同社が取り上げられる際、社長である梶川貴子氏の人柄も相まって、華やかな「本業以外」の事業に目が向けられがちだ。しかし、実際に本社工場を訪れて社員の方々の様子や各々の取り組みを聞くと、本業以外の取り組みの多くが、同社長が掲げる「多脳工」を目指す「人材教育・成長」に深く関わっていると感じられる。今回、梶川氏と数年来の仲であるデータのじかんの主筆の大川が、そんな仮説を持って対談を行った。そのなかで見えてきたこれからを生きる経営者・社員が知るべき「成長と生き方」とは。
大川:前回は株式会社フジタに導入されているデジタル技術をメインにお話を伺いました。1987年頃に素人ながら初めて触れるPC-98で給与計算システムを梶川さんが自前で構築したのには驚きました(笑)。ただ、改めて考えると「FACTORY ART MUSEUM TOYAMA」も「哲学カフェ」も社長自らが率先してチャレンジした後、社員の方々も巻き込んでいるんですよね。それぞれの取り組みに戦略とか狙いとかあったんでしょうか?
FACTORY ART MUSEUM TOYAMA
2017年4月8日にオープンしたメタルアートミュージアムで、株式会社フジタの第二工場と同じ敷地内に設立された。クラウドファンディングサイト「Zenmono」を活用し、当初目標金額の80万円を上回る200万円超の支援を受けてオープン。2階建ての1階フロアでは切削 、溶接、板金などの技術に関わるメタルアートが最大30点展示されている。https://www.fam-t.com/
哲学カフェ
2017年12月から基本的に毎月一回行われている。大学院時代に哲学科を専攻していた現在はエンジニアの知人が哲学カフェを開催していた経緯があったのでミュージアムでの企画として開催してもらった。「お金とはなにか」「人工知能と倫理」「うつ病とはなにか」といった毎回異なるテーマについて、最大15名の参加者が意見を交わす。地元はもちろん、大阪や石川県などから、会社員や自営業者、株式会社フジタの社員など様々な人が参加している。2023年7月で60回目を迎えた。https://my-site-100171-103861.square.site/
梶川氏(以下、敬称略):もちろん、その時々で計画などは作りましたよ。ただ、根っこは「やりたいことをやった」もしくは「やらなけらばならなくなったから頑張った」という感覚なんですよ(笑)。例えば、FACTORY ART MUSEUM TOYAMAも、元々は(株)フジタが営業赤字−6000万円の赤字を3年で黒字転換した際、「次はイノベーションだ!」というざっくりとした考えで、関東にある自社製品開発・事業創造学校の「zenschool(ゼンスクール)」を受講していたのがきっかけなんです。
大川:最初からアートミュージアムを作りたいという希望はあったんですか?
梶川:それが全然(笑)。授業のなかで企画書をなんとか作らないといけなかったので、絞りだしたのが現在のFACTORY ART MUSEUM TOYAMA の原型なんです。ただ、作った当時は本当に形になるとは自分自身思っていませんでした。たまたま、テレビ東京の「ガイアの夜明け」のカメラがzenschoolに密着していて、そのディレクターに「アートミュージアムが面白いんでぜひ作ってください!」って迫られたんですよね。実際に会社にも密着して社員にもインタビューしていました。また、当時は珍しかったクラウドファンディングで資金調達が成功して、日経新聞に掲載されたほか、当時、会社で所有している第二工場の敷地に使っていないスペースがあったりと、外堀と環境が埋まってしまって「やらなければならなくなった」という感じです。
大川:確かに壮大なビジョンがあるわけではないんですね。ただ、今日も22年二紀展に入選した「アルケミスト(錬金獣)」といった作品が展示されているなど非常に展示物も豊富だと感じましたが。
梶川:最初は大変でしたよ。オープンまでの期日は想定の倍かかりましたし、2、3日で来館者は途切れるし(笑)。それに美術館をつくる場合、大体は倉庫にコレクションが山積みになっている状態が普通なわけですよ。対してウチには貯蔵品なんてないしアーティストにもあてはありませんでした。
梶川:ただ、これは持論なんですが人間は本当に困ったら絶対に本気で考える生き物だと思っています。私も当時、めちゃくちゃ必死に考えましたね(笑)。まずは持て余していたミュージアムの2階で、モノづくり仲間がわざわざ神奈川県から来てワークショップを開催しこれが好評になり、製造業以外のコミュニティが広がり「哲学カフェ」の開催にもつながったんです。さらに、経営者を対象にしたプロフィール写真撮影のサービスを始めました。そうこうしているうちに、参加者や人づてなどでアートミュージアムの認知が広がり、色々な方から展示物をご提供いただいているというわけです。
大川:非常に面白いお話ですね。当時の社員の方にはどう映っていたんでしょうか?
梶川:詳しくは聞いたことはないですけど、当初は冷たい目で見られていました(笑)。いろんなことを開催したら「みんなも楽しいでしょ?」と考えていたのですが、全く逆でした。製造業ならではというか「楽しいときも能面のような表情」の人はやっぱり多い。そんな環境も最近は少しずつ変わってきたかな、と感じています。
大川:貴社の取り組みとしては、2013年から会社の戦略会議に社員も参加していることもユニークですよね。施策のスタートからおよそ10年が経ちますが、当初と現在でなにか変わったことはありますか?
梶川:当たり前かもしれませんが、最初に「戦略会議に出席すること!」と周知しても「楽しみです!」という社員はいませんでしたね(笑)。参加者全員にSWOT分析とか目標設定とかさせるわけですから。ただ、数年続けていくうちにしっかりと向き合ってくれる人も現れてくれましたよ。
大川:やはり、「考え方のタイプ」は分かれますか? だいたいの組織だと「会社の押し付け」のように感じてしまう人も一定数いると思います。
梶川:明らかに分かれましたね。自分ごとのように考えてくれる人もいましたし、そうでない人もいました。ただ、個人的には会社や普段の業務はもちろん、自分自身に対しても「働くとはなんぞや」といったレベルまで社員にはしっかりと考えてほしいんですよ。それがウチの基本的な考え方である「とりあえずやってみる」という行動にもつながると信じているので。
大川:やはり「とりあえずやってみる」ですね。様々なデジタル技術の導入やFACTORY ART MUSEUM TOYAMA の件を鑑みても、確かに梶川さんには一貫した行動理念がありますよね。
梶川:私個人はもちろん、会社としても必要不可欠な考え方だと思っています。ウチのように下請けがメインで小規模な町工場に来る仕事の相談は、「一度断ると二度とやってこない」のが基本です。だから、うちは割とアクロバティックな案件も受けますし、たとえ出来ない相談でもできる部分を探して応えるのが大事なんですよ。
大川:なるほど企業文化の形成といった側面もあるんですね。ただ、特に町工場だとそのような考え方に合わない人も少なくないのでは?
梶川:そうですね。ただ、経営者も何か新しいことをやるのであれば肌が合わずに辞めてしまう人が出るのは覚悟しておくべきですよね。実際、ミュージアムを手掛けた後で4人ほど辞められてしまったこともありました。
大川:それは経営的にイタいでしょうね。
梶川:そうですね。1年で4人辞められてしまうとやっぱり雰囲気は暗くなりますよ。「諸悪の根源はミュージアム」という無言の圧力も感じましたし。でもそれでも「とりあえずやってみる」を続けて、何とか色々な取り組みを軌道に載せたからこそ大事なことに気付けました。
大川:大事なこととは?
梶川:「辞めてもらったからこそ次の出会いもある」し、それがある意味、企業文化の新陳代謝になるということです。実際、4人に辞められた後に面接に来てくれた人は、ミュージアムを見て会社を知ったり、応募のきっかけになったりしたんですよ。「やったから」離れる人がいるのと同様、「やっているから」フォロワーになってくれる人もいる。そしてやっているから入ってくれた人たちは、自主的にYouTubeやブログ、メルマガの制作にチャレンジしてくれるなど、会社の雰囲気がガラリと変わるきっかけになってくれました。
大川:これまでの本業以外の情報発信などが増えれば、社員の成長機会も増えそうですね。
梶川:そうですね。メルマガ配信では担当者が毎回掲載している「農業情報」がユーザーの心を掴んで、展示会などで「あなたが農オタスタッフさんですか?」「いつも楽しみにしています」と言われたこともあったようです。彼女、ひいては会社の「ファン」をつくれて実際に出会えたのは大きな気付きにつながると思います。
大川:これまでお話を伺ったなかで、生産性とか業務効率化といったよく聞く社員を教育する際に聞かれる「経営者のメリット」があまり出てきていないのが印象的ですね。個人的にこの姿勢に梶川さんの行動や社員教育の根幹があるのではないかと感じています。
梶川:もちろん、私も業務改善活動などは行っていますよ。でも確かに大川さんがおっしゃる通り、あまり数字などを前面に出した教育は考えていないですね。「自立と自律」がテーマというか、極論、「何があっても自分で食べていけるようになってほしい」と思っています。
大川:まさに不確実性が高まった時代を生き抜くための人材ですよね。エピソードの端々からもそんな感覚を強く感じます。そのような考え方の根幹は、入社したときに居場所探しから始めたことや町工場の社長を継いだこととか、やはりご自身の経歴も関わっているのでしょうか。
梶川:あまり意識したことはありませんが、多分、根っこは経営的な目線ではないと思うんですよね。例えば、私や私の母親世代の女性は旦那さんに依存して生きている人が多かった。昔から「もし旦那さんが亡くなったら、どうやって柱になるの?」と疑問を抱いていたんですよ。女性だって生きていかなきゃいけないのに、危機感を持っていない人が多いと思っていました。具体的には子どもや旦那さんと離れて依存先がなくなり、更年期が重なってうつ病になってしまった人も知っています。そんな状況も「自分で考えて自立する」ことができれば、きっと防ぐことができると思うんですよ。
大川:そのために一見、本業とは関係が薄そうな哲学カフェを運営しているんですね。
梶川:その通りですね。分かりやすいのが定年を迎えた後です。定年まで会社で勤め上げた後、挨拶もなしに退社する人もいました。昔はそれで良かったのかもしれませんが、これからは60歳、70歳を超えても働き続けなければならなくなるのにですよ。さきほど言った「嬉しいのに能面のような表情」も人や職場に与える影響はかなり大きい。だから、そんな人間的な部分も何かしらアプローチしなくてはいけないのだと思います。そんな風に社員教育って会社目線だけではない部分も多分にあると思います。
大川:なるほど。しかし、中小企業や町工場の経営者ではある意味、少数派のような考えかもしれませんね。
梶川:ただの作業員として教育したい経営者から見ると、私がやっていることはあまり理解されないと思いますね(笑)。自立を促した結果、途中で会社を辞められてしまうのはとてもつらいですが、その人が立派になれば間接的にウチの評価も高まると考えています。それに本当に会社や社員のことを想うのであれば、それこそ社長がいなくなっても社員が自分で考えて動いて会社を支える体制をつくるべきではないでしょうか。社長が倒れてすぐに会社がガタガタになった中小零細企業って少なくないと思いますよ。
対談を終えて(大川 真史)
(株)フジタのWebサイトを見て「多脳工」「モノづくりはヒトづくり」など他ではあまり見ない単語やメッセージが並んでいて面白そうだったので、2020年秋に富山・高岡に梶川さんを訪ねました。待ち合わせの朝9時、工場に伺ったらミュージアムに向かうように言われ数軒先のFACTORY ART MUSEUM TOYAMAに移動しお会いしました。ちょうどプロフィール写真撮影会のタイミングだったので、フォトグラファーさん、モデルさん、へアメイクさんが大勢いらっしゃって撮影準備をしている中、ミュージアムの作品紹介をしてもらったり、哲学カフェの取り組みを聞きました。初めの1時間は「アルミ加工が得意な町工場の工場見学に来たはずなのに何の話をしてるんだろう?」と思っていましたが、2時間ほど経ったところで色んな話や取り組みが繋がっていき「あぁ!とんでもない高い視座で事業を営んでいる経営者だ!」と興奮した事をよく覚えています。
それから何度かお話しする機会がありますが、その都度新しい発見や気付きを頂戴しています。今回もじっくりお話を伺い、現時点での自分なりに理解できる範囲で梶川さんの取り組みを整理し記事にしました。とらえる角度や解像度によって、色々な解釈が出来て示唆を得られる取り組みの数々ですので、多くの経営者や支援者・支援機関の方に読んでいただき、各自の活動にいい影響があればと思いました。
(取材・TEXT:藤冨啓之 PHOTO:北山浩士 企画・編集:野島光太郎)
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