登場人物
大学講師の知久卓泉(ちくたくみ)
眼鏡っ娘キャラでプライバシーは一切明かさない。
五里雷太(ごりらいた)
IT企業に勤めるビジネスパーソン。
テックジー
主にCGを制作しているアーティスト、最近は生成AIも駆使する。
経産省が打ち出した「アート推し」
昨年は生成AIの大ブームということもあって、生成AIの社会へのインパクトについて話してきました。今回はアートとビジネスについて、経産省が2023年7月に“アートと経済社会における研究会報告書”(註1)を出したので紹介しましょう。以前アートの講座で解説しましたテックジー先生が講師になります
テックジー先生、昨年の講座の際に受講しましたゴリです。ところで先生、アートのような芸術関連は文化庁が管轄ではなかったのでは?
普通はそうだ。このレポートは、144ページフルカラーでデザイン優先の非常に読みづらいものだが、ユニークな点は経産省が発行しているところにある。ではなぜ経産省かというと、日本のビジネスや経済に関して、とても重要な提言をしているからだ。
一昔前になってしまったが、日本の高度経済成長期に大きな役割を担っていたのが、かつての通産省だった。現在の経済産業省の前身である通商産業省は、優秀な官僚の主導によって焼野原だった日本経済を復興させ、さらに牽引しようとしていたのだよ。その結果、高度経済成長を成し遂げ、GDP世界2位にまで昇りつめた。しかしそれもバブル崩壊によって、今のテイタラクだ
テックジー先生、アートとビジネスの話に戻してください
ふむ、昔話をしたいのではなく前振りだ。で、なぜこのレポートが重要かというとだな、近年の経産省の施策は自ら独自の戦略を考えない欧米追従型だったのだが、そこから脱却しようといる姿勢が見えるからだ
そういえば前回の生成AIの講義で、ビッグテックの支配から逃れようとして、欧州の戦略を参考にしていましたね
そうだろう。ヒトのフンドシで相撲をとっても勝ち目はない。まず自分の頭で考えることが大切なのだよ。前回、コンセプトやビジョンを創造するための手法として注目されたのがアート思考だ、という話をしただろう。
経産省の若い官僚たちが、このアート思考の手法を参考にすることで、藝大学長など個性的で著名な有識者を多数集め、まとめた労作がこの報告書だと信じている。まさかいつもの経産省のように、コンサルティング会社に丸投げしたのではないはずだ
経産省が考えるアートの定義とレポートの結論とは?
とりあえず先に、140ページある報告書の結論を教えてください
まず報告書を全部読み質問があったら聞きたまえ、と言いたいところだが、長いから一言にしてみよう。”来たるべき生成AIの時代に求められるのは、アート思考である。なぜなら、AIが成しえない創造性が必要とされるからだ”
そこまでは言いきっていませんよ。ちょっと自分の土俵に持ち込みすぎですね
それでは前回のアート思考の講座の結論と同じなのですね
実はそうなのだ。結局は我輩の考えと同じなので、まさに我が意を得たりだな
そうだったな。我輩としてはアートとAIを得意としているので、デザイン思考の次はアート思考が必要となる時代が来ると考えていた。言わば当然の帰結なのだが、一般にはAIもアートも特殊な領域のようなので、次の時代はアートの時代だといわれても”???”なのだろう
ボクはチクタク先生とテックジー先生の講義を聴いているので、理解しているつもりですが、途中からの人は唐突に聞こえますね
分かった。経産省のレポートも、最初の頃は日本ではあまり日の当たらないアート市場を活性化して、最近目立たなくなったクールジャパンのキャンペーンを盛り上げようと画策していたようだ。それが多数のアート有識者たちと議論をしていくうちに、低迷している日本経済の活性化にはアートが必要だという流れになったようだな
政府の諮問機関の答申は大半が結論ありきで、結論にあったデータだけを収集しているとしか思えませんが、今回は時間と手間ひまをかけて本当に議論して得た成果のようですね
前例やお手本のない戦略を考えようとしたら、当然のプロセスだ。万博会場やオリンピックスタジアムのようなハコモノは目に見えて分かりやすいため、予算は付けやすい。しかしアートのような、どう見積もってよいかも分からないものになると、予算獲得のための投資効果も測定困難なので、予算は付けにくい。だから慎重に議論を重ねてきたのだと思うぞ
以前のテックジー先生の講義の中で、アートの客観的評価基準はないという話をしていましが、なんらかのアートを設置したことによる経済効果の測定となると、その手法すらないのでほとんど無理でしょうね
まぁ前例のない事案なので、とにかくやってみないことには始まらない。だからレポートでは、次のような分野でアプローチを始めるようだな
※著者作成:報告書が取り上げたアート需要の領域
分野と言っても切り口がバラバラなのは、アートというとらえどころのないものが対象だからしかたがない
ちょっと待ってください。そもそも経産省はアートをどのように定義したのですか?まさか対象が不明確のまま、プロジェクトがスタートしてはいないですよね
当然の疑問だな。しかし経産省が頼りにする文化庁の資料には、アートの定義に相当するものは見つからなかった。”文化芸術”なら次のように定義されていたのだが
■文化庁が定める文化芸術の定義 (1)人間が人間らしく生きるための糧となるものであり, (2)人間相互の連帯感を生み出し,共に生きる社会の基盤を形成するもの である。 |
これが文化芸術の定義ですか。これだと、”衣食住”すべて入りそうです
そうだな。あまりに抽象的で意味不明だ。だがアートは衣食住のすべてに関わっている、と言いたかったのかもしれない。ちなみに広辞苑でアートは、”一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産”と定義してある。こちらの方が分かりやすいが、具体性がないのでレポートにあるアート市場の資料を見てみよう
※著者作成:日本のアート市場規模
この資料では、アートを洋画や日本画のような常識的な12分類で集計しているから、経産省はこれをアートと認識していることが分かる
それにしても日本のアート市場は年間でも2400億円しかないのですね。これだとドジャーズが大谷翔平に支払う契約金額の2倍程度しかないですよ
まあそうなるな。レポートでは日本のアーティストの総数は、画家・音楽家・俳優・作家・デザイナーが入っているので、統計上50万人となっている。このマーケット資料には、音楽や書籍、演劇などのマーケットが入っておらず、いわゆる絵画や彫刻だけの市場規模だから非常に小さく見えるのだろう
そろそろ本題に入ってくれませんか。レポートの内容紹介をしていますが最初に言いましたように、なぜ経産省が”アート推し”を始めたのか、という説明がまだです
そうだったな。我輩はこれからのビジネスには、アート思考が必然だと思っていたので今更という感覚なのだ。それでは、まず論点を整理してみよう
■文化庁の中長期目標(今後の文化芸術政策の目指すべき姿) 1) 文化芸術の創造・発展・継承と教育・参加機会の提供 2) 創造的で活力ある社会の形成 3) 心豊かで多様性のある社会の形成 4) 持続可能で回復力のある地域における文化コミュニティの形成 |
つまり文化庁は、”創造的で活力があり、心豊かで多様性のある社会を形成するために、アート(文化芸術)が必要”と言っているのだ。次に経産省のレポートを大雑把にだがまとめると以下のようになる
■経産省「アートと経済社会における研究会報告書」 アートには、次の価値がある。 ・本質的価値(美学的価値、感動を与える力) ・経済的価値(経済波及、雇用創出、にぎわいの創出、地域のブランディングなど) ・社会的価値(教育的効果、心身のケア、コミュニティの形成など) |
これらの価値を高めるために、アートを中心としたクリエイティブ産業への投資を拡大させ、日本の産業構造の変換を促す。
経産省なので経済的価値を優先しているが、アーティストが持つ創造性の有用性も重視している。だがまぁ、あまりに短くまとめた意訳なので、テクノロジーとアートの関係は省いてある
この経産省の主張は、総論としてはもちろん理解できます。でも日本の産業の軸足を、なぜクリエイティブ産業にしようとしているのか、なぜ創造性を求めているのかが分かりません
経産省としては、現在の日本の産業構造のままでは立ち行かなくなるので、産業構造の変革を希求しているのです。ゴリくんの疑問はその通りですが、今回の講座は長くなったので時間切れです。この続きは次回にしましょう
【第2回へ続く】
アートがビジネスを変えていく(前編):経済産業省が「アート推し」を始めたワケ
https://data.wingarc.com/art-changes-business-01-66278
(TEXT:谷田部卓 編集:藤冨啓之)