想像してください。
朝──スマホのアラームで目覚めたあなたは、洗面台に向かい、顔を洗います。清潔なタオルで顔を拭いたら、冷凍しておいたごはんを電子レンジで解凍。さらに、コンロで味噌汁を温めはじめました。リモコンで起動したテレビからニュースが流れるなか、パジャマを脱いで身支度をはじめます。
さて、「この暮らしをゼロから、自力で再現しろ」といわれたらどれだけの時間がかかるでしょうか? 数年? 数十年? 筆者個人の答えは──「一生かかっても無理そう」です。
『知ってるつもり 無知の科学』は、そのような知性の壁を喝破し、新しい「知性」の捉え方を提案する書籍です。本記事では、同書の書評を通して、知性とは何か、データが知性に与える影響などについて考えます。
『知ってるつもり 無知の科学』(原題:The Knowledge Illusion: The myth of individual thought and the power of collective wisdom)は、スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバックの認知科学者コンビが2017年に出版した書籍で、その主題は“人間の知性”です。
同書の内容は、ざっくりわけて以下の3パートに分かれます。
1:「人間の理解・無知・誤解の仕組み」について解説するパート(第一章~第四章)
2:「実際的な知性のあり方」について解説するパート(第五章~第九章)
3:「新たな賢さの定義と賢い人間の育て方・なり方」について解説するパート(第十章~第十二章)
ひとつめのパートは冒頭のように“私たちがどれだけ物事を知らないか、あるいは直感に従って物事を誤解してしまいがちか、にもかかわらずどれだけ自信満々なのか”をつきつけてきます。しかし、それは私たち人間という生物にとって合理的であり、現在も逃れられない脳の癖のようなものでもあります。2人の認知科学者はそれを、超記憶症候群(HSAM)、アメリカカブトガニの交尾、ネズミに電気ショックを与える実験などの例を用いて説明しました。
同書の中でもとりわけ重要なのは「知性は個人の脳の中にのみ存在するものではない」ということです。知性は周囲の世界やコミュニティ、インターネットなどのテクノロジーの中に存在し、それらを上手く利用することで私たちは“ほとんど仕組みを理解していなくても”きれいな水を毎日使い、地球のあちこちの情報をほぼリアルタイムで取得し、足で走るより何倍も速い乗り物で移動できるのです。周囲の世界に存在する知性としては、例えば「アフォーダンス」が該当するでしょう。
3つ目のパートは『知ってるつもり 無知の科学』のなかでもとりわけ実践的な内容といえます。わたしたちは“成果を挙げたい”という目的を主眼に置いたとき、ついつい華々しい経歴を持つストライカータイプの人材に注目してしまいがちです。しかし、ビジネスはひとりのエースがいれば成功するような単純なものでしょうか? 重要なのは知性は個人ではなく、「チーム」にあるのかもしれません。これは、「アイディアとチームどちらが大事?」という問いの答えは「チーム」だと断言する、ピクサー創設者のひとりエド・キャットムルの考えに通じます。
データは我々の知性にとって世界であり、他者であり、テクノロジーでもあります。
医師・公衆衛生学者・教育者のハンス・ロスリングらによって著された『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』は、10の本能で人間の認知バイアスを暴き、それらを排除してデータを直視することの大切さを説きました。例えば以下の問いを考えてみてください。
・現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?
A:20%
B:40%
C:60%
引用元:ハンス・ロスリング (著), オーラ・ロスリング (著), アンナ・ロスリング・ロンランド (著), 上杉 周作 (翻訳), 関 美和 (翻訳) 『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 Kindle版』日経BP、2019、ロケーション5237の85
正解は、「C:60%」。しかし『FACTFULNESS』によると同書執筆時の正解率は日本で7%、最も正解率が高いスウェーデンで11%でした。
この問題を解き答えを知ることによって、誤答した人は自らの「無知」を知り、世界の正しい見方と他者と認識を合わせるための土台、今後の成果を測るための道具を得ました。データが個人の感覚的予測の限界にとらわれていた“知性”を、外部と接続し進化させたのです。
チームが思うように動いてくれない、それぞれの部署が個別最適に走ってしまい、成果につながらない……。
このような悩みは、もしかしたら企業や部署といったコミュニティごとの「知能の壁」が、認知の歪みを引き起こしているからかもしれません。だからこそ、客観的なデータで「個人の知性」を「コミュニティの知性」と接続させることが重要なのです。
『知ってるつもり 無知の科学』では、人間と(現在の)AIの知性の違いとして”「志向性」を共有しうるか否か”が指摘されています。志向性とは、共通の目標に向かうためのベクトルのこと。企業でいう「ビジョン」に近い概念です。
例えば2021年9月、FacebookのAIが黒人男性の映っている動画に「霊長類」とタグ付けしてしまい謝罪の声明が出されることとなりました。2015年にもGoogleの開発するAIで同様の問題がありましたね。これは、「差別を助長するような行為を行ってはならない」や「差別をなくしたい」という「志向性」を、AIが持たないがために生じました。プログラミングや機械学習によって同様の行為を行うことは防止できるかもしれませんが、問題を根本から絶つためには「差別とは何か」「人は何を不快に思うのか」を定義する必要があります。
そしてそれは、個々人の脳ではなく「コミュニティの知性が判断すること」なのです。
『知ってるつもり 無知の科学』は、情報科学が育てる「超絶知能」は、人間より賢い機械ではなく、人間が各々の専門知識を志向性ネットワークで接続する「知識のコミュニティ」であると指摘しています。場所や時間にとらわれず、「志向性」で人々が結びつく新しい企業のイメージは、リモートワークがコロナ禍で普及した今、かつてなく現実味を帯びてきているのではないでしょうか。コロナ禍によるコミュニケーションの変化により知識の共有や創造のフレームワークSECIモデルに対しても関心が高まっています。
“知ってるつもり”で知らないことがあまりに多いことに気づくと愕然とし、「自分はこのままで大丈夫なのだろうか」と不安に思う気持ちが襲ってきます。しかし、『知ってるつもり――無知の科学』を読みすすむにつれ、「ひとりで知れることには限りがあるのだから誰か知ってる人に頼ればいいか」と考えるようになるでしょう。
データを他者と協力するためのツールとして上手に使っていきたいですね。
【参考資料】
・スティーブン スローマン (著), フィリップ ファーンバック (著), 土方 奈美 (翻訳) 『知ってるつもり――無知の科学』早川書房、2021
・ハンス・ロスリング (著), オーラ・ロスリング (著), アンナ・ロスリング・ロンランド (著), 上杉 周作 (翻訳), 関 美和 (翻訳) 『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 Kindle版』日経BP、2019
・フェイスブックが顔認識AIの有色人種バイアス問題で謝罪、黒人が登場する動画に「霊長類」とタグ付け┃Tech Crunch
(宮田文机)
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