


いま、野球の技術指導はかつてないほど情報であふれています。YouTubeでは「ピッチング理論」「バッティング改善」といった動画が連日のように更新され、元プロ野球選手が運営するチャネルは登録者数が100万人を超え、人気野球系チャンネルの中には登録者数が80万人を超えるものもあります。
また、Instagramにはスロー映像やスキル分解の投稿が並び、まるで「動作改善の百科事典」のような状態です。そこに計測機器「ラプソード」や「トラックマン」などのデータツールが加わり、ボールの回転数、リリース角度、回転軸といった数値までが簡単に可視化できるようになりました。いまや「誰もが指導者になれる時代」と言っても過言ではありません。
一方で、その情報の多さが新たな混乱を生んでいることは見逃せません。何を信じ、どれを取り入れるべきか。子どもを支える立場にある親でさえ、正しい判断が難しいのが現実です。データを活用してフォームを改善するという考え方は魅力的ですが、測定値だけを追いかけていては「なぜそうなっているのか」「どう直すのか」という根本的な問いにたどり着けません。現象を指摘することと、原因を理解して導くことはまったく別の行為です。
私自身、息子が小学生で野球を始めた頃、SNSや動画を頼りに技術を学ぼうとした経験があります。幸い、草野球でのプレー経験があった私は、「まずは自分で取り組み、いいと思ったものを子どもに伝える」プロセスを経ることができましたが、それでも「うちの子には何が合うのか」「どこまで親が関わるべきなのか」という点については、データが増えるほど答えが遠のいていく感覚がありました。
“データの時代”において、親の役割はどう変わるのでしょうか。数字を見て「教える」側に回るのか、それとも子どもと一緒に“理解する”立場にいるべきなのか。次章では、私自身の体験を通して、その問いに向き合った出来事を紹介したいと思います。

今夏、息子の投球フォーム改善に取り組みました。小学生から中学生に上がるタイミングは、グラウンドの広さやボールの大きさ・重さが変わり、また身体も成長期に入るため、さまざまなバランスが崩れやすい時期です。息子はスローイングの際に「腕の振りが横振りになっている」「肘が下がりやすい」と指摘されてきました。
指導現場ではよく聞く、「肘を上げろ」「身体を縦に使いなさい」というアドバイス。しかし、その言葉の意味を正確に理解し、改善につなげるのは容易ではありません。なぜ横振りになるのか。どこに動作のエラーがあり、どう修正すればよいのか。そこまで分解して考えない限り、フォームの改善にはつながりません。
いまは便利な時代です。ラプソードのような計測機器を使えば、投球角度やリリースポイント、回転数まで数値で見えます。しかし、数値はあくまで「結果」に過ぎません。たとえば、リリース位置が低いというデータが出ても、それが「腕の振り」なのか「体幹の傾き」なのか、「下半身の使い方」なのかまでは教えてくれません。

結局のところ原因を特定するには、目で見て、身体の連動を観察するしかないのです。実際、息子の場合も、単に腕の使い方に問題があるのではなく、骨盤の開きのタイミングや軸足に体重を残す感覚など、全体のバランスのズレが横振りを生んでいました。数値だけを見ていては、その「因果」に気づけなかったと思います。
また、「現象を指摘することは指導ではない」という学びを得ることもできました。原因を見つけ、改善に導くためのフォーム修正のドリルや、本人の意識の置き方をどう設計するか。それを一緒に考え、伴走してくれる存在が、指導者の役割ではないかと気づくことができたのです。
今夏、息子が取り組んだ修正練習では、データではなく「感覚と言葉のすり合わせ」を重視していました。コーチの問いかけに、息子が少しずつ自分の感覚を言語化していく──、その過程にこそ、データでは見えない“学びの芽”があると感じました。
同時に、親としての関わり方にも気づきがありました。確かに、親として身体の使い方に関する知識や、可視化されたデータについてのリテラシーを高めていくことは大切です。しかし、親は指導の専門家ではありません。にわか仕込みの知識で、子どもの成長をミスリードしてしまっては元も子もありません。技術を数値化できる時代だからこそ、「見えない部分」をどう扱うかが問われています。親として、私たちは「データを使って指導する」のではなく、「データをもとに対話する」視点を持つべきだと感じました。

親の立場で子どもの練習を見ていると、つい「気づいたこと」を口にしたくなります。ボールが高い、体が開いている、タイミングが早い──。データの裏づけや動画で得た知識があるほど、「伝えたほうがいい」と思ってしまいます。
しかし、子どもにとってその言葉は必ずしもプラスに働くとは限りません。特に、技術を“教える”という行為は、実は親子の関係ではとてもデリケートです。データや理論に基づく指摘であっても、タイミングや伝え方を誤れば、子どもは混乱します。自分の感覚よりも親の言葉を優先してしまい、動作を試行錯誤する余地を失ってしまうこともあります。
また、数値という意味では、試合における打撃成績や投手成績を集計し、上位成績の子どもを表彰することなどもその一つです。私も学童野球のときは、チームの事務局として子どもたちの成績集計を担当したことがあります。数値(結果)がさらなる本人の努力の励みになればよいのですが、打席の結果だけに目が行き、今のはヒットだ、エラーだと親が騒ぎはじめると実に面倒です。

話を戻しましょう。私自身、子どもへの“関わりすぎ”の難しさを何度も感じてきました。そして、子どもが自分で気づき、修正する力を育むには、あえて“口を出さない勇気”も必要なのだと感じています。コーチングとは「答えを教えることではなく、気づきを引き出すことだ」と聞いたことがあります。結果を焦らず、子どもの小さな気づきを言葉にしてあげる。「今の投げ方、前よりスムーズだったね」「今日は表情がいいね」──。そんな声かけが、子どもの自己理解を深める支えになるのだと思います。
親が“コーチ”として子どもを導くのではなく、“サポーター”として見守る。データの分析は指導者に任せ、親は日々の変化を観察し、本人の成長を信じる役割に徹することが、結果的に子どもの成長につながるのではないかと思います。
子どもの成長は、数値や成績だけでは測れません。フォームや記録がすぐに改善しなくても、「自分で考え、試す」プロセスを積み重ねること自体が、成長の証です。親の役割は、その過程を整え、データに頼るのではなく、子どもの「変化を感じる力」を信じること。それこそが、データの時代に求められる“新しいサポートのかたち”なのだと思います。

データの精度が高まるほど、人は「正しい答え」を求めたくなります。ですが、子どもの成長は数字や理論で完全に説明できるものではありません。親としてできるのは、データを“指標”として活用しながら、子どもの中に生まれる変化を感じ取り、言葉を交わすことです。データの時代に問われているのは、分析力ではなく、観察力と共感力──。それが、子どもを支える新しいリテラシーなのだと思います。
(TEXT:阿部欽一 、編集:藤冨啓之)
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