、「Products」(製品)、「Presentations」(学会発表)、「People」(人材)を量産することである。さらに、研究室内で何が良くて何が悪いのか、全ての構成員に分かるよう明文化している。基本ルール、外部資金・内部資金の取り扱い、研究室体制、会議の種類、論文執筆や知的財産に関する各種ガイドラインなど、ルールやガイドラインを厳密に制定し、半年ごとに議論の上で改正しているという。
このような工夫により、「一貫性がない」というボトムアップ型のデメリットを最小化している。また前項で述べたように、研究室内に分野ごとの研究室を設置し、合田氏を含めて3階層のフラットな研究室体制を構築することで意思決定を迅速化。リクルーティング活動や広報活動に力を注ぎ、優秀な人材を獲得することで研究者のスキルのばらつきを抑えている。
「研究室のボトムアップ型マネジメントがうまく機能することで、PIがいなくてもセルフランニング(自走)できる組織として成長し、研究成果もおのずとついてきます」と合田氏。実際に合田は、これまで合計305本の論文を発表し、その約4割がトップ10%評価を受けている。また、受賞は115件に上る他、28名の大学教員を世界に輩出、4つのベンチャー企業を創出など、成果を上げている。
「合田研究室は自発的にアウトプットを出せる状態になっていますが、短期的な成果を追求しているわけではありません。私が考えているのは『いかにスケールさせる研究室をつくるか』ということです。大学の研究室は、基本的にスケールしません。学生の定員や予算は決まっており、基本的に0から1にする領域を担っています。基礎研究による0から1、応用研究による1から100、イノベーションによる100から1億と、各段階には谷間があります。この谷間をどのように埋めていくかに焦点を当てています」
また論文においては、数量だけでなく「質」を重視している。「論文の質は、どれだけ多くのコミュニティにインパクトを与えるかということです。分野が細分化されていれば、インパクトも小さくなります。複数の分野にまたがった研究活動が、論文の質を高め、成果の最大化につながります」と合田氏は語る。
このように成果を最大化する合田研究室は、日本の科学研究の中では希少な存在である。後編では、科学・技術・イノベーションを取り巻く日本の課題について、さらに掘り下げていく。
(取材・TEXT:JBPRESS+稲垣/下原 PHOTO:渡邉大智 企画・編集:野島光太郎)
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