本書では権威主義体制と民主主義体制を分ける要因として「政府が自由で公正な選挙で選ばれるか否か」としている。現在の世界では中国やロシア、キューバなどが権威主義の国と定義づけられる。著者のエリカ・フランツは2008年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で政治学の博士号を取得。現在はミシガン州立大学部政治学部准教授を務め、独裁と権威主義の研究を行っている。
本書は2018年出版のAuthoritarianismの訳書であり、オックスフォード大学出版局のシリーズ「みなが知る必要のあること」から出された。このシリーズの特徴は各節のタイトルが全て問いかけになっている。例えば、第1章の序論では「本書の目的は何か?」「なぜ権威主義が重要なのか?」「権威主義を政治を理解するうえでの課題とは何か?」の順に進んでいく。そのため、政治的な専門書に慣れていない方でも、スムーズに読み進められることだろう。本書の構成は以下のとおりだ。
■権威主義 独裁政治の歴史と変貌の構成
1. 序論
2. 権威主義政治を理解する
3. 権威主義体制の風景
4. 権威主義リーダーシップ
5. 権威主義体制のタイプ
6. 権威主義体制の権力獲得のしかた
7. 生存戦略
8. 権威主義体制の崩壊のしかた
9. 結論
このように第1章から第9章まで、すべて政治的な理論で構成されている。つまり、政治学の本でありがちな、ひとつの国や地域を1章分を使って解説するというスタイルではない。政治的理論で構成されている本書だが、後述するように興味深いデータや数々のサンプル例をふんだんに使っているため、読者を飽きさせない印象だ。
もう少し構成を詳しく見ていくと、第2章・第3章は権威主義のマクロな部分、第4章・第5章は権威主義体制のミクロな部分、第6章・第7章・第8章は権威主義体制の誕生から崩壊までを描く。本書を通じて、権威主義の概要を掴めることはもちろん、注記が充実しているため、これから権威主義を深く学びたい学生にもピッタリの専門書といえる。
本書の政治的意義の解説は脇に置いとくとして、本書のおもしろさは数々の興味深いデータにある。本書では主に「権威主義体制データセット(The Autocratic Regimes Data Set)」から引用している。例えば、権威主義体制の統治スタイルに関する議論である。権威主義体制に対しては独裁者が好き勝手放題に政治を行うイメージがある。しかし、著者はデータを用いつつ、今日の権威主義体制は民主的統治に擬態する傾向にあると指摘する。冷戦時代、権威主義体制のうち89%が部分的にせよ体制支持政党を使って支配し、80%は2つ以上の政党を許容。73%は議会を持ち、66%は最低でも一度は選挙を行ったという。
一方、1990年代以降は体制支持政党を使って支配が94%、二つ以上の政党を許容が87%、議会を持つが87%、最低でも1度は選挙を行ったが71%となっている。ここで、エリカ・フランツは権威主義体制が民主主義を真似するようになり、冷戦崩壊以降はその傾向が強くなっていると指摘している。その理由として外国からの支援や体制への批判をかわす狙いがあることを挙げているのだ。
このように全体を通して、何かしらのデータ・グラフを用い、疑問に答え、議論を前に進めている。つまり、データを用いて、持論を強く主張する、論破合戦のような雰囲気はまったくない。穏当な表現で、淡々と議論が進んでいくので、政治学の専門書を手に取らなかった方もとっつきやすいことだろう。
また、私達の何となく思っている「常識」「主観」もひっくり返す点も本書のおもしろさだ。例えば、権威主義体制崩壊の多くがクーデターにある、と思っている読者が多いのではないだろうか。確かに、指導者の銅像が民衆によって引き倒されるシーンはなかなか強烈だ。
しかし冷戦後、クーデター崩壊による体制転覆はすべての権威主義体制崩壊の11%にすぎない。多くが選挙プロセスを経て、権威主義体制が崩壊している。これは冷戦以降の民主化の影響もあると著者は指摘する。また、独裁下でのクーデターの三分の一は体制転換にはつながらず、単にリーダーが変わった例も少なくないという。
このように自分の常識がデータ等により、鮮やかに訂正される快感も本書の魅力ではないだろうか。
政治学は社会科学のひとつである。しかし、日常生活において、政治が語られる場面にて、理論やデータが登場することは少ない。さすがに国会の場面ではデータが登場するが、相手国の体制に関する議論では主観的な議論が多いような気がする。質の悪い議論では、持論や主観ばかりが先行し、それが相手国の体制批判を通り越して、相手国民へのヘイトにつながっていく。
そこで、本書のようなデータを用いた適切な政治学の専門書を読むと、少なくとも主観に基づいた議論は少なくなるだろう。しかし、今度は理論やデータを振りかざすと、相手の意見を「論破」する誘惑にとらわれるかもしれない。そのあたりは、自分の意見や感想を持ちつつも、場合によっては自説を訂正する柔軟性を持ち合わせる必要がある。
また、ビジネスの世界や関心のある国が権威主義体制だった場合、どのタイプに当てはまるのか、そして将来的にその体制がどのように移行するのか、シミュレーションするとおもしろいかもしれない。もちろん、その国の事情がそのまま本書の理論に当てはまるわけではない。その時は「なぜ当てはまらないのか」あれこれ考えるのもいい。「あれこれ考える」という点も政治学のおもしろさだ。
よく、酒の席で「政治の議論はご法度」と言われる。これは利害が直接あり、政治が身近にある分、自説が曲げられないという事情もある。一方、書店に行くと政治家の著作がずらりと並ぶ。政治家は選挙を意識することもあり、自説の強調が目立つ。政治学のコーナーでも、自説の主張が強い本は少なくない。そのような本が多いからこそ、「政治の議論」は主観に基づいた自説のぶつかり合いが各所で行われているのではないか。
先述した通り、本書はデータを用いながら冷静沈着な議論に終始一貫している。知識はともかく、このような議論のトーンなら酒の場で嫌われることもないだろう。「権威主義体制」というトレンドを扱い、かつ興味深いデータを扱いながら、コツコツと自説を積み上げていく本書を通じて、政治学のおもしろさ、本格的な政治的議論の醍醐味を味わってもらいたい。
(TEXT:新田浩之 編集:藤冨啓之)
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