たとえば、あなたが7万400円を持っているとします。
以下の2つの表現は、同じことを指していますが、その印象は大きく異なるのではないでしょうか。
「7万400円がある」
「7万400円、すなわち寒さに震える子ども100人を温めるための毛布を一人に一つずつ買うだけのお金がある」
※…日本ユニセフHPの「ご寄付による支援例」によると、子どもを寒さから守る、大きめの毛布1枚の価格は704円
これが、「数字の翻訳」です。
「私は文系だから……」「数字を見ただけで頭が痛くなってくる……」そんな方にこそぜひ知ってほしいその意義やメリットを、『数字の翻訳 スタンフォード経営大学院教授の「感情が動く数字」の作り方』の書評を通して解説します!
『数字の翻訳 スタンフォード経営大学院教授の「感情が動く数字」の作り方』(ダイアモンド社、2024)は、『スイッチ!』『決定力!』などのベストセラーで知られるスタンフォード大学経営大学院教授チップ・ヒースと、サイエンスジャーナリストのカーラ・スターによって執筆されました。
この書籍はひとことで表すと、‟数字を伝わる表現に翻訳するための具体的なテクニック集”です。
「はじめに」で数字の翻訳とは何か、書籍の活用方法を説明したうえで、4つの章を設けて数字の翻訳方法について具体的に解説するのがその構成。加えて付録として「数字を相手にやさしくするための3つのルール」が掲載されています。
冒頭の「7万400円」の例では、1章の「相手にやさしい数字を使う」と2章の「数字をイメージ化してメッセージを明確にする」などのテクニックを組み合わせて数字を翻訳してみました。
しかし、以下のように言い換えることもできるでしょう。
「あなたが東京都の最低賃金である時給1,113円で働いているとしましょう。1日8時間週2日働いたとして、8日目の8時間目、すなわち月の最終勤務日の終業間近に稼いだことになるのが7万400円という金額です。また、全都道府県で最も低い岩手県の最低時給893円で同じ働き方をした場合は、10日目の7時間目、すなわち次の月の2回目の勤務日の終業間近に7万400円稼いだことになります」
こう言いかえると、「7万400円」という数字の印象が大きく変わったのではないでしょうか。ここでは1章の「数字を違う角度からとらえ直す」テクニックを活用しています。
このように、数字の世界に言葉の工夫を持ち込むことで、さまざまな効果が期待できるのが数字の翻訳です。
次の章からは、その具体的なメリットについてより詳しく見ていきましょう。
「数字の翻訳」で得られるメリットを3つ、具体的な翻訳例とともに見ていきましょう。
数字を翻訳することで、その数字の意味やイメージを正確に伝えやすくなります。
たとえば、以下の例をご覧ください。
<翻訳前>
「天保山は4.53メートルです」
<翻訳後>
「日本一低い山、天保山は4.53メートルです。これは、成人した日本人男性2名と小学1年生の男子1人を縦に並べたくらいの高さです」
天保山と他の山を比較して分かる立ち位置や、ヒューマンスケール(人間の身体を使った尺度)を用いることで、よりイメージがつかみやすくなりました。
ここでは1章「「1」にフォーカスする」や2章「数字をイメージ化してメッセージを明確にする」といったテクニックを使っています。
数字を具体的なストーリーや行動に落とし込むことで、数字を通して伝えたいメッセージが明確になり、記憶や感情に刻まれやすくなります。
<翻訳前>
「このBIツールを使えば、資料作成に使っていた時間が40%削減できます」
<翻訳後>
「あなたがプレゼン資料作成に月に20時間使っていたとしましょう。このBIツールはそのうち8時間を新たな企画の創造や、部下の指導、自己研鑽などに充てることを可能にし、あなたの生産性を高めます。言い換えれば、現在あなたは月の労働日数20日のうちの1日を丸ごとツールによって削減可能な作業に使っているのです」
ここでは2章「数字をイメージ化してメッセージを明確にする」や3章「データを「体感」させる」といったテクニックを用いています。これは、コピーライターなどの言葉を扱う専門職で従来使われてきたテクニックでもあります。言葉を扱う技術が数字・データを扱う際にとても役立つという発見が、本書に独自の価値を生んでいるポイントです。
数字の翻訳というテクニックを悪用すれば、人を数字で誤認させたり、操作したりすることも可能になります。そうした罠を見抜くための自己防衛としても、数字の翻訳テクニックを知ることは重要なのです。
<翻訳前>
「この食事できゅうり15本分のカロリーが取れます」
<翻訳後>
「きゅうりは世界一カロリーの低い野菜としてギネスブックに記録されています。その100g当たりのカロリーは14kcal。15本では、210kcal。これは、茶碗に軽くいっぱいのごはん(150g)に含まれるカロリー(234kcal)以下です」
米国の認知心理学者ジョージ・A・ミラーは人間が短期的に保持できる項目の数を「7 ± 2」とする有名な論文を執筆しました。それ以上の数字を捉えるには、他の数字と比較したり、言い換えたりといった数字を翻訳する工夫が欠かせないのです。
数字の翻訳において、生成AIは強い味方になってくれるかもしれません。
たとえば、以下は「886.98メートルという数字をだれしもに伝わるように視点を変える語句を追加して説明してください」と無料版でも使えるChatGPT4oに指示してみた結果です。
『数字の翻訳』1章の冒頭でも触れられている通り、米マイクロソフトはパースペクティブエンジンというプロジェクトで巨大な数字に関連性のある補足情報を加えることで、数字をわかりやすく、また感情や記憶に刻まれるように伝える事に取り組んでいます。
このように視点を変える語句を加えることで、少しわかりにくいたとえだとしても数字だけを示した場合よりも記憶に残りやすいとのこと。同社のAIアシスタント、Copilotの「より創造的」なモードで、適当に浮かんだ「827865634782万円」という数字をわかりやすくたとえてもらいました。
さらに「この金額で何が買えるか知りたいです!」という質問が提示されたのでクリックして尋ねると、以下のような回答が示されました。
これらは十分にわかりやすいとはいいがたい部分もありますが(たとえば827兆8656億3478万2000円は日本のGDP(2023年で約591兆円)も超えているが、この表現だと超えていないように誤解しそう……)、何の翻訳もなされていない場合と比べれば、その差は歴然としています。
今後、数字を資料や説明で用いる前には「わかりやすくたとえてみて」「だれしもにわかるように視点を変える語句を追加して」とAIに尋ねてみてはいかがでしょうか?
「数字の翻訳」とは何かについて、具体的な例を用いながら解説してまいりました。日本では長らく文系・理系という区分が支配的で、前者は言葉が得意で数字が苦手、後者はその反対というイメージがあります。しかし、その対立関係は「翻訳」という工夫によって大きく解消され得るかもしれません。バリバリの文系人間を自認する筆者も、これから生成AIの助けも借りつつ数学の翻訳を駆使していきたいと思います!
(宮田文机)
・チップ・ヒース (著), カーラ・スター (著), 櫻井祐子 (翻訳)『数字の翻訳――スタンフォード経営大学院教授の「感情が動く数字」の作り方 Kindle版』ダイアモンド社、2024 ・ご寄付による支援例┃日本ユニセフ ・Perspectives Engine┃Microsoft ・国民健康・栄養調査 ┃e-Stat ・名目GDPは591兆円で世界4位に 実質は2期連続のマイナス成長┃朝日新聞DIGITAL ・George A. Miller『The Magical Number Seven, Plus or Minus Two: Some Limits on our Capacity for Processing Information』┃The University of Texas at Austin
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