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2019年11月22日、プリンス パークタワー東京にてウイングアーク1st主催のカンファレンスWAF 2019|WingArc Forum 2019(以下、「WAF 2019」)が開催されました。今回のテーマは「UPDATA!」。データで組織やヒトをアップデートする示唆に富んだセッションや展示が行われました。
メカトロニクスからデジタルへと時代が大きく移り変わっていく中で、「モノからコト」、「所有から利用」へと社会における人々の価値観や行動、そして消費の在り方も大きく変容しています。その中心となるのは言うまでもなく膨大かつ多種多様なデータ。
静的な情報だけでなく、AI が生み出すさまざまな分析・学習結果も含め、これらのデータは誰のものなのでしょうか? データサイエンス研究者やジャーナリスト、そして行政の現場で活躍する3名のプロフェッショナルが登壇し、「現代のデータは誰のものか?」について意見を交わしました。
そもそも情報の所有とは、人類史上いつごろから意識されたのか。コンピューターやネットワークはもちろん電信・電話も十分に普及していなかった時代、人々はどのようにデータを扱い、流通させ、かつ所有していたのでしょうか。
そのヒントが150年前のイギリスにあると切り出したのは、科学ジャーナリストの瀧澤美奈子氏。瀧澤氏は2019年7月に新著「150年前の科学誌『NATURE』には何が書かれていたのか」(ベレ出版・刊)を上梓しました。同書は今年創刊150年を迎えるイギリスの科学雑誌「ネイチャー」の初期の記事を基に、当時の科学や社会との関係などを読み解き、これからの時代のヒントを探ろうという意欲的な著作になっています。
そこでも取り上げている興味深いエピソードの一つが、150年前のイギリスではすでに科学に関する知識を、多くの人々で共有する場が存在していたという事実です。
「今でこそトップクラスの科学者だけが論文を掲載できる『ネイチャー』誌ですが、当時は読者投稿欄があって専門家も一般の人々も自由に投稿できたのです。しかも週刊なのでどんどん新しい議論がそこで交わされる。いわば現代のSNSのような、万人のための意見交換や議論の場が、150年も前にすでに科学専門誌の中に存在していたのが非常に興味深いと感じました」(瀧澤氏)
ある時などは「カッコウの卵は何色か」という議論に、斯界の権威である学者が論文を発表すると、それに対して数多くの読者がそれぞれの観察結果を基に意見を投稿。素人からの攻勢にいささか閉口しながらもその学者が毎回答えていたという逸話からも、当時の自由な空気が感じられる。今回のセッションではこれらの話を取り上げ、あえて現代と比較しても、150年前のイギリスにおいて情報=データはすでに「みんなのもの」として流通していたと言えるのではないかと、まとめられました。
では、ネットワークによって瞬時に情報が地球を駆け巡るDX時代に、データはどのような形で、誰によって、どのように「所有」されているのでしょうか。特許庁 CDO補佐官の西垣氏は「現代は、誰かの所有物というよりも、そのデータが生む価値や、人々にもたらす結果が問われてくる時代ではないか」と示唆しました。
「150年前のイギリスとは比較にならないくらい、現代のSNSを始めネットワーク上にはさまざまなデータが生まれ、存在しています。もしこれらのデータを指して『これは自分のものだ』と言ったとして、どんな意味があるでしょう。人々が注目しているのはデータが生み出す価値であって、データ自体の所有権には、あまり意味がなくなってきているのではないでしょうか」(西垣氏)
例えば大昔、門外不出の特効薬の調合法は、それを「所有」すること自体に大きな価値がありました。ところがネットワークやメディアを通じて大量の情報が流通する現代では、その価値の在り方も大きく変わってきていると西垣氏は指摘します。
一方、横浜市立大学 データサイエンス学部 WiDS Tokyo@YCUアンバサダーの小野陽子氏はデータサイエンス研究者の視点から、データ自身のもたらす価値だけでなく、データそのものの在り方、扱われ方も現在では重要な課題だと指摘します。
「例えば、インターネットにおけるプライバシー保護の考え方である『忘れられる権利』。またデータの透明性や透過性に関連して、自分のデータがどんな形で使われたら、どのような結果になるのかを知る権利も問題になってきます」(小野氏)
また小野氏は、政府関連のオープンデータ利用や、産官学連携の研究プロジェクトにおけるデータの共有などを例に挙げ、現代のデータに対する意識が「みんなで使おう」といった方向に広がっている事実にも触れました。
ディスカッションはさらに、今後のデータ活用について、これまでの「誰が所有する」から、「誰のものにしていくべきか」へと展開していきました。ここでも瀧澤氏が、自著の中から例を紹介。150年前のイギリスでは、個人の自立だけでなく、その結果が社会貢献につながる点を重視する、前世紀の「スコットランド啓蒙主義」を源流とする考え方があったといいます。
「ちょうどこの時期、日本では明治維新が起こり、身分制度がなくなって努力次第で道を開けるようになり、渋沢栄一のような教育・啓蒙に力を注いだ実業家も現れました。東西で期せずして、情報や知識は誰か1人が独占するものではなく、社会の発展のために広めるべきだという気風が興った背景には、お互いのパートナーシップが新しい価値を生む、商業の成長もあったのではないかと思います」(瀧澤氏)
とはいうものの、現代はそうしたデータ共有の明るい側面だけを見ているわけにもいかない。小野氏は最近のキャシュレス決済の急速な広がりを例に、いまだ一般の人々は漠然とした期待と戸惑いの間にあると分析しました。
「キャッシュレス決済をすると、ポイントがもらえるサービスが増えています。ご存知のように、このポイントをうまくたどっていくと、いわゆるカスタマージャーニーを詳細に把握できるわけです。ユーザー側は、そうやって自分の行動を企業に追跡されるのが何となく怖いとか嫌だと言いながら、でもポイントは欲しいので使ってしまう。こうしたデータの収集・利用をモラルなどで縛るのは無理ですし、ある程度何らかの形で規制などを設ける場合、どんな方向に進むべきなのか議論が必要でしょう」(小野氏)
これを受けて西垣氏は行政の立場から、こうしたデータの独占を法律が規制することは難しいと語ります。
「所有形態よりもむしろ、どんなデータを何に使おうとして集めるのか、つまり使い方の側面に合わせて考えていく必要があります。個人情報保護法というのも、個人に関わる情報を含んだデータがどんなことに使われるのか。場合によっては、その情報が属する本人に不利益が及ばないように規制するというものです」(西垣氏)
こうした考え方に基づいて、2018年には経済産業省からデータやAI に対するガイドラインが公表された。
そこでは、データそのものに所有権が発生するわけではなく、データから生み出されたものに特許権などの産業財産権を設定することで守ることや、データ利用に関する契約を結ぶことで不正な利用が行われた場合に契約違反を問うといった形となることがわかるといいます。
データの所有形態が、個人から社会全体の共有へと変わっていく中で、どんなことが起こってくるのでしょうか。小野氏は、膨大なデータを基にしたAIや分析の広がりが、多くの人々によるデータの共有をさらに加速していくと予測しました。
「いわゆるビッグデータ解析では、あちこちから集めたデータを分析に使える形に整えなくてはなりません。これは大変な作業なのですが、私たちの研究室でもいろいろな企業が支援してくださっています。そうした方々の支援を受けて得られた分析結果は誰のものと聞かれれば、やはりみんなのものであり、みんなで活用するものと答えなくてはなりません」(小野氏)
また瀧澤氏は、IT 革命がアメリカで起きた理由は、同国ならではの開拓・独立精神によるものだとの学説を紹介。
「宇野重規先生という政治学者の著書で拝見したのですが、アメリカというのは建国当時から社会のあちこちから、それぞれ得意分野を持った仲間が情報や知見を持ち寄って国をつくってきました。大きな組織や国家に頼らずに力を合わせる伝統を受け継いだのが西海岸のIT 企業だという説は、少子高齢化を深める日本が、DXやイノベーションを目指す上でヒントになるのではと感じました」(瀧澤氏)
これらの発言を受けて西垣氏は、「現在わが国でも盛んに言われている、オープンイノベーションのようなデータ活用の在り方に可能性を感じます」と発言。データ利用というと、最近は個人情報漏えいなどネガティブな話題も多く、法規制を急げといった議論もしばしば。だが西垣氏は、そうした縛りだけを拙速に進めるのではなく、社会の課題を解決する方向でさまざまなトライアルを重ね、最適解を探ることがより良い未来につながるのではないかと見ているようです。
「例えば、東日本大震災の時は、GPS を使って車両が通行したルートをトラッキングして、この道が通行可能だという情報を収集。その道路情報をインターネットで無償提供するサービスを、企業が開発した事例などがありました。そうした『みんなでデータを共有し、世の中に役立てていく』という考え方が、今日の『DX時代のデータは誰のものか?』という問いへの一つの答えになるのではないでしょうか」と、西垣氏は聴衆者に提言して、パネルディスカッションを締めくくりました。
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