OpenAIが2024年9月に公開したAIの新モデル「o1」は、あらゆる分野で博士号レベルの能力を発揮した。現時点で最難関のテストをクリアし、ベンチマークの上限に達してしまったのだ。AI研究分野で著名なアラン・D・トンプソン博士は、「もはや私たちは、AIの知能を測れる問題を開発できるほど賢くない。また、自己認識のレベル、心の理論、感情的推論、メタ認知を測る心理学的な試験でも、AIは今や人間をも凌駕するパフォーマンスを示した」と語っている。
これでは事実上の汎用人工知能(AGI)、それどころか超知能(ASI)が誕生したのではないのか?この問いに対して、OpenAIの研究者「o1」の開発者であるノーム・ブラウンは次のように語っている。
「それはAGIの定義にもよる。o1は数学・科学・プログラミングなどのSTEMが顕著に優れている。しかし小説の執筆はまだ苦手だ。つまりあらゆる能力においてAIが人間を凌駕したわけではない。私にはまだ仕事が残っている」
日本で、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)の頭文字を取ったSTEM教育が普及しだしたのは2020年以降だ。このSTEMにArt(芸術)を加えたものがSTEAMで、最近文科省が学習指導要領に反映している。つまり政府は子供たちに対して、「クリエイティブな発想で問題解決を創造・実現できる手段を身につけないと、今からのAI時代に生き残れないぞ」と言っているのだ。
日本でもプログラミング教育の必修化が始まったが、子供たちが大人になる頃には、プログラマーという職業は存在していないかもしれない。GoogleのCEOは「新しく書かれるコードの4分の1以上は、既にAIによって生成されている」と発言しているからだ。生産性が低い人間に、プログラミングを任せる理由は既にない。先ほどのOpenAIの研究者が自覚しているように、自ら開発しているAIの能力が加速度的に上昇することで、自分の研究対象領域が次第に減り始めているのだ。
では人間に残されている仕事は何があるのだろうか?STEMを最も得意とするAIは、今後最も進展するはずだった科学エンジニアリング業務から、順次人間を追い出してしまうだろう。しかしOpenAIの研究者は、「正解が曖昧もしくは無いような人文系の問題は、AIには当面できないだろう」とも言っていた。やはり美意識と芸術的創造性を必要とする「Art」が、AIに対する最後の砦なのだろうか。美意識が科学的に解明できるのだろうか。
18世紀ごろから美の本質を追求しているのが美学だ。哲学の一分野である美学は、科学的手法で探求されてきたわけではない。「美しさ」という主観的なものを、科学で解明するためには客観的なものとして扱う必要がある。それが1990年代に入り、脳科学や実験心理学、認知心理学などが急速に発達して「神経美学」という学問分野が確立される。特に脳波計・PET・MRIなどの「脳機能イメージング」の発達で、精神活動と脳活動の関係を客観的に測定できるようになったことが大きい。
この技術によって、肖像画と風景画で脳が活性化する部位が異なることや、数理的美と芸術的美で活性化する脳の部位が一致することなどが発見されている。ただし「美」は多様で複雑な感情のため、脳の特定部位と単純に対応しておらず、多数の部位の組み合わせもあるため全容は解明できていない。それでもこの技術によって、多くの知見が得られている。ここでは精神活動と対応する脳の活動領域などの詳しい説明は割愛し、判明している実験結果の概要を紹介する。
「美」には、「生物学的美(biological beauty)」と「高次の美(high-order beauty)」の2種類がある。生物学的美とは、生物としての本能的な欲求にもとづく美で、人の顔とか体形のような身体的外見にあり、子孫を残すために不可欠なものだ。このため生物学的美は、文化や教育に依存せず異なる文化圏においても”普遍的な美”となっている。
高次の美とは、文化的規範や学習など後天的に影響される社会的・内的報酬による美だ。道徳的正しさから感じられる道徳美や、芸術的体験から得られる美の大半はこれになる。ただ文化的背景や教育によって変わるので、”世界的に普遍というわけではない”のだ。
では生物としての人が、本能的に感じ取る生物学的美とはどこだろうか。時代や文化によって多少異なるが、人の顔と体形にはあらゆる社会に共通する美の基準が存在している。それは顔の対称性と肌の滑らかさであり、女性の体形ならウエストのくびれで男性は体格の良さだ。顔の対称性が崩れていたり肌に炎症や湿疹ができているのは、寄生虫や感染症の兆候と疑われる。女性のウエストがふくらんでいると妊娠している可能性があり、体格の良い男性は弱肉強食の世界での生存率は高いだろう。
人は無意識にこのような基準で配偶者を選択している。ミロのヴィーナスのような2000年以上前に作られたギリシャ彫刻や、500年前に描かれたモナリザなどの美人画が、現代でも人気なのは、この生物学的な理由にあるのだ。
後天的に獲得した高次の美には、抽象芸術やコンセプチュアルアートなどの芸術作品がある。この場合、作品の背後にある意図や文脈を理解するための知識や経験がないと、作品を鑑賞することが困難となる。一般客がモダンアートを観て分からないと言い、美術評論家が眼に優しいだけの絵はアートではないと言うのは、この知識と経験の違いにあるのだ。
「美」と対極にあるのは「醜」だが、この醜さは視覚的な容姿などを指すことが多く、嫌悪感や恐怖の負の感情を引き起こす。この醜は美より文化によるばらつきが少ないことが、研究で分かっている。つまり不健康で弱々しい外見は、繁殖相手としては劣っていると判断されるのだ。そして醜は恐怖とも連動しており、強い恐怖を感じると防御反応が起きて反射的に忌避する。生存圧力が弱いはずの人間も、やはり動物なのだ。
イラスト:著者作成
我々現代人は、先行きが不透明で予測不可能なVUCAの時代に生きている。その中で毎日のように様々な選択をしなければならないが、その判断材料となる重要な因子の1つに「美の感覚」があると考えられる。それはもしかすると、「正しさ」や「善」につながっているのかもしれない。美しさが必ずしも正義とイコールではないが、可能性が高いと感じているのだ。私は、AIが美意識を持つと芸術作品を創作できるはずだと、このコラムを書きながら論考してきた。
しかし今までのところ、測定可能な「美しさ」は、脳科学における「生物学的美」に限定されている。しかもこの美しさは、人間が進化の過程で獲得したと考えられる「感情」というやっかいなものに左右される。しかしAIはマシンであり生存本能はない。生存本能に根差した感情や美意識を、AIに対して客観的に指示することは、今のところできないだろう。現時点で最先端にいるAI「o1」は、LLMに強化学習を組み合わせた新しいアルゴリズムで、長時間試行錯誤を繰り返しながら「思考」ができるようになっている。
今後AIは「o1」を利用することで、「o2」「o3」と急速に進化していくが、最新の神経美学でも解明されていない「美意識」がAIに宿るのは簡単ではないはずだ。
(TEXT:谷田部卓 編集:藤冨啓之)
メルマガ登録をしていただくと、記事やイベントなどの最新情報をお届けいたします。
30秒で理解!インフォグラフィックや動画で解説!フォローして『1日1記事』インプットしよう!